無限機動エルドラゴニア

遊眞

第一部 無限機動編

第一章 砂漠の邂逅〜無限機動ウォーダー登場〜

第一話 置いてあった男


 眩しいなぁ、と。最初に男が思った。

 空の青さが目に慣れない。

 唇がかさつく。鼻の奥が痛いのは、砂埃だろうか。


「——なんでハダカなんですかね?」


 顔の上から二つの影が覗き込んでいる。

 影が動くたびに空が隠れて現れて、よけいに眩しい。ぼんやりと目で追うが、逆光でよく見えない。


「知らない。早く契印シール、書き込んで」

「なんで、こんなとこで倒れてるのかなあ?」


 揺れる髪から微かな甘い香りがする。声の調子は二人とも女性なのだが、ただ。

 二人の頭に奇妙なシルエットが生えていた。動物の耳だ。


 外向けに尖った耳は猫に見える。もう一人は大きくて長い、これはウサギだろうか。猫の頭が少し動いて横を向く。


「知らないってば。それでホントに向かってきてるの?」

「アーダンの兵隊さんだね。さっきの爆縮、調べに来たんだよ。たぶん見つけて拾ってくれると思うけど」


 答えたウサギの影が手をかざし、遠くを見る仕草をする。頬や手に生えた産毛がきらきらと輝く。猫の影が少し訝しげな口調で、またウサギに言った。


「本当に? 拾われなきゃ砂に埋まるよ? このヒト」

「その時は掘り返してあげたらいいじゃないですかあ」


「……そんな時間、ないんだけどなあ。まあいいや、早く契印シール

「あーい。じゃあ左手でいいかな」


 左手がふわっと暖かくなる。何をされているのだろう。ただ朦朧とした意識のままぼおっと薄目で、男の視線が二つの影を追いかける。


「髪、黒くてきれいだなあ。可愛い顔してる。おーい」

「無理に起こさなくていいから」

「けどなんでハダカかなあ?」

「ほら! 行くよ!」


 ハダカハダカと連呼してるのが、どうやらウサギの方らしかった。やがて遠ざかっていく二人の気配を感じながら男が思う。


(ウサギ……ここ、どこなんだろう……)

=お前が、これから生きる世界だ=


(これから?……これまでは?)

=どこから来たか、覚えているか?=


(うーん、どこだっけ)


 この声は、だれなんだろうなあ、とぼんやり思うが、でもまだ、眠い。

 そうだ。眠いんだこれは。男が理解した。

 かさかさと、乾いた風の音がして。


 意識が、霞んで。

 遠のいていく。



◆◇◆



「歩けるか! 大丈夫か! なにやってるんだこんな場所で!!」


 男を叩き起こしたのは吹き荒ぶ風だったのか。

 それとも目の前の相手か。唐突に頰を数回ぱしぱしとはたかれ上体が引き起こされる。ばさりと布をかけられ肩を巻かれて右腕を抱えられた。

 風で目が開けられない。

 ごおおうと唸る中で相手が叫ぶ。砂埃が視界を覆う。


 男に手を貸した相手はヘルメットで顔を隠した男性だった。

 大きな襟の暗緑色のコートが暴風ではためいている。耳あてが下顎のあたりまで伸びた奇妙なデザインのヘルメットは風防にスモークが入っていて顔貌も表情もわからない。ただ口元の動きだけがわかった。

「怪我は無いな! 言葉はわかるか!」

 叫ぶ声に数回、細かく頷く。砂を避けて眼を伏せると。自分の汚れた裸の脚元は靴すら履いていない。本当に何一つ身につけていない。


「こっちだ! 後ろに乗せろ!!」 

 砂嵐の向こうにはヘルメットの人間がもう一人と、灰色の奇妙な岩石質の車が停まっていた。窓も扉も付いているが、駆動輪があるべき場所には硬質な半円の盤が垂直に埋め込まれ、底面が薄緑色の光を放っている。

 そして強い風に煽られて車が揺れていた。わずかに、この車は地上から浮いているらしい。車体に深く掘られた継ぎ目のラインは幾何学的な模様で、ぼおっと弱く青白い光を放っている。


 車に向かい前かがみになって歩く。砂飛礫つぶての当たる後部のウイングタイプのドアを開き、男を座席に押し込み、ヘルメットの相手が二人急いで前のシートに乗り込んでドアを閉めた瞬間。

 内部から低い音がして。車体が変形を始めたのだ。外の継ぎ目の幾つかが盛り上がり全体が組み替えられ複雑さを増していく。岩の塊に見えた外観がわずかに羽を開いた甲虫のごとくフォルムを変えていく。


竜紋態ドラゴニアに入った。障壁3000」

「了解」

 車の前面から。ガラスに似た透明の膜が全体を覆い、薄い白色光が前から後ろに波のように流れ、車体を叩く砂の音が止まった。


「離脱するぞ!」

 運転席の一人が計器の幾つかを弄ると、足元より低音と振動が響いて、ぐんと身体が持ち上げられた。車が大きく浮いたのだ。

 外はいまだ暴風が吹き荒れているのに、変形した車は安定して煽られもしない。緩やかに方向を変え、底面の緑光が激しく輝く。やや斜めに傾く車内から外を伺う男の視線に。


 空が映った。

 それは天空の橋と言えばいいのか。

 男が目を見開く。

 赤黒く巨大で厚ぼったい雲が、空を一直線に横切っている。点滅を始めた計器の一つに助手席の男が注視して、声を上げた。


「空域の魔力マナ上昇20万!! 来るぞ!!」


 かすかに輝きが見えた数瞬の後。

 獣の咆哮に似た唸りをあげて地平の果てより河の如く。

 純白の膨大な光が、雲に沿って流れ込んできた。


 光は天を横に貫いて頭上を越え、反対側の地平まで一気に走って道を作る。厚ぼったい雲の橋が底部まで輝きを透過して下界を照らす。

 目を丸くして見上げる男の視線から、光の橋はどんどん遠ざかっていく。車はいよいよ速度をあげて暴風域を離脱していった。





 数分でも走っただろうか。耳元を押さえて、助手席の制服の男性がどこかと何やら会話を始めた。ヘルメットに無線でも仕込まれているのだろうか。

「巡回35。爆縮中心地で人間を一名、保護しました。竜脈直下です。方位南南西から北北東。規模は小型。東サンタナケリアの支脈と思われます」


 話す間に、がしゃがしゃと外から音がする。変形して膨らんだフロントや側面が元の形状に戻っていくのが、車内の窓から見える。が、それを気にする風もなく会話は続いた。


「日没後には消えるでしょう……いえ、移動ドライブの痕跡は目視されません。静かなものです」


 話し声を耳に挟みながら。

 男が窓から見渡した世界は荒野だった。


 陽の沈む地平線の彼方まで見渡す限り何もない。


 乾いた大地に点々と低木が生えるだけの、静かな世界が続いていた。ただ遠景に山裾が見えるので、このまま走り抜ければやがて森も林もあるのかもしれない。

 彼方に、先ほど空を走った光の筋が見える。もうだいぶ遠ざかったようで低空を一直線に、夕焼けの地平に沿って美しい。

 見たこともない気象なのだ。


(……あれって、なんなんだっけ……)

=質問はするな。普通にしていろ=


 今ひとつ意識が定まらない男の左耳でまた声がしたので、ぽりぽりと耳の穴を掻きながら、地平線の光よりさらに上に目をやれば上弦の月がうっすらと——


 ——月は、あんなに。でかかっただろうか?


(……でかくない?)

=普通にしていろ=


「はい、魔力マナも反応なしです。爆縮とは無関係と思われます」

 無線での話は続いている。


「この辺では見たことがない髪の色ですね。年齢不明、中肉中背です。いえ、放浪者にはとても……むしろ旅行者が襲われて捨てられた風に見えます。所持品が全くありません。服装もです、裸で放置されていました。言葉は——」


 そこまで話した助手席の制服が振り返って、男に聞いた。


「言葉は、わかるのか? 君は」

「あ……はい。大丈夫です」

 自然と声が出る。男が初めて発したその返事に、一瞬、二人のヘルメットが顔を見合わせ、そして男の顔を見た。

「あの、なにか」

「いや。問題ない。君は今からアーダンの要塞に収容される。身分証がないので密入国の疑いがあるが、大人しくしていれば身体の拘束はしない。いいかね?」


=わかりました、と言うんだ=

「……わかりました」


 その返事にただ頷いて、助手席がまた無線を続けた。

「訛りがありません、綺麗な共用語です……はい、夜までには。とりあえずそちらに押送します」


 そこで通話は終わったようだ。助手席のヘルメットが、ふうと一息ついて座席に寄りかかった。

「とんだ拾いものだな」

 横で聞いていた運転席の男がそう言うと、足元の振動音がふぁあううと高くなり、ぐんと車の速度が増した。滑らかなものである。


=——しかし、なぜこんな東の果てに降りたのだろう?=

(え?)

=いや、こちらの話だ=


 岩の車は真っ直ぐに進路を取り土煙を上げて、もう暗くなった山裾に向かって走り去って行く。



◆◇◆



 砂塵が消えたのち、しばらくして。

 低い岩棚の向こうより。二台の単車が夕闇の空を飛び越えて現れた。


 やはり車輪はなく、前後が緩い山形の弧を伏せた黒褐色のカウルに覆われ、水平に切り込まれた接地部分より薄緑の光をぼおっと放っていた。シート下のタンクからカウルにかけて、こちらは赤に発光する複雑なラインが浮かび上がっている。

 どちらも操っているのは細身の女性のシルエットで、猫の耳がある方は、ややうなじが見えるほどの短髪、ウサギは長めの髪を後ろでゆるく纏めていた。


 ざっとカウルを滑らせ砂上に停車して、猫が首に巻いた奇妙なヘッドセットに話しかける。うなじの上あたりに太い帯で嵌り込み、左の端からマイクロフォンのような細い管が口元まで伸びている。


「ケリー。アーダンの兵隊が契印シールを持って帰った。追跡する」

『遅かったな。レオンが言うには明日の晩のやつは相当でかいらしい。これに乗れなかったら、いろいろ詰め直しだ』

 返事は若い男の声である。帯からそのまま外に発する声に、残照に照らされた猫が少し首を傾け、大きな耳をひょいと後ろに向けて会話を続ける。

「今見えてるのじゃダメなんだよね?」

 地平線には、いまだ白く輝く光が横一直線に走っていた。

 

『小さすぎる、あれじゃ国境までウォーダーが保たない。例の爆縮で帝国が騒いでる。気をつけろ』

「了解」


 通信を切った猫は、もはや暗くなった山裾の上をかすめて走る光の帯を、じっと見つめている。横で聞いていたウサギが長い耳を振って言った。

「あのヒト、大丈夫かなあ。ハダカかあ」


「どうしたの? ヒト嫌いのくせに」

「なんかね、なんだろね、なーんか引っかかるんだよねえ」


「変なの」

 ふおぉん! と猫のバイクが発進する。

「ぴゃあ。待って!」

 ウサギも後を追う。


 荒野はそろそろ夜である。

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