2. harmonized fanfare
入学式は1時間ほどで終わった。途中、入退場の際にどこからか「り――――く――――ん‼」という叫び声が聞こえた気がしたが、きっと気のせいだろう。
怪原家前を飛び立ち、遅刻寸前のふたりは校舎の屋上に降り立った。が、それは地上の誰も知らないことである。珠飛亜たちの『怪物態』は人間はおろか、監視カメラさえも捉えることはできないのだ。(ちなみに珠飛亜に運ばれる際は、理里も怪物化している)
なにくわぬ顔で式に参加し、1年9組の席についた理里は、今。
「んん〜、りーくんのほっぺた、柔らかくて気持ちいい♡」
「…………」
心を失っていた。
『おいおい、なんだよアレ……』
『まさかあいつ、もう彼女いんの? でもあの緑色の校章、3年生じゃ……』
『いや。あれ、お姉さんらしいぜ』
『うわー……シスコンってやつ? ひくわー』
遠巻きに理里と珠飛亜を指差す、これから1年を共に過ごすクラスメート達。黒板を前にして、教室の右前辺りのその席の周辺は、綺麗に誰ひとり立ち入らない空白の円領域となっている。
もはや恒例行事と化した、「入学初日からの姉突入によるスクールカースト最底辺の確定」。小学校から数えて3回目になるこの負け確イベントだけは、理里も慣れるものではない。これにより、向こう3年間のぼっち生活は約束されたも同然だ。
「……あれ? りーくん、泣いてるの? どうしたの、おなか痛いの?」
「いや、痛いのは心だよ……むぎゅっ」
「おねえちゃんと保健室、行く? それとも、『いたいのいたいの、とんでいけー!』してあげようか?」
「冗談でもやめてくれ……余計に傷がひどくなる」
これ以上目立つことはしないでほしい。そう祈るだけだ。こいつが去れば、あとは平穏なぼっちライフが待っている。
自分自身にそう言い聞かせながら、理里が心を殺していると。
「ハッ。『シスコン』か。確かに違いないな」
「……?」
珠飛亜の顔で塞がれた視界の向こうから、ドスの効いた女性の声がした。
戸惑う理里に、声は続ける。
「自分がこの先どうなるか分かっていても、なお姉貴の暴走を止めない。それは、『大好きなおねえちゃんを傷つけたくないっ!』からなんだろう? こりゃ確かに、立派なシスコンに違いねえ」
「……」
理里の
「おっと、怒らせちまったか? 悪い悪い。けど、先に迷惑かけてきたのはそっちだぜ? そろそろ、あんたらのイチャコラにも嫌気がさしてきた」
「別にイチャついてるつもりは無い。俺は、この見た目と精神年齢が合致してないロリの被害者なんだ」
「りーくん、それ言い過ぎ……」
珠飛亜がいじけてその場に座り込む。すると、ようやく声の主の姿が
前の席で、退屈げに黒板を見つめていた水色のポニーテールの少女。理里に背を向けて座ったままで、まだ顔は見えない。
派手な見た目の彼女に、理里は反論を続けた。
「……追い出さないのは、そうした方が後で面倒になるからだ。『傷つけたくない』とか、そんな理由じゃない」
「そうかね?」
ようやく、少女が立ち上がった。……意外と背が高い。173センチある理里より少し低いくらいか。それなりにガタイも良い。
「あたしには、そうは見えないけどな。あんたは、自分の姉貴が大切で仕方ないんだよ。きっとお姉さんなしには生きていけないダメ人間だぜ」
「違う。俺はそんなんじゃない」
「いいや、違いないね」
声色を荒くする理里に
……気の強そうな顔だ。目が大きく、少しツリ目で、
よく見ると睫毛や眉毛も、髪と同じ鮮やかなスカイブルーだ。昨今はつけまつげ等のメイク技術も進化しているから、一概に地毛とは言えないが……どちらにせよ、この学校には頭髪の規定が無い。咎められることは無い。
水色の片眉を上げ、少女はニヤリと笑う。
「たぶん結婚とかもしないんだろうよ。だってお姉ちゃんがいるんだからな。お前は姉貴さえ居れば、それで満足なんだから」
「てめえっ……!」
血気づいた理里を、少女は鼻で笑った。
「ハッ、ヤんのか? 言っとくが、あたしは空手三段だぜ」
机ひとつ、椅子ひとつ、そして先輩ひとりを挟んで、立ち上がった両者は睨み合う。一触即発の空気が流れ、不良のガンつけ合いさながら、二人の顔が近づいて行く。
ついに両者の
「はい、そこまで」
ぱんっ、と。
二人の間で手が叩かれた。
「
「そ、その無駄に規則を覚えるくせは……」
「そうです、
理里が振り向くと。
「まったく、入学早々何をしているのです? ……おおかた、そこで体育座りしている幼稚園児が原因でしょうが」
「手塩くん……わたし一応先輩なんだけど」
珠飛亜がジト目で見上げるが、手塩は全く意に介さない。しっしっ、と手を振っただけだった。
「それはそれとして、理里くん。君に、少々お話があります」
「……えっ? 俺ですか」
唐突に話を振られた理里は焦る。
「ええ、大した用事ではないのですがね。二、三の手続きがありまして。今から、生徒会室に案内します」
「……今から?」
手塩の言葉に、理里はさらに戸惑った。今は、入学式終了後のわずかな休憩時間。もう少しでホームルームが始まるというのに。
「ご安心を、
「ちょっと手塩くぅん!? 流石にそれはわたしも許さなっ……」
珠飛亜の抗議もむなしく、ピシャリ、引き戸が閉められた。
「……ハァー、ほんとに愛想ないんだから。あっかんべーっ」
目の下を引っ張って、子どものように舌を出す珠飛亜。まるで本当に幼稚園児だ。
そんな彼女に、遠慮がちに理里は申し出た。
「えっと……そういうことみたいだから、ちょっと行ってくるわ」
「うん、わかった。どうせ生徒会の勧誘かなんかだと思うけど。おねえちゃん、ちゃんと待ってるからね♪」
「さっさと帰れ! 土に!」
すぐさま上機嫌になった姉に吐き捨てて。教室を出ようとすると、ふと、水色髪の少女が理里の目に入る。
「……フン」
気に食わなさそうに、尖った目を逸らされる。
理里とて腹の虫が収まったわけではない。心の中で舌を出し、急いで手塩の後を追った。
☆
それなりにマンモス校である柚葉高校には、大きく分けて7つの建物がある。
最南端に正門があり、まず一番手前、右側に見えるのが、理里たち1年生の教室がある5号棟。左側には体育館。5号棟から連絡通路を渡り、北側に進んで、食堂のある4号棟……通称「八角塔」を通り抜けると、2年生の特進クラス教室がある3号棟に辿り着く。
心なしか5号棟より古いその建物の1階。文化部の部室棟も
「どうぞ。その、手前の椅子に座ってください」
手塩に
引き戸の先に在ったのは、なんだかごちゃごちゃした部屋だ。ロッカーの上には、いくつかのぬいぐるみ、先人たちが残していったらしい教科書の山、そしてなぜか虫カゴ。背中が赤いクワガタが1匹、ガサガサ動いている。
掲示板には色んなイベントのポスターと、「熱血」と筆で大きく書かれた和紙。部屋の隅に立てかけられているあれは……弓か?
「雑多な部屋で申し訳ありません。しかし、役員の面々は、私でも
「マジですか……」
理里は言葉を失った。手塩でも制御できないとは、いったいどんな変人の集まりなのか。
「それで、お話というのはですね……」
静かに、ゆっくりと手塩が引き戸を閉める。……心なしか、理里の心に緊張が走る。
……いや、これは緊張ではない。『悪寒』だ。これから良くないことが起きるのではないかという、背筋の寒気だ。なぜそんなものを感じるのかは分からない。しかし、しっかりと断定できる。「分かる」のだ。これから、自分はろくでもないことに巻き込まれると。
「理里くん……」
手塩の声が重い。元々低い声だが、なんだか重圧を感じる。それはこの場の雰囲気の重苦しさをも増大させる。聞いているだけで押しつぶされそうになる。頼むから、もう喋らないでほしい。その次の言葉を、どうか言わないでほしい。その瞬間、自分の人生の、何かが動き出してしまうような、そんな気がする。それが怖い。
……そして。
果たして、彼の悪い予感は的中した。
「――君は、人間ではありませんね?」
「……!?」
なぜ、この男がそれを知っているのか。理里の鼓動が早まる。
「な、何の冗談ですか」
「とぼけても無駄です。君の家の人間……失礼。君の家の者たちが、全て強大な怪物であることは、とうの昔に裏が取れている」
引き戸に
「アンタ、何者だ……もしかして、同類か?」
それ以外に考えようがなかった。普通の人間に理里たちの正体を見抜けるわけがない。となれば、同じ怪物以外には考えられない。
しかし、手塩は鼻で笑う。
「ハッ。それこそ、冗談も程々にして頂きたい。
怪物が存在するというのなら。それを駆逐する『
「英雄……!?」
冷や汗を流す理里。頭上の蛍光灯が、切れかけなのか点滅する。
「ええ、そうです。あなたがたの『真の姿』を
さげすむような笑みのまま、語る手塩。その中で、理里は恐怖に打ち震えていた。
なんなのだ、この男は? 突然自分を呼び出したかと思えば、自分たち家族の正体を言い当てた。そして、怪物を駆逐する存在だ……と、名乗った。
そんなものが実在するのか? だが、この男の『凄み』は本物だ。本能が、そう告げている。
しかし、手塩が本当に『英雄』だとするなら……重要なのは、この男の
が。
「『
――終わった。
ミノタウロスといえば、ギリシャ神話でも指折りの強大な怪物。牛の頭に人の身体を持ち、人を喰らう化け物だ。そんな強力な怪物を討伐した男などに、勝てるものか。理里は敗北を確信する。
だが、勝てないとしても、『生き延びる』ことくらいはできる。
椅子から立ち上がろう、と、理里が腰を起こそうとすると、手塩は顔を微笑に歪めた。
「ふふ、そう身構えずに。何も、殺すとはまだ言っていないではありませんか。それだけが目的であれば、なぜあなたのお姉様はご存命なのです?」
「っ……」
言われて、理里はハッとした。確かに、珠飛亜は1年間生徒会活動をこの男と共にしながら、一度も大きな怪我などはしていない。テセウスほどの強大な英雄と交戦していたとしたら、無傷では済まなかったはずだ。
つまり、この男は珠飛亜に手を出していない。
「……そんな英雄さんが、俺に何の用なんですか」
冷静を装って答えると、手塩は気分良さそうに指を鳴らす。
「物分かりが良くて助かります。お姉様とは大違いだ」
一瞬、喜ぶような仕草を見せた手塩。しかしその表情は、すぐに鋼鉄のように引き締まった。
「では、単刀直入に聞きましょう。――君の父親は、どこに居る?」
かつてない殺気を灯らせた眼。背筋が寒くなる。
けれど、
「……知りません。父は、15年前に行方不明になった。それ以上の話は聞かされてません」
こればかりはまったくの事実なのだから、仕方がない。
恐怖に震えながら、かろうじて相手の目を見つめる理里に、手塩は片眉を上げた。
「意外ですね。どうやら嘘もついていないようだ。となると、
「…………」
睨む理里に、手塩は片手を上げた。
「安心なさい、まだ
「そりゃあ、知ってますよ。小学校でも習いましたし」
「まあ、当然ですか。
西暦2003年12月24日、22時30分。突如として太陽を除く、全ての恒星が夜空から消失した。天文学界最大の損失とも呼ばれる、『
「……はい?」
手塩の言葉に、理里は耳を疑った。
「あの……言ってる意味が、よく分からないんですが」
「ほう?」
ぴくり、と。手塩の眉が動く。
「……これは、面白いことを言ってくれますね。あの化け物の眷属が、あの
クク、と
迫り来る象のように、歩んできた手塩の肉体は、壁のように理里の目前にそり立った。
「…………」
恐る恐る理里が、頭半分ほど高い手塩の顔を見上げると。
「
バンッ、と。理里の後ろにあった長机を、手塩が叩いた。彫りの深い顔が目の前まで近づく。
「貴様が、貴様らがそんな言葉を吐くのが、許されると思っているのかッ!! あれほどの被害を……あれほどの痛みを、苦しみを、我らに与えておいて! 『知らない』などと、言わせてなるものかッ!!!」
「なっ……!?」
戸惑う理里に、手塩はまくしたてるように語る。
「あの日。神界で一大事が起きたということで、冥王ハデスは特例として、すでに冥府の人間となっていたかつての英雄たちを蘇らせ、対処に向かわせた。それに私も加わっていた。
神界に通じる門を抜けた瞬間に見たものは……地獄だった。逃げ惑う人々、燃え盛るオリンポス山、翼を灼かれ墜落する天使たちの悲鳴……その中心で全てを破壊し続ける、天を
……結局、神界と冥界の戦力だけでは足りず、神々はついに星座の英雄を呼び戻す決断をした。人界は騒ぎになるだろうが、やむを得ないとの主神ゼウス様のご判断だった。その後も休むことなく戦いは続き……結果、奴を撃退できたのは
手塩は、ギリギリと歯を噛みしめる。
「一度は宇宙を破壊せしめ、二度も神界を混沌と恐怖に叩き落とした龍神。その名は、"テュフォーン"。それこそが
理里の心に、激震が走った。
「そんな……そんな、ことが」
「これで分かったろう。君と君の家族には、真相を知っていなければならない義務があることが」
固まってしまった理里を他所に、手塩は深呼吸をひとつ。そして、再び口を開く。
「……失礼。少し熱くなってしまいました。さて、ここからが本題です。テュフォーンの居場所を知らないのなら……君には、やはり死んでもらうしかないようだ」
「ッ……!?」
ついに来た。しかし、混乱と恐怖で、理里の身体は動かない。
「この15年、神々は総力を挙げて人界に逃げ延びたテュフォーンを捜索してきました。撃退に参加した英雄たちを、そのまま人界に転生させ、捜索部隊としてね。しかし、いっこうに手がかりすら掴めなかった。
詰みの状況が何年も続き、ようやく昨年末、一つの仮説が生まれました。
『テュフォーンは、その家族の誰かの心象世界……つまりは、魂の内部に隠れているのではないか?』という説が」
「魂の内部……って」
「テュフォーンは、自身の
手塩の目が、再び冷たい色に染まってゆく。先ほどまでの激情は、もうない。
「これから命を奪われる者に、理由を説明しないというのは残酷な話。ですから、こうやって説明させていただきました。あとは、そうですね……ああ、そうだ。なぜ君からなのか、ですが。
君が、一番
「……っ」
ハ、と手塩が口をゆがめた。理里のこめかみに血が集まる。
「……他に聞きたいことはありますか? いくらでもお答えしましょう」
「なら、ひとつだけ聞かせてください」
怖い。怖い……けれど、これだけは聞いておかなくては。
「俺がハズレだったなら……次は、珠飛亜のところに行くんですか?」
理里が意を決して問うと、手塩は鼻で笑った。
「この期に及んで姉の心配とは。君もつくづくシスコンだ」
「そういう話じゃない。答えてください」
「ええ、分かっていますとも。
……当然です。他の兄妹から当たってみても構いませんが、彼女は君の次くらいに弱いでしょうから。それにほら……彼女が、一番
「…………そうですか」
「む? 何をっ……!?」
手塩の首を、理里の両手がしめ上げていた。
「俺は今、初めて自分の弱さに感謝してるよ。アンタみたいな
その言葉を放った口には、ズラリと鋭い牙が並び。
瞳孔は細くなり、
『シャアアアアアッ‼』
見る影もなく、完全にトカゲのものとなってしまった頭部。雄叫びをあげ、舌を濡らす唾液が手塩の顔に飛び散る。
「ッ……
手塩も、負けじと理里の両手首を掴み、
『ギャオォッ!?』
ばきり。
鱗を押し潰し、骨にヒビが入る音。痛みのあまり、理里は手を放す。
「ぬぅんッ‼」
そのまま、理里は壁に投げ飛ばされた。柱が背骨を打つ。
『グヘァッ……!』
「心外ですね、
歩み寄った手塩は、片手で理里の首をひっつかみ、持ち上げた。
『ギャウゥ、ガアア!』
「抵抗は無駄です。いさぎよく審判を受けるがいい、醜き獣よ」
(くっ……)
脳に酸素が回らなくなってくる。意識がだんだんと遠のく。
(俺が……もっと、強ければ……!)
その中で、理里は
(俺は……今までずっと、珠飛亜に守られてきた……あんなどうしようもない奴だけど、それでも、辛い時は、いつも俺のとなりにいてくれたんだっ……! だから、今度は俺が……守りたかった、のに……)
このまま、何もできないまま、死んでいくのだろうか。あの
(……嫌だ。そんなの絶対、嫌だ!)
『グアアアアオオオオオオッッ‼』
「……っ!? 貴様、何だ……なんだ、それは!?」
突如。
光源は、理里の左目。
そして。
「ッ!?」
理里の首を掴む手塩の右腕。その表面がだんだんと白く、大理石の彫刻のように
「……くっ!」
異変を察知した手塩は、まだ石化していない
しかし、まだ光は収まらない。
「チッ……!」
舌打ちをし、手塩は部屋を飛び出してゆく。
そして、理里は。
(ああ……何だ……? 何だか知らないけど、逃げてったな……左目が、熱くなって……まぶしい……うっ)
シュウン、という音、そして少しの痛みと共に、左目の光が消える。
(何だったんだ……? もしかして、本当に、父さんが……あれ)
頭を巡らせかけたとき。強烈な眠気が、彼を襲った。
(なんだ……? 眠い……分からない、何も……。ダメだ、耐えられない……)
意識が、徐々に薄れてゆく。まぶたが重い。
抗えぬ
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