84. Teenage Flavor

《二〇一八年五月一日 午後六時二十分》


「だぁーめ。ぜんぜんだめだぁ――っ」


 子供部屋を占領するダブルベッドに、珠飛亜すひあは勢いよく飛び込んだ。


「やっぱり空振りか」

「そりゃそーだよ! 名簿も住所録も全部見たけど、まるっきり情報ナシ。折邑おりむらの『お』の字もありませんでしたーっ!」


 理里りさとの枕に顔をうずめながら珠飛亜は言う。……理里の枕に。


「そうか……」


 鼻息を荒くする珠飛亜を尻目に、理里は考え込んだ。


 考えてみれば当たり前の話だ。学級日誌の名簿からきれいさっぱり項目が消えているのだから、他の書類も消えているはずだ。わざわざ「魂の光学迷彩」を使い、職員室に侵入するほどのことでもなかった。


「……あの、そんなに吸われるとさすがに不快なんだが」


 すーっ、はーっ。ロングブレスな健康法並に自分の枕を吸う珠飛亜を理里はたしなめたが、


「エージェント珠飛亜さんはミッションにインポッシブルしたのです! よって落ち込みモードなのです! 回復するにはりーくんエナジーの補給しかないのですううううううはあああああああ」


「変態が……」


 呆れかえった理里がため息をつくと、珠飛亜は飛び起きた。


「はあん……それ、もっかい言って?」

(しまった、こいつドMだった)


 下手な罵倒はM女にとってただの原動力。そんなことすら忘れていた。ぐにゃぐにゃに緩んだ顔の珠飛亜は理里の枕を抱いて離さない。


「ワンモアプリーズ。もっとののしって♡」

「うるせえぞ、当分黙ってろこのド変態女が」

「ひゃあああん」


 頬を紅潮させた珠飛亜は布団をかぶった。これで当分おとなしくしているだろう。


「おうおう、また派手にやってるな」


 理里が一息つくと、希瑠けるが部屋に入ってきた。ノートパソコンを脇に抱え、首にかけたヘッドホンからは大音量でアニメ声の女性の歌が流れている。


「お、兄さん。どうだった?」

「ああ、お前の予測どおりだ。やはり住民票、戸籍も抹消されている……いや、存在した記録すらなかったぜ」


 真っ白な長い前髪を指で巻きながら、希瑠は理里の机にパソコンを置いた。

 彼は理里に頼まれ、市役所のサーバーに侵入していたのだ。そこに紫苑が存在した記録が無いか……たとえば彼が言ったような住民票や戸籍、パスポートの発行の有無を調べるため。IT関係が得意な彼には、朝飯前の芸当だ。


「そうか……ありがとう」


 不満げに頬を掻いた理里に、希瑠は意地の悪い笑みを浮かべる。


「待てよ、まだ話は終わっちゃいないぜ」

「……?」


 怪訝な顔をする理里に、希瑠は指を鳴らした。


「確かに『折邑紫苑』って人間の記録は無かった。が、興味深いものは発見できたぜ。見てみろ」


 そう言って希瑠は開いた画面を指さす。

半信半疑で理里がのぞき込むと、


「……!」


折邑おりむら紫堂しどう、四十一歳。住所は柚葉市柚葉四丁目九の十九の三〇二。職業は刑事。妻の名はゆかり、こちらは三十八歳。派遣社員をしてるらしい」


 画面に現れた、二人の男女の顔写真。それらはどことなく紫苑に似ていた。男の方は切れ長の目が、女の方はふくよかな頬や口元が。


「おそらく彼女の両親だ。この人たちに会えば、何か分かるかもしれないぜ」

「……ありがとう、兄さん!」


 理里はメモ帳に急いで住所と名前を書きとめた。


 この出会いが、どんな悲劇を巻き起こすのか――それは彼ら自身にはもちろん、神々さえまだ知る由もなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る