神々の奇跡と魔神の蔓延る世界の中で

筆々

第1話 在りし日の記憶

 神様は、退屈していました。



 どこを見ても戦いばかり――しかも、同じ権威、同じ権能。

 同じだけの力しか持っていないのに、ただただ戦いを行なう同種たち。

 誰が優れている、誰があの女神の意中の神か……戦いの理由と言えば、そんなくだらないことばかりです。



 神様――神に優位など存在しないが、この退屈な神様は自分以外一切がくだらなく見えていました。



 何故、いつまでも変わらない光景を延々と見続けることが出来るのか――神様はそれが不思議でありません。



 剣を振る、盾で防ぐ、槍を突く、斧を振る、雨を降らす、雷を落とす、炎を吹く、水を生成する、風を靡かせる……これの繰り返し、誰も違和感を覚えることなく、何百年と繰り返し、やっと終わったと思えば、また別の神に戦いを仕掛ける。



 神様は退屈でした。



 しかし、ある時、そんなことを数千年考えていたある時のことです。

 神様はふと、『下』を覗いてみたのです。



 どこかの神が悪戯に、神以外の『神を語ることの出来る生命』を神々の住む場所の真下にある『箱庭』に作ったのです。



 神様は、それはそれはくだらない。と、創られたばかりの『人間』を笑いましたが、数千年経ったその日――本当に気まぐれで、箱庭を眺めたのです。



 同じ……最初はそう嘲笑った神様でした。

 ここにいる神々と同じように、同じ種族で戦いを繰り広げている人間に、神様は心底深くため息を吐くのでした。



 しかし、最初は百年、次に十年、その次に五年――と、神様は箱庭を見る頻度が段々と多くなったのです。



 愉快――ついに、神様はそう呟きました。

 人間とは、こんなにも愉快な生物だったのか!

 神様は興奮したように大きな声で笑い、ある一点を見つめました。

 それは、人と人が傷つけ合う光景――その中の一つ、男が少年の喉元に刃を添えている光景でした。



 神様は知っていました。



 その少年は少し前、その男に両親を殺された。

 両親が殺される前、その少年は愛されており、良い子、天使などと呼ばれていた。



……故に神様は大きな声で笑ったのです。この世界に在ってから、これだけ腹を抱えて声を上げたことはない。と。



 その少年は、天使などと呼ばれていた面影は一切なく、ただただ男に憎悪を向け、今から殺されるであろうにも関わらず、その瞳は生を――殺すことを諦めていなかったのです。



 これを愉悦と呼ばず、何を呼ぶだろうか。

 神様はお酒を片手に言い放ったのです。



 そして、神様に仕える天使様を呼び、その光景を見せ、さらに続けます。



 あの光景をなんと見る?



 心底可笑しそうに尋ねる神様に、天使様は困惑し、口を噤んでしまうのですが、神様は上機嫌であったために、罰することなく天使様に命令するのです。



 あの脆弱な生命に私の力を与えよ。

 今にも男に切り付けられてしまいそうな少年に、神様は力を与えると言ったのです。



 しかし、そんなことは前代未聞だと、天使様は言うのですが、神様を止めることは出来ません。



 そうして、神様は少年に力を与えたのです。

 その結果――あまりにも凄惨な結末。



 少年は突然現れた力で、男だけではなく……自身を守ってくれた全ても。

 神様は大いに喜びました。



 愉悦愉悦と歌い出せば、箱庭は赤色に染まり、まるで天使のようだと喉を鳴らせば、少年の顔が狂気に彩られた。


 それが、初めて人間が神の力を使った日――そして、そこから人々は神の退屈凌ぎに巻き込まれ、たった一回の気まぐれと自分勝手な心によって、世界には神の力と……そして――。




 物語、絵空事、お伽噺の佳境、それは在りし日に世界の敵である少女が聞かされたお話。

 少女のたった一人の肉親――お姉ちゃん。と、慕っていた最後の砦の話。

 少女が最も笑っていた日の話。

『その丘』が世界で一番空に近いと少女が思っていた時の話。

 少女が初めて他人と心を通わせた時の話。

 少女に初めて、同い年の友だちが出来た時の話。

 そして、少女が神に出会った時の……話。


 そして――その丘が煉獄劫火に焼かれた時の話であった。


「『魔神憑き』を焼き払え!」



 誰もが口を揃えた、誰もが頷いた。



「ついに本性を現したな!」



「……」



 大人たちは恐怖を張り付けた顔で、全てを諦めたような生気のない表情で俯く少女に悪意を投げた。



 少女は口を開かない――否、むしろ全てを理解しているかの佇まいで、どれだけ汚い言葉で体を貫かれようともその表情を、その雰囲気を変えることをしない。



 何故。それは理解出来る。少女は初めから『生まれ落ちてはいけなかった』だけであった。



 だが、『何故、今』これだけは少女が今まで生きてきた中ではわからないのだ。と――。



 そう、少女は処刑されるために大人たちに囲まれ、腕を縛られ、『世界で最も高かった場所』に向かっているのである。



 なんのことはない。忌み子として産まれてきて、何かの逆鱗に触れた後、こうして世界から解放されるだけの極々一般的な光景。



 そう、よくある話なのである。



 神の力を持つ彼らにとって、『それは』排除しなければならないものであるからだ。



 この少女も例に漏れず、その『右腕の紋章』を、腕を縛られながらも拙く撫でるのであった。



「やはりあの時に殺しておくべきだった」



 男の1人が呟く。



「今さらなんだ、お前が欲に走ったのが悪いだろう」



 もう1人が呆れる。



「お前も具合が良いと言っていただろう」



 口角の上がった下衆な笑みを男が浮かべた。



「そのまま締め殺したのはお前だっただろう?」



「――ッ!」



 少女の肩が跳ねた。今まで一切の言葉に反応を見せなかったのだが、男たちの会話に覚えがあるのか、首を傾げ、その話に耳を傾けていた。



「だからあの時殺そうと言ったんだ、あの娘を殺してしまった時にそこの魔神憑きに見られたから。と、逃げ出す必要もなかっただろう」



 少女が閉じてしまっていた記憶の奥底――あの日の光景。

 少女が慕うお姉ちゃんにのしかかる男たち、涙を流し、目を見開いていた『そうであった者』



 それが少女の口にしなかった記憶なのだろう。



「……おねえ、ちゃん」



 少女が手に持っていた小さなウサギのぬいぐるみを握り、呟く。



 少女が世界で1番高い。と、はしゃいでいた丘の上で、少女は磔にされていた。



 十字にされた木材の磔台、周囲には火にかけるための薪と油――少女は、今この場で火刑に処されようとしているのである。



「どうし……て?」



 大人たちが少女の呟きに気が付くこともなく、喜々とした様子で準備を進める。



「なん……で?」



 ここにきて、初めて少女は恨みを紡いだ。



 松明に火を点し、少女の足元を明るく、恐怖を照らしていく。

 大人たちの顔にはどこか安堵が浮かんでおり、口々にやっと安心できる。と、呟いている者さえいた。



「イヤ……」



 やっと出た拒絶。



「こんなの――」



 暴れこそしない少女だが、その瞳は怒気を孕んでおり、赤く、紅く彩られていく。



 少女を燃やし、全てを灰に変えようと炎が包む。



「こんな世界……らない」



 最早、諦めていた少女はおらず、色の薄かった少女は真っ赤な――否、真っ黒な炎を顕現させた。



 それは、世界を壊そうと言う神の気まぐれから世界に放たれた『悪意』の根源からなのか、それとも、彼女の大事なお姉ちゃんを汚され、骸へと変えた者たちへの恨みなのか――それは呟かれた。




「『神をも燃やす灰燼の楽園(ムスペルヘイム)』」


 一瞬だった。



 少女を中心に出来た真っ黒な壁――いや、炎の波。それは周囲を灰へと変え、少女の世界そのものを神々のいない楽園へと変えた。



 少女の長く美しかった黒の髪は灰を象徴するかのように白くなり、世界を見据えていた瞳は紅く彩られた。

 これが、神の力と共に人々の世界に放り投げられた『魔神』の力。

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