2-7 魔王
その日は町の喧騒を感じて目を覚ました。
嫌な雰囲気が漂っているのが気になり、フェンリットとシアは急いで身支度を済ませて宿を出た。
ドラゴニュートと黒ずくめが町中に現れたのが二日前の出来事である。先日は一日中平和そのもので、フェンリットは療養に時間を回していた。
そして今日。
外を出歩いている人はほとんどいない。
完全武装した冒険者がちらほらと見える程度だった。そして彼ら全員が、顔に真剣な表情を張り付けている。
きっと只事ではない何かが起きているのだろう。向かう先はギルドに違いない。
「何だか……天気もあまりよくないですね」
シアが空を見上げながら言う。
青空がどこにも見えない、ひたすらに灰色の雲が続く曇り模様。風が吹きつけて、二人の髪を靡かせていた。
「また面倒事でしょうか?」
「間違いないね。おおかた、また黒ずくめが何かしら仕掛けてきたってところだろうけれど……まずはギルドへ急ごう。考えるのは状況を説明してもらってからでいい」
黒ずくめの襲撃、山道の方角に感じた悪寒、冒険者がギルドへ招集されるような事態。
これらの要因から一つの仮説が成り立っていく。
「……ッ」
いつかの記憶が頭をよぎり、鋭い痛みが走りぬける。フェンリットはそれを振り払い、ギルドへと向かう足取りを早めた。
大丈夫だ、と自分に言い聞かせ、空を見上げる。
天気の悪さは戦闘時においてフェンリットに味方する。風が吹けば、雨が降れば、雷が落ちれば、その分だけフェンリットの持つ性質が強まる。
それは同時に闇も深め、黒ずくめの背中をも押すだろうが――きっと、大丈夫だ。
ギルドに辿り着く。
扉を潜った先には、外よりも濃い緊張感が張り詰めた空間が広がっていた。
冒険者たちは誰も彼もが落ち着きをなくしている。冷静さを保っている者もいるが、その数は少ない。
扉を開ける音に反応する冒険者を無視してカウンターへと向かう。
シアは既に変身させており、フェンリットの懐へと収まっていた。
カウンターに近づくと同時、受付嬢へと声を掛けた。
「何が起きているのか説明をお願いします」
「はい。現在、イーレムの冒険者全てに緊急招集が掛かっております。原因は町の外。魔物が群れを成している、という情報を受けて冒険者ギルドから役員を派遣したところ、それが事実だったためです」
「緊急招集ですか……」
シアを変身させておいてよかった、と思いつつフェンリットは先を促す。
「魔物の数、戦力ともに未知数。種類に関しては、ここ周辺に生息しているモノ以外にもいる可能性がいる可能性があります。先日、ドラゴニュートが【魔物払い】を破って入って来たということもあり、攻めに出るのではなく守りを固める形となりました」
「なるほど」
つまり、冒険者たちは町を防衛する形で魔物と戦う、ということだ。
これはおそらくシンシアが定めた方針だろう。道理に適っている。
「原因は判明しているんですか?」
「判明とはいきませんが、それに関してフェンリット様に報告がございます」
フェンリットの問いかけに答えたのは、奥から出てきたギルドマスターのシンシアだった。
「先日、フェンリット様方が退治した山賊達についてです」
「……、」
「先日我々ギルドで、"討伐後放置した"と報告の受けた場所へと捜索に参りました――が、そこには既に死体の類は存在しませんでした」
彼女の報告に、フェンリットは思わず頬をひくつかせる。
「疑っているわけではありませんよ。それに、一切の痕跡がなかったわけではありません。間違いなく、あの場所で山賊達は討伐された」
一度言葉を切るシンシアへ、フェンリットはゆっくりと近づいていく。
それは、小さな声でも話すことが出来るようにするためだった。
「そして、その場所には――"瘴器"が多く漂っていた」
瘴器。
それはこの世界に存在する負のエネルギー――
炎器が日のある所、暑い所に生まれるように。水器が、水のある場所、雨の降る場所に生まれるように。
瘴器は、人のあらゆる負の感情に反応して多く生まれ出る。
「考えられるものとしては、魔物に食い殺された可能性です。もしも気を失ったまま捕食されたのなら、まだマシでしょうね。しかし意識のある状態で食い殺されたのなら、恐怖を餌に多くの瘴器が生まれるでしょう」
「あるいは」
フェンリットは付け足すように、
「黒ずくめに、嬲るように殺された、とか」
言いながら自分の中で歯車がかみ合うような感覚を得ていた。
頭に思い浮かぶのは山賊達が持っていた
あれを黒ずくめが提供していたのだとしたら。
前提として、黒ずくめが山賊の存在を知っていたのだとしたら。
「瘴器を多く発生させるために、黒ずくめが意識のない山賊を起こし、拷問のような行為を仕掛けてその末に彼らが死ねば――間違いなく大量の瘴器ができる」
人為的に魔王を発生させるという所業に、シンシアは信じられないと目を見張ったが、フェンリットの様子を見て息を呑む。
「……何かしらの心当たりがあるんですね」
「黒ずくめとの戦闘中に、山賊を倒した方角に悪寒がしました。僕は知っている。あれは、"魔王"が生まれた余波だ」
そして、それを感じた直後、黒ずくめはその場から姿を消した。
奴は町を襲撃する前に仕込んでいたのかもしれない。
山賊達をいたぶり、瘴器を生み出し、魔王が生まれるのを待つだけ、という状態に。
「今回の騒動に魔王が関わっているのは間違いないでしょう。この状況も、かつて起きた事例に一致している。ただ」
「……ただ?」
「最悪な想定として、今回の敵は魔王と魔物の軍勢だけではないということです」
もしも黒ずくめが故意に魔王を発生させたのだとしたら。この想定があっているのだとしたら、今回の騒動に乗じて奴も何かしらのアクションを起こすだろう。
果たしてそれがフェンリットを対象としているのか、おそらく最初の標的であったこの町を対象としているのかは分からない。
しかし、少なからず二つの勢力と敵対しているのは確かだった。
「ギルドの方針はどうなっていますか?」
「冒険者の皆様にはパーティ単位で行動してもらう、デフォルトの態勢をとってもらいます。出来ればフェンリット様にもそのように動いていただきたいのですが」
シンシアが下手に出るのには理由がある。
故に、この招集におけるギルドの方針とは外れた行動をすることも可能である。
とはいえその行動が町を守るものと乖離する場合は咎められるが。
「……わかりました。取り合えずは僕も町を守る動きをしますが、もしも黒ずくめが現れたときにはそちらの対応に移ります」
「っ、ありがとうございます。よろしくお願いします」
シンシアのお礼を聞きながら、フェンリットはこの町で唯一の知り合いパーティを探す。
つまりは、アマーリエ達三人である。
この町に着て久しいフェンリットには、他にパーティを組めるような人達がいなかったのだ。それに、黒ずくめが現れた場合にも、彼女たちならば融通が利く。
だが……、
《見つかりませんね》
シアの落ち込んだ声が響く。
ギルド内はそれなりに広い。
受付嬢が立つカウンターのある広間と、冒険者たちが集う酒場フロア。ギルドの役員のみが立ち入ることのできる二階の計三フロアだ。
冒険者は全て一階に集まる。
招集されているはずのアマーリエ達もここにいるはずなのだ。
しかし、いない。
考えられるのは、招集の情報が伝わっておらずこの場に来ていないというケース。
ギルド側とてすべての冒険者の動向を把握しているわけではない。
ようは『バックレる』ことも可能なのだ。
ただしそれが後に発覚した場合、冒険者の身分を剥奪されるのでリスクを伴うことになるが。
「でも……」
フェンリットの知る限り、あの三人がそんな事をするとは思えない。
《もしかすると、招集に向けて何かしらの準備をしに行った、とか?》
(その可能性もあるか……。もしそうなら、このままギルドにいればそのうち帰ってくるだろうけれど……)
最悪な想定が頭に浮かぶ。
もしも、彼女らが町の外に出てしまっていたら。
町の外で起きていることに気付かず、招集が掛かる前に出掛けてしまっていれば。
魔物の群れに囲まれて、今度は全方位から容赦のない攻撃を受けてしまうかもしれない。
山賊とは訳が違う。
三人の身体が目的である奴らに対し、魔物を突き動かすのは純然たる殺人本能。
利益を感じて生かしておく、とはならないのだ。
決断を下し、フェンリットはシンシアのもとへと引き返す。
「シンシアさん」
「どうかいたしましたか、フェンリット様」
「山賊討伐の件を伝えに来てくれた三人の冒険者は見かけていませんか?」
問いかけにシンシアは首を傾げる。
「私は見ていませんが……その方々とパーティを組むのですか?」
「そのつもりなんですが、どうやらギルドの中にはいないみたいなので、行方を知らないかと」
「緊急招集が掛かってからそれほど時間は経っていません。少なくとも、招集を掛けてから私はここにいたので、その間に見ていないということは、」
「可能性は二つに絞られる」
シンシアが頷く。
「招集に逆らい町のどこかに潜んでいるか、既に町の外に出てしまっているか。前者の場合は冒険者ライセンスの剥奪。後者の場合――」
想像したくない最悪の可能性を、フェンリットは口にする。
「――最悪、魔物の大群に襲われるということか」
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