第11話 バレンタイン①
家から歩いて五分、駅のそばにあるマンションの一階にケーキ屋さんがある。
ケーキショップ『Forget me not』は近所でも有名なケーキ屋さんだ。近所のお店を伝える情報誌でも毎回掲載されている。常連と言ってもいいだろう。
ケーキショップの陳列棚にはモンブラン、ショートケーキ、チョコレートケーキなど、いろいろなケーキが陳列されていた。そのどれもが美味しそうで、陳列されたらすぐに売れてしまう。
「いらっしゃいませ」
店内に入るとカランコロンと鈴の音が鳴る。このオシャレな感じも好きだ。
棚の向こうに居る店員さんは、いい笑顔で私にそう言った。
Forget me not……確か英語でワスレナグサの意味だったと思う。ワスレナグサ、ってとても純情な花言葉が多いのだっけ。前、どこかで調べたことがあった気がする。
そう思って私はカウンターの陳列棚を見やる。何をしようか何を食べようか、そんなことを悩んでいたけれど――。
「今日はどういうケーキが欲しいですか?」
「え? あ、あのー……チョコレート系? があるといいかなあ、なんて……」
「ふむふむ、チョコレート系ですか。そう言えばもうバレンタインデーですからね。誰かにお渡しする形ですか?」
「あ、え? え、ええと……まあ……」
この時の私の表情は、あんまり理解できなかった。もしかしたら滅茶苦茶顔を真っ赤にしているかもしれない。けれど、もしそれがバレているようなら嫌だなあ。
「……美味しいチョコケーキがありますよ。それはいかがですか?」
「美味しいチョコケーキ?」
「ほら。その右下のものです。ザッハトルテ、ですね。チョコがとっても濃厚で、チョコレートケーキの王様ともいわれているのですよ」
「へえ……。美味しそう」
「よかったら試食してみますか?」
え? その言葉を聞いて私は目が点になった。いつもはそんなこと言われたことも無いのに……。もしかしてバレンタインデーが近いから? いや、それでも立派な理由にはならないけれど。
私の言葉を待つまでもなく、ザッハトルテを一つ取り出すと、それを半分に切り分けた。半分を私に差し出して、残りの半分を、踵を返して奥の棚に置いた。
「どうぞ、お召し上がりください。もちろんお金はいただきませんので」
それを聞いて、受け取らないわけがなかった。
私はそれを受け取ると、フォークをザッハトルテにすっと刺した。
そしてそれを分けて、ザッハトルテを口に入れた。
すぐに口の中にチョコレートの濃厚な香りが広がった。甘すぎず、苦すぎず。ベストな味だった。
「これ……とっても美味しい……」
「そう言ってもらえて、とてもうれしいです」
そう言って再び笑顔を見せる店員さん。カッコイイし、笑顔はかわいいし、すごいよね。ケーキも美味しいし、いいところだらけ。悪いところなんてまったくない。これってすごいよね。
……っと、あまりのケーキの美味しさに語彙力が奪われてしまったけれど、取り敢えずこれで決まりかな。こんなに美味しいケーキがまだあるなんて思いもしなかった。
そして私はザッハトルテを二つと包装されたマカロンをいくつか購入してお店を後にした。
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