第3話 優等生の皮を被った狐の皮を被った猫と犬と兎

 華凛と水玖が通う高校――虹橋(こうきょう)高校と呼ばれる学校であり、学校としてのレベルは上の下、毎年そこそこの数の生徒が名門大学に進学したり、卒業生が大成したりしているほどの高等学校である。



 そしてこの高校では、所謂『神の力』の制御のために、2年生に上がった際、戦闘科と考察科のどちらかを選ぶことができ、華凛も水玖の2人は主に学者、もしくは戦闘考察など指揮系統を学ぶ考察科のクラスに上がった。



「……」



 今日は初めてクラスメートや担任との顔合わせである始業式。

 しかしそんな日に2人は『突然』崩れた図書室の本棚の整理をしている。

 水玖が唖然としており、本を喜々として片づける華凛を見つめていた。



「ふんふ~ん」



 水玖が10冊の本を片づければ、華凛はやっと1冊目の本を持ち上げる。

 そろそろ始業式が終わる時間になるのだが、華凛はゆったりとした足取りで、時々本に目を通しながら水玖に片づけるように指示を投げる。華凛はほとんど何もやっていないのである。



 そうして華凛がだらけていると突然図書室の扉が開き、この学校の教師が入ってきた。



 すまないな、こんな日に手伝ってもらって。そう2人に声をかける男性教員。



「わ、わ、先生さんです」



 水玖が本棚に戻すために持った本を落としそうになりながら振り返り、華凛から視線を外した。しかし、次の瞬間――。



「あら先生、ごきげんよう」



 水玖は勢いよく振り返り、苦虫をかみ殺したような表情でお淑やかな空気を纏っている華凛に視線を向けた。



「いいえ、気になさらないでください。私たちはまだ機会がありますから」



 落ち着いた笑みを教師に向ける華凛は「これが高校生活最初で最後である3年生でなくて良かったです」とまで言い放つ。



 教師は教師で華凛を見ては何度も頷き、神園は本当に良い生徒だ。と、賞賛を送った。



「それに水玖さんも手伝ってくれて。朝早くからここで勉強に付き合わせてしまっただけではなく、私の勝手で整頓まで手伝ってくれて」



「……」



 すでに9割は片付けが終わっており、それを見た教師が感謝の言葉を2人に何度も投げ、もう大丈夫だから、教室に戻ってくれ。と、言う。そして彼のその手には缶ジュースが2本握られており、それを手渡すと誰にも言わないように。と、人差し指でジェスチャー。



「はい、ありがとうございます」



 見る人が見れば女神や天使などと評されそうな笑顔を教師に向け、華凛は頭を下げた後、水玖を連れて図書室から出て行った。



 その際、水玖は本棚の崩れた部分――倒壊防止の金具がついた部分の床が何故か焦げているのを流し目で眺め、華凛に手を引っ張られる形で、その場を後にした。



「華凛ちゃん」



「なんですか?」



「始業式、出たくなかったですか?」



「……」



 華凛は笑みを浮かべると、水玖の腕を引っ張り、廊下の影に連れ込んだ。



「み~く? 余計なことは言わないの。壁に耳ありって言うだろぉ」



 教師からもらったジュースを呷る華凛は水玖の頬をつっつき、周囲を窺うように視線を動かした。



「水玖は嫌がってるみたいだけどさぁ、こうしてご褒美ももらえるんだから気にすんにゃぁ」



「割に合ってないと思うです」



 ちなみに先ほどの本の整頓、水玖が9割、華凛が1割の割合で動いていた。

 さらに言うと華凛は勉強をしに図書室に来たわけではなく、水玖の手を引き図書室に来たと思うといきなり本棚を蹴り倒したのである。そしてあとは音を聞きやってきた教師たちに事情を説明し、散乱した本の片づけを買って出ただけ。



「さて、もう始業式も終わっただろうしさっさと戻ろうぜぃ」



「は~いです」



 華凛は水玖を連れ、今学期苦楽を共にするクラスメートと教室へ足を向ける。



「おはようございます――」



 教室の扉をゆっくりと開け、教室内で騒いでいるクラスメート全員に笑顔を向け、華凛はどこか気品漂う足取りで黒板に張られていた座席表が示した席へと足を進める。

 そして通りすがるクラスメート全員に笑みを向けることを忘れず行うと挨拶された男子生徒は顔を赤らめ、女子生徒でさえ笑みを返してくれる。



 正しく、理想の女学生像を華凛は演じていた。

 しかし水玖だけは顔色が優れないのである。



「あら水玖さん、どうかなさったのですか?」



 水玖の心を知ってか知らずか、笑みを浮かべた華凛が一番後ろの窓際の席に腰を下ろした。



「そして当たり前のように僕の席は華凛ちゃんの前」



 水玖の問いには華凛が「頼んでおきました」と、だけであった。



 このように、華凛は学校では猫を被っており、生徒教師含め、この学校での信頼度は異様に高いのである。



 そんな華凛がふと、隣の席を見つめたまま動きを止めた。



「あら?」



 すでに始業式が終わっており、あとは担任が来て最初のホームルームを終えて帰るだけなのだが、隣の席には誰もおらずそれを見てなのか華凛は首を傾げた。



「水玖さん、隣の席の方はお休みなのでしょうか? それとも不良さん?」



「華凛ちゃんみたいに?」



 ボソりと水玖が呟いた。



「……」



 水玖のその言葉に、華凛は机の下で指を動かし始めた。すると左手が小さく輝き、大豆ほどの大きさをした塊が生成され、それを水玖の背中に向かって弾いたのである。



「っわふ!」



 水玖が驚いたように声を上げ、背中に触れた後、涙目で華凛を睨んだ。



「何か?」



「ぶ~、なんでもないですよぅ」



 今朝見たような光景だが、華凛もまた、詩姫の娘なのである。



 すると騒いでいたクラスメートたちが一斉に扉の向こうにいる影に注目し始めた。



 このクラスの担任がやってきたのである。

 担任が教室に入ってきて、クラス全体を見渡すとまずは自己紹介をし、その後に廊下に視線を向けた。



「――?」



 華凛と水玖は顔を見合わせ、担任の視線を追うのだが、その先にはもう一つ人影があり、扉からは金色の髪がふわふわと靡いていた。



 担任はその人影に手招きをし、教室に入ってくるように声をかけるのだが、中々入ってこず、痺れを切らしたのか一度教室から出て行った。



 そして担任に連れられて入ってきた少女、華凛よりも身長が高く大きな胸、肩下まで伸びたふわふわとした金色の髪、真っ白な毛皮で出来たロップイヤー付きのカチューシャ、ウサギを模った髪留めの可愛らしい少女であった。



 男子生徒がいじらしく緊張している少女に釘付けになっていたのだが、女子生徒の中には、面白くなさそうな顔をしている者もおり、羨望と嫉妬の視線を受けつつ、金髪の少女が顔を赤らめたまま自己紹介を始める。



「えっと……月白(つきしろ) 怜兎(りょう)です。よろしくお願いしま、す」



 解けない緊張なのだろう、怜兎と名乗った少女は少し小声になってしまった。



 しかしその緊張した面持ちと雰囲気が思春期の男子生徒にウケるのか、教室内には主に男子生徒からの拍手が上がった。



 すると照れている怜兎に対し、担任は華凛の隣の席を指差した。そして隣の席と言うことで、華凛に色々と教えてあげるように頼むとそのまま一度教室から出て行ったのである。



「……」



 華凛は一度、露骨に面倒くさそうな表情を浮かべたが震えている怜兎が歩いてきたことと、クラスメートが視線を向けてきたことですぐに笑顔に戻した。

 水玖はずっと華凛の顔を見ていた。



「あ、あの、よ、よろし……く?」



 怜兎が華凛の目の前までやってきて頭を下げるのだが、どこか様子がおかしい。頭を下げた際、華凛の鞄で視線を止めたと思ったら、顔を見るなり先ほどの緊張とはどこか違う、恐怖にも似たような青白くなった顔で華凛を見つめたまま動かなくなった。



「ん~っと、あの?」



「え、あ」



 華凛は一度首を傾げたのだが、すぐに左手を差し出した。そして一向に握られないその手に、ついには痺れを切らして怜兎の手を掴みに行った。



「神園 華凛です。せっかく隣の席に来てくれたのですから、仲良くしましょう」



「か、かりん……え? あ、うん……月白 怜兎、だよ」



「う〜ん? ああはい、怜兎さんですね」



 華凛に名前を呼ばれると怜兎が肩を跳ねさせた。



 しゃがんで机の下から飛び出そうとしている水玖の頭を華凛は押えながら他人が好むだろう笑みを怜兎に浮かべた。



「あ、私の名前、少し変わっているんですよ。かりんのカは華やかな華、リンは凛々しいの凛です。怜兎さんは、どのような字ですか?」



「え、えっと」



 まだ震えている怜兎。しかし一度華凛の右腕を見て動きを止めたのである。



「あら。ああごめんなさい、これは昔に作った怪我が原因で、包帯を巻いているんですよ。傷がみっともなくて」



「そう……なんだ」



 今にも崩れてしまいそうな存在と壊れてしまいそうな表情で、怜兎は華凛の右腕に手を伸ばそうとする。しかしすぐに引っ込め、首を振った。



「月は――」



「え?」



「ツキは浮いている方、シロは色、リョウは賢い兎」



「ああ、名前ですね。えっと、賢い兎というのは、怜悧な兎、ですか?」



 怜兎が小さく頷いた。



「あまり、覚えて、もらえない字、だから」



 華凛の顔を覗き見るだけで、相変わらず怜兎はぴくぴくと体を震わせていた。しかしどこか安堵したような、それでいて悲しそうな表情で息を吐いていた。



「う~んと」



 華凛は怜兎のその表情を訝しんでいるようだが、あからさまに表情を変えることはせず、自分の手を叩いた。



「あ、そうだ。確かに読みにくい名前ですから――」



 怜兎の顔や体を指差し、華凛が口を開く。



「ウサ子さん、なんてどうですか?」



「――ッ!」



「ロップイヤーに、ウサギさんの髪留め、名前に兎と雰囲気も――」



 一切悪意の見えない名づけであるが、見た目と特徴をそのまま言葉にしただけのあだ名であり、華凛はおよそ、悪い意味で言ったわけではないのだろう。しかし――。



 華凛の袖を水玖が引っ張る。



「あら? どうかしました……って、え?」



 水玖の方を向いた後、華凛は怜兎に視線を戻した。するとその怜兎が呆けたような表情で涙を流しており、先ほどまで被っていた猫を忘れるほどに華凛は驚いていた。



 華凛は慌てたように周囲に視線を向けるのだが、この状況に気が付いているのが水玖だけであり、深呼吸を一度することでまずは自分を落ち着かせた。



「えっと、何かウサギにトラウマでもあるのですか」



「あ、え、ご、ごめ――わ、私、なにやって。か、華凛……ちゃ、んのせいじゃ、ないよ」



 華凛の名前を呼ぶことを躊躇し、怜兎は何度も目を擦る。



「華凛で良いですよ」



「あぅ。か、華凛――」



「はい、何ですか?」



 華凛の返事に、少し照れたように顔を背ける怜兎。

 すると、今まで黙っていた水玖がまた華凛の袖を引っ張る。



「ウサギの本能で華凛ちゃんがヤバいと――」



 華凛は先ほどやったように机の下から水玖に金色の塊を投げつけた。そして小さくため息を吐くと泣き止まない怜兎の頭に手を添え、その頭を勢いよく振るほどに荒々しく撫でた。



「あぅ」



「どうして怜兎さんがそんな顔をするのかはわかりませんが」



 華凛は一切前に出すことはしなかった右手を、両手を怜兎に差しだし、彼女の両手を取った。そして笑みを浮かべて口を開く。



「怜兎さんは優しい方なんですね。初対面ですが、これからも仲良く出来そうです。私の勘、そこそこ当たるんですよ」



 玉のような涙の滴を華凛は指で拭い、怜兎に友だちになりましょう。と告げた。



 しかし怜兎の表情は優れず、さらには「――めだよ、なこと……っちゃ」と、掠れて声になっていない言葉を呟いた。



 きっと傷があるのだろう、華凛と同じように他人に見せられない傷、華凛も水玖も顔を見合わせるだけで考えあぐねているようであった。



 すると怜兎がやっと涙も止め、笑みを浮かべたのである。そして華凛の頬を両手で抱えるように添えると目を細める。



「華凛って、もっと元気な子でしょ?」



 暗かった空気が打って変わり、怜兎がどこか悪戯っ子な表情で華凛の頬をこねた。



「ひょ、ひょんなことはありゅましぇんふぁよ?」



 そんなことはありませんわよ。華凛は戸惑っていた雰囲気も、首を振ることで払拭し、笑みを返した。



 クスクス。と怜兎は声を漏らし、華凛の頬から手を離した。



「ウソ。だってさっき頭を撫でてくれたけれど、あれはお淑やかな人がする撫で方じゃないもの」



「……痛かったですか?」



「ううん。お母さんよりお父さんにしてほしい撫で方かな」



 華凛は思案顔を浮かべた。

 およそ、普段から詩姫にあのように撫でられているために、それが華凛にとっての優しい撫で方。に、なったのだろう。



 華凛は噴き出していた。



「紛うことなく美しょう――普通の女子高生ですわ」



「なるほど」



 怜兎がどこか納得したように、それでいて安堵と嬉しさ、本来彼女が持つだろうホワホワした空気で華凛の両手を握った。



「怜兎さん?」



 握った手を怜兎は額に当てた。そして特に左手に力を籠め、華凛の右腕を強く、強く握った。



「ごめんね」



 そう確かに呟く。



 掠れて全てが聞こえないが、その声色は後悔であり、華凛の手を何度も額にこすりつけていた。



 しかしそれはすぐに終わった。



 怜兎は華凛の手から離れると、どこか諦めたような笑みを浮かべ「気にしないで」と、だけ告げる。



 暫しの沈黙。すると『待て』が出来なかったのか、華凛と怜兎の下をひょこひょこと動く影。

 水玖が2人の真ん中から飛び上がったのである。



「水玖ですよぉ!」



「わ、びっくりした」



「2人でばっかりお話してズルいです。僕も混ぜてくださいです」



「あ、えっと」



 怜兎が困惑しながら華凛に視線を向けた。

 しかし水玖が怜兎の手を引き、さらには頬を掴んで無理矢理に顔を合わせさせると、にこぉ。と、幼い笑みを浮かべる。



「僕も変わった名前なんですよぉ。水に九の大字って辞書に書いてありました!」



「え、えっと――水って字に、キューバの玖かな?」



「わぅ?」



 水玖には理解出来なかったようである。しかも「河童の水ですかぁ? キュウリじゃないです」などと意味不明なことまで口走る始末である。



「水玖さん、キューバは社会の教科書を見たらきっと載っていると思いますよ。間違ってもキューカンバーの連想ゲームではありません」



 あなたはキュウリの水分って意味の名前ではないですよ。と、水玖に説明する華凛は深くため息を吐いた。



「と、とにかく! 津原 水玖ですよぉ、華凛ちゃん宅のペッ――熱い熱い熱いです」



 華凛は水玖の肩を掴むと周囲には見えないように金色の塊を解き、炎へと変え、それを彼女の首筋に当てていた。



「水玖さんったら母がいないところでは本当に口が良く回りますわね」



「お母さん……?」



「はいです。華凛ちゃんのお母さん、本人の前でお母さんなんて言うと死んだ方がマシだと思うくらいの恐怖を与えられ――華凛ちゃん、その炎を離してくださいです」



 彼女に言われた通り、華凛は炎を手から離し、水玖の背中に落とす。



 水玖がぶるぶると震えていたが、炎がジュっと消える音と共に、華凛を可愛らしく睨んだ。



 今水玖が話した通り、詩姫はお母さんと呼ばれるのを好まない。そもそも最初に華凛を引き取った時が16歳だったことも理由として大きいが、それよりも衝撃的なエピソードなのは華凛が10歳になった頃、つまり詩姫が華凛を引き取って2年目、詩姫は18歳、まだまだ世間一般では母親になるのは早いと思われている年齢である。



 そんな時期に華凛はなけなしの勇気を振り絞り、詩姫をお母さん。と、呼んだことがあるのだが、彼女はは華凛の頭を掴むと「誰がババアだ」と、一生トラウマになるだろう般若のような表情で華凛を睨み殺したのである。



 それ以来、華凛は詩姫を「詩姫ちゃん」と呼ぶ。



 水玖もまた同じ轍を踏み、同じ理由で詩姫ちゃんと呼んでいる。



 そんなことを思い出してか、華凛も水玖も顔を青くするのだがそれを見ていた怜兎が胸に手を置き、息を吐いてどこか安心していた。



「……」



 すると華凛が突然水玖と怜兎の手を引き、そのまま教室の出口へ歩き出す。



 水玖も怜兎も、頭にクエッションマークを浮かべるばかりだが、ここは華凛に引かれるままになっていた。



 だが教室を出るとちょうど担任が歩いてきたために華凛は優等生のオーラ増し増しで担任と対峙する。



「すみません、ホームルームが終わってから。と思ったのですが、怜兎さん、この辺りも初めてみたいで、学校の案内に時間をかけていたら、周辺の施設の紹介がおざなりになってしまうと思い、ホームルームの時間に学校案内をしても良いしょうか?」



 瞳を潤ませ、担任に懇願する華凛。



 話を聞いている内は渋っていた担任であったが、華凛の、怜兎が学校生活に慣れるまではずっと面倒を見る。ということで折れたのか、その提案を了承した。



 華凛は担任に礼を告げると、急ぎ足で水玖と怜兎を連れていくのであった。

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