三角月夜
日野 哲太郎
第1話
こんな話をしても、だれも信じてくれないかもしれないけれども、この世でただひとり、あなたにだけは信じてほしいのです。
わたしは中学二年生の女の子です。おじいさんは、人形づくりをしています。そのおじいさんが、十才の誕生日にプレゼントしてくれたモモ色のドレスをきたかわいいぬいぐるみの女の子、トキ。わたしの宝物です。
ところが、ある夜のこと。その人形のトキがわたしになって、いえいえ、ちがいます。わたしが人形のトキになってふしぎな冒険をした物語・・。信じてくれるあなたにだけ、こっそりと話しましょう。
♧
だれもがそれとは気づいていないある夜のことです。・・魔法使いの笛の音が夜空にたかくこだましていました。
ふと目をさまし、オモチャ箱から出てきたトキは、部屋の片すみでベートーベンのピアノ・ソナタ 『月光』をきいていました。ところが、心臓がワラになってしまったようにすこしも感動がありません。
おおきなあくびをし、あふれた涙をこすりました。なぜだろう。へんだなあ。きょうはなにかがへんなのです。
鏡をのぞいたら、そこには「わたし」がいました。わたしがぬいぐるみの人形トキになっていたのです。
「あれれれれェ~!」
わたしはトキがだい好きだったので、べつにイヤではありませんでしたが、でもこまった。人間が人形になって、これからどうすればいいのでしょう!
かんがえてもわからないので、わたしは人形になっても、わたしはわたしなのだから、いつものわたしのようにしていようと思いました。でも、だんだん心が物になってしまうような気がしてこわかった。
ほらほら、また魔法使いの笛の音がきこえてきました。むねの赤いリボンがふるえます。そしてわたしは、すっかり人形のトキになってしまったのです。
△
部屋の片すみで・・。
いやな笛の音をわすれるためにトキはオカリナをとりだすと、それをかろやかにふきました。その音はブナ林をながれる谷川のアユのように空中でピチピチととびはねます。
トキはまぶたをとじて想像しました。きれいな水にすむメダカと日の光、せせらぎとそよ風と花のほほえみ、菜の花ばたけのヒバリに白い雲、フキの葉っぱの水玉にうつるすんだ青空・・そう、そう。夢やチョコレートやカレイドスコープも。そうよ。そうよ。やぶれたアルバムだって、それを野原にひろげれば歌を歌いだすかもしれない。
二本のうでではつかみきれない自然のめぐみ・・トキは、百本のうでがほしいと思いました。そしたら、ゆたかな自然をいっぱいに抱きしめられるのに!
トキは空想のなかで血わき肉おどる『いのちのリズム』を感じましたが、でもいまは夜でした。窓のそとには、まっくらな闇がひろがっているばかりです。
めざめたようにまぶたをひらき、カーテンのすきまから庭をのぞくと、黄色い月見草がさいているのが見えました。その花がふと百千の星の光をチララチララと反射したように思ったので、ふと空を見あげると・・!
突然、心臓がドッキ、ドキ!
どうしてかって、見てください! そこには、三角形のお月さまが、夜空にどっかりと腰をすえていたのです。
トキは、ピアノソナタ 「月光」に感動しなかったわけがわかりました。あれです。あのお月さまです。あんな月が夜空を照らしていたのでは、ロマンチックなムードもぶちこわしです。トキはいたずら者にキスされたときのようにはにかんで、しまいには笑いだしてしまいました。
「やい、お月さま。
おまえは、ほんとうにお月さまか?」
トキの挑戦的なたいどをみて、月はおこったように三角のほほをぷう~ッとふくらませました。でも、
「アハ、アハ、アハハハハ!」
なんてバカなお月さまでしょう。二つの角をいっしょにふくらませたものですから、てっぺんのひとつはどう見てもとんがった栗の実のようにしか見えません。まるで逆さまのハートです。トキはすっかり陽気になってにらめっこをくりかえしました。お月さまは、三辺をへこませたり、のばしたり、ナミうたせたり、ちぢめたり、まったくふつうじゃありません。そのためにトキの日常の感覚は、すっかり三角月色に変わってしまったのです。
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