第十三頁
★
隼斗くんに言われた女の子には気を配ったものの、午前中の美術館にあの女の子はいなかった。いつもいるものではないと分かっていながら、ついつい探してしまう。そうして、美術館を出た後で日光を避けるように商店街を歩いていたらやはりここにたどり着いてしまった。
「篤夫さん、今日もお一人ですか」
敬子さんがアイスコーヒーを運んできている。待夢のお客は俺一人だった。
「ええ、隼斗君に出された宿題をやらないといけないので」
「そううですか。気が付けば篤夫さん、もう立派な助手ですね。壮助さんも鼻が高いでしょう」
「そうだといいですけどね」
「きっと、そうですよ。では、ごゆっくり」
そういうと、敬子さんはかっちりと結ったポニーテールを揺らしてカウンターの奥へと戻っていった。そして、テーブルの上には文庫本サイズの日記帖が一冊。
日記の販売元は思った以上にすぐ特定ができた。商店街の文具店を回って話を聞くと、すぐに隣のM市のお店が取り扱っていることを知っていた。なんでも、製造元自体は関東にあるらしいのだが、この辺りで仕入れをしているところは限られているのだという。
電車でも数十分の距離なので、すぐさま向かうとこじんまりした老舗風の文房具店があった。資料として店内でこの日記を購入し、その際に念のため日記を交換している3人の写真をレジに立っていた年配の女性に見せると鉢田朋子の写真を指さし「春の頃だったと思う」「確かにこの子が日記帖を買いに来た」と証言してくれた。これは、燕みのりが隼斗君に話した話と辻褄が合うだろう。日記は売れ行きがいいのか在庫が殆どなかった。
そうなると、次は「誰が」と「どうやって」が争点になる。前者に関しては隼斗君が学校内の人間関係を徹底邸に洗ってくれているのでオレは校舎のなぞ解きに精を出すのがベターであるという結論を出していた。
・3人だけが交換し合っている日記に四人目の書き込み。
・元々は4人でするはずだった交換日記。
・机から抜き取ろうと思えばできたかもしれない(非現実的)
オカルト的な展開を期待するのであれば吹田葵が念動力なんかを駆使して念写をしたなんて話もできるのだろうが、残念ながら現実ではそうもいかないわけで現実的に考えれば誰かが書き足しているということなのだろう。しかし、どうやって?
日記を観察する限り、ページを追加できるバインダーのような機能はないし、ページを無理やり糊でくっつけたりすればすぐに分かってしまうだろう。それに隼斗君もそんな不自然さはなかったと言っていた。彼独自の調査もしてくれているみたいだからそっちは任せてもいいのかもしれない。
アイスコーヒーを啜ると心地よい苦みが咥内に広がった。この苦みが頭を冴えさせてくれたらいいんだが、それらしい名案が浮かぶこともなく時間だけが過ぎていった。
帰ったら壮助さんに相談しよう。
そう思い席を立った。敬子さんの笑顔に見送られて店外に出るともう日が傾きかけていた。路地を抜けて商店街に出ると、夕食の食材を求めた主婦たちで溢れていて、今晩は俺が夕食当番なので買い出しをしていかなければいけない。
「あら、篤夫さんじゃない!今晩は何にするの?」
不意に背中から声を掛けられて飛び上がると、後ろにいたのは丸山精肉店の奥さんだった。息子さんの真弘くんは隼斗君の一つ先輩である。ぽっちゃりプラス優しそうな笑顔は順調に息子に遺伝していた。
「こんばんは。今晩は、暑いから冷しゃぶにしようかと思って」
「あら、いいじゃない。そう言えば聞いたわよ。また、学校がらみの事件を調査してるんだって」
きっと、真弘君に隼斗君が話を聞いたと言っていたからそこ伝手に話がいったのだろう。
「ええ、ちょっと込み入った話になってて」
「そうなの。今の子供たちは分かりにくくって困ったもんよね。あたしらのころなんて、嫌いなら「嫌いー」って言ってボコスカ喧嘩すれば済んだことも、そうはいかないのね」
「ええ、特に女の子はもう大人って感じで。僕はお恥ずかしながら女性のこと良く知らないので―――」
こんなこと言う予定でもなかったのに行ってしまった自分が急に恥ずかしくなっていたところで丸山さんが急に神妙な表情をする。
「おばちゃんでよければ教えてあげましょうか」
「え」
「やーだ! もう、冗談よ!」
ガハハハーと豪快に笑うと、
「付け合わせは塩キャベツがおすすめよ。うちの子も大好きなの。豚肉安くするから帰りにでも寄ってってね。あらやだ、私ったら長話を。お店に戻らないと!」
そう言って、丸山さんは人込みをかき分けてさっさとお店へと戻っていった。これが、たくましい女性なのかと思わず感心してしまう。とりあえず、この後、豚肉を買いに行ったときは旦那さんが店頭に立っててくれることを願ってやまない。
★
鉢田が語った高坂亜子のグループと珠依晴のグループの衝突は4月に入って間もない頃だったという。きっかけは席替えのくじ引きだった。
例によって出席番号順にくじを引いていくわけだが、一切の取り仕切りを学級委員長に任せた担任教師は教室に不在。当然のように希望の席にありつくことができなかった生徒同士のクジの交換が始まったという。
もちろんのようにその中でも独占的に進めたのは高坂亜子だった。そして、珠依がモノ申したのだった。「あんたたちだけが偉そうにして、クラスの中心になったつもりなの?」と。あからさまな宣戦布告、そして挑発。歩が噂で聞いた話は鉢田の証言によって裏付けられた。ただ、ここだけで吹田葵が不登校になる理由はまだない。
一方で、珠依の徴発を受けた高坂は冷静だったという。「みんながすすんで交換してくれてるんだものいいじゃない」と。そして、この後、珠依を激高させる一言を吐いた。
「あんた達がクラスで孤立してること自覚してないわけ?」
これで、珠依の中で何かが切れたようだったと鉢田は言っていた。そして、半狂乱で高坂につかみかかったという。そして、それを止めたのが吹田だった。
しゃくりあげて、なおも暴れる珠依を抱えるようにして教室の隅に連れていき宥めた。クラス中の冷たい視線に意を介すことなくそれを続けた。高坂はすぐに興味をなくしたように元に戻ったという。
そして、しばらくすると吹田は学校に来なくなった。
ここまでが鉢田は話した4月に起きたことの顛末だった。噂になっていたのは「吹田はいじめられて不登校になった」というものだった。しかし、この話を聞く限り彼女がいじめられていたような話は見えてこない。それどころか、こんな状態のクラスに嫌気がさして自分の意志で学校に来ていないのではないかとすら邪推できてしまうほどだ。
オレは自室の机に伏した。台所からはおじさんが夕食の準備をする音がした。おじさんは日記の販売元が隣町だと分かったとも言っていた。ここは燕みのりの証言とも一致する。つまり、彼女は例の一点以外嘘をついていないということで間違いないだろう。
となると、おじさんがお手上げだと言った一週間に一回日記紛れてくるあの気味の悪いページの謎が残る。これはどこかできっと吹田葵につながる気がするのだが、そのピースはまだ見えてこない。
調査が始まってからというもの、珠依は明らかにオレを避けているし、燕にも鉢田にも取次ぎを頼んだが芳しい返事は得られなかった。つまり、オレに話を聞かれたくない何かがあるのかもしれない。鉢田と仲が良かったという松岡なら何か聞きだしてくれるだろうか伏したまま目を開けてもそこには暗闇が広がるばかりだった。
そして、さらにその暗闇を眺めていると幾何学模様のようなものが見えてきてさらにそれを見続けていると模様たちはいつしか知った顔になっていく。歩、燕、高坂、鉢田、珠依、松岡、そして顔を思い出せないはずの吹田の後ろ姿。その彼女が振り返ろうとした時だった。
「隼斗、ご飯だよー」
じいじの間延びした声が響いてきてその妄想は霧消した。
「はーい、いまいくー」
すっかり暗くなって部屋で椅子を引いて立ち上がる。ドアに向かおうとした瞬間、右足の小指を机の脚に引っ掛けると声にならない声が喉の奥に詰まった。
「っっっっつ!!」
オレは右足を引きずって明るいリビングへと向かうのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます