[彼]の飼い主・・・具体的には夫妻の夫の方も、わざわざ串ごと焼き鳥を与えたわけではない。

[彼]がテーブルに載っているお皿から焼き鳥を上手に失敬した。

事の次第はそういうことだ。

もちろん[彼]の不始末に気付いた細君が、大事に至る前に[彼]と迂闊な夫君を叱りつけたのは当然のことだ。

 細君曰く、テーブルの上に出ている食べ物を、黙って食べるのは行儀が悪い。

ねぎまのネギは犬にとって毒だし。

うっかり串を飲み込んだりすればとても大変なことになる。

お腹を切らなければならないよ。

そう、こんこんと教え諭したという。

 [彼]は申し訳なさそうにうなだれて、夫君と共に深く反省した。

いつもは優しい細君が厳しく叱りつけたのだ。

人語を解さぬ犬でも細君の思いを理解できたのだろう。

それから[彼]は、二度とテーブルの上のものを黙って食べたりはしなかったという。

 ある夜の事、夫君の晩酌が過ぎることがあった。

酩酊めいてい一歩手前で上機嫌になった夫君は、ついつい細君との約束を忘れた。

殿様のお小姓よろしく脇に控えていた[彼]に焼き鳥一本相伴しょうばんすることを差し許した。

[彼]は嬉しくてたまらなかったろう。

夫君もほっこりとした気持ちになり目を細めたに違いない。

 [彼]は貰ったねぎまをくわえて、そそくさと自分の食器に持っていった。

そして、かつて叱りつけられた課題を論理的に解いて見せたのである。

[彼]は串から丁寧に肉とネギを外し、ネギを避けて肉だけを美味しそうに食べた。

 翌朝、食器に残されたネギと串を見つけた細君と当然ひと悶着もんちゃくあり。

夫君は窮地きゅうちに立たされた。

確かに自分はよい具合に出来上がってはいた。

だがそれでも[彼]にはネギは食べてはいけないと注意した。

加えて串に気を付けろと、きちんと指導したのだ。

そう夫君は細君に弁解したらしい。

 家の犬は賢くて良かった。

よその犬だったら、きっと大事になっていたに違いない。

苦し紛れに論点をずらした夫君が、またまた細君に叱られたのはご愛敬だろう。

診察時の雑談で話半分として聞いたエピソードである。

 主治医の責務として、焼き鳥を串ごと食べて騒動をひき起こす犬がいかに多いかを説明した。

私は笑い含みで、あらかじめ肉だけ串から外して与えるようにと指導する。

すると夫君をにらみ付ける細君が、キッとこちらに視線を移した。


『たまに焼き鳥を食べたって害にはなりませんよ~』


私は喉元まで出かかる持論を飲み込んだ。

「たまたま偶然。

大事にならなかっただけです。

これからもご注意ください」

私は冷や汗をかきながらその場を治めたのだった。

 

 [彼]は生涯に渡って丈夫な犬だった。

行動も理性的で慎重だった。

春先にある狂犬病の予防接種。

伝染病の混合ワクチン接種。

犬糸状虫や外部寄生虫関連の投薬関係。

それ以外のことでは、めったに病院を訪れることはなかった。

 

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