第四部:世界の創世/或いは延命𝄇
第七章:三つの終止符/あるいは席取りゲームの終わり
僕とタカシは、一階の、埃をかぶったリビングに戻っていた。どちらからともなくスパゲッティを茹で始め、無言のまま食事を終え、セロニアス・モンクの古いレコードに針を落とす 。
かつて、僕たちのアパートで、飽きもせず繰り返していた行為。僕たちの人生という楽譜に、何度も書き込まれた反復記号(𝄇) 。
「なあ、タカシ。あの未来のコーラ、どんな味がした?」僕は、不意にそう尋ねていた。
「さあな。少しだけ甘い、普通のコーラの味じゃないか。未来なんて、きっとそんなものだよ」タカシは、虚ろな目でレコードジャケットの一点を見つめながら答えた。
「僕たちは、結局のところ、物語の中の登場人物に過ぎなかったんだな」
「作者なんて、最初からいなかったのさ」タカシは言った。「自由意志なんて幻想だった 。僕たちの人生に意味なんてなかったんだ。すべてが書かれていたというなら、むしろ救われる。僕の苦しみも、失敗も、僕のせいじゃなかったんだからな」
彼は、決定論の中に救いを見出していた。責任からの解放。それは甘美な罠だ。彼が囚われているメタバースと同じ、思考の牢獄。
「でも、タカシ。今、僕たちがこうしてスパゲッティを食べて、モンクを聴いている。この感覚は、リアルだ。たとえこれが、プログラムされたサブルーチンだとしても、僕はこの『感じ』を否定できない。この本には、僕たちが何を感じるかまでは、書かれていなかった」
「それが旧人類の限界だよ、クマ」タカシは冷ややかに言った。「意味のない感傷に浸るのはやめろ。無を受け入れろ。それが唯一の救済だ」
彼の言葉は、まるで音楽の終わりを示す、完全な終止形のように響いた。彼の時間は、塔で真実を知ったあの日から、永遠に引き伸ばされた終止符(フェルマータ)の上にあったのだ 。
僕は、彼のその姿を見て、そして、同じ問いを繰り返し続けてきた自分自身を省みて、静かに言った。
「……僕たちがしていることは、席取りゲームみたいなものだったのかもしれないな」
「何の話だ?」タカシが訝しげに顔を上げた。
「僕たち、旧い世代が、もう終わってしまった世界の、自分たちの席に意地を張って座り続けようとしているだけなんじゃないかってことさ。世界は停滞しているんじゃない。僕たちが、停滞させていただけなんだ。僕は同じ問いを繰り返し、君はその瞬間に留まり続けることで」
そのとき、静かに、地下から玲音が上がってきた。彼女は、僕たちの間に漂う、出口のない空気を感じ取ったようだった。彼女は何も言わず、ただ部屋の隅に立ち、僕たちの対話の、静かな観測者となった。
タカシは、玲音の存在をちらりと見て、僕に向き直った。
「くだらない感傷だ。席なんて、最初からなかった。あるのは、この無だけだ」
「いいや、タカシ」僕は首を横に振った。「席は、あったんだ。そして、もう、僕たちが座るべき席じゃない。……どんな曲にも、終わりは来るんだ」
その言葉に、玲音が、初めて口を開いた。その声は、何の感情も乗っていない、ただ事実を告げるだけの、水晶のような響きを持っていた。
「物語は、終わったのではありません。この世界の予測モデルが、限界に達しただけです。それは『終わり』ではなく、新しいOSをインストールするための『再起動』の合図」
彼女は、タカシや僕を断罪するのではない。ただ、システムの現在の状態を、淡々と読み上げているだけだった。
「そして、新しい楽章は、誰かが始めなければなりません」
玲音の視線が、僕を射抜いた。その瞳は、新しい世界の、まだ何も書かれていない、真っ白な五線譜のように見えた。
その瞬間、僕は理解した。
反復を繰り返し、問い続けた僕だからこそ、できることがある。 僕が、この世界の、最初の音を紡ぐのだ。
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