多才な賢者

「はふぅ……」


 唐突にとても変な声が漏れて目が覚める。

 ここ最近ずっと気だるい起床をしていたけれど、今朝は今までに無いくらい、清々しい気分で――


「朝ですか?!」


 昨日のことを思い出し、ぼんやりとしていた意識が一気に晴れ渡りました。

 がばり、と起き上がり周囲を見渡す。


 ――居ない・・・


 そう、部屋を見渡せばベッドの隣に置かれた椅子は空っぽで、昨日再契約を果たしたはずのわたしの賢者ヴェルターが居ないのです。

 掛け布団を蹴り飛ばしてベッドを降りて、置かれていた履物も無視して駆け出した。

 けれど寝起きの運動にしては激しすぎたのか、それとも焦りが足を絡ませたのか……普段ならなんてこともないような平坦な床で、わたしはバランスを崩してドアノブに縋り付いた。


 ――ガンっ!


 扉に身体がぶつかって音がする。

 わたしは何でこんなにもトロくさいのでしょうか……ずるずると扉をずり落ち座り込んでしまう。

 普段できるはずのことができないもどかしさに鼻の奥に痛みが走り、天井を見上げて何とか堪えます。

けれど


 あぁ、彼は帰ってしまったのですね……最後に優しい嘘を吐いて。

 そう悟ってしまった途端、もう我慢はできませんでした。


「うわぁぁぁぁぁん!」


 誰も居ない部屋にわたしの声がこだまする。

 あんなに優しかった賢者ヴェルターは、彼の世界に帰ってしまった。

 もう誰も助けてくれない。もう誰も支えてくれない。もう誰もわたしを見てくれない。もう誰も彼もが、わたしを『公爵令嬢ティアナ』としてしか・・扱ってくれない。

 もう二度と、公爵令嬢わたしティアナわたしとして扱ってくれる人なんて現れない。


 わたしがヴァルプルギス家の恩恵を受けている限り、ただの子供そんなふうには見てもらえないなんて分かっています。

 けれど彼だけは……異界の賢者ヴェルターだけはティアナわたしだけを見てくれていたのに。


「ヴぇるたぁぁぁ! 何で何でっ――!」


 自分の実力が足りずに負担ばかり掛け、約束したはずのことまで破ってしまって。

 魔法が使いたくて彼を呼んだけれど、そのせいでこんな思いをするなんて。

 覚悟も決めさせてくれずに去ったヴェルターを思い、涙は止まらず溢れて頬を伝い、声なんて止められません。

 大きすぎる喪失感に、誰に構うこともなく大声で泣き、彼の名を何度も呼ぶ。


「そう何度も呼ばなくても聞こえるよティアナ」


 扉に縋って塞いでいたからか、部屋の中央になんだか困った顔をして、忽然とわたしが焦がれる人が現れました。

 余りの唐突さ加減にわんわん泣いていたわたしは、完全に止まって「え?」と目が点になりました。

 混乱して目をこすり、頬をぺちっと軽く叩き、改めて見てもそこに居る・・


「怖い夢でも見たかね? それでも少しくらい待ってくれても良いだろうに」


「ヴェルター?!」


「どうかしたかな? それより君に――「ヴェルター!!」」


 夢幻ゆめでも幻影コピーでもない彼が、ちゃんとした存在感を保って返事を返してくれる。

 泣きじゃくっていたことや、飛び跳ねるようにヴェルターに抱きついたことも含め、少し先のわたしはとても後悔することでしょう。



 えぇ、実際とても後悔しましたとも。

 しかもヴェルターから「君は本当に目の前のことしか見えていないね」なんてため息交じりのありがたいお言葉までいただきましたよ。

 部屋の中に居ないからと言って、帰ったと断言できませんしね。


 それに再契約によってきちんと『契約えにし』が繋がれていてるようで、ヴェルターの教えに従って感覚を研ぎ澄ませば、薄ぼんやりと感じ取れて所在まで分かります。

 といっても召喚や魔法契約に慣れないわたしでは感度が悪くてきちんと拾えてはいないのですけれど。

 むむむ……経験値が足りなさ過ぎる……というか昨日の内に教えてくれていればあんなに取り乱すことも無かったのでは?

 そんな風にヴェルターのせいにしようとしましたが、そもそも昨日はわたしが不貞寝したんでしたね。


「お味はどうかな?」


 いろいろと心と身体が忙しく、寝起きではしゃいだわたしに着替えを促した賢者は優しく問いかけてくる。

 火を使ったことを示す暖気があがる炊事場の隣。

 ここは借家の中のリビングで、目の前のテーブルには存在してはいけないものが置かれていました。


「……とても美味しいです」


「それは良かった」


 目の前に置かれたのは甘く優しい香りが鼻をくすぐり、身体をほぐすように湯気が上がるミルクパン粥は、とても口の中をやわらかく撫でてくれ、美味しい以外の言葉が見つかりません。

 けれど


「でも、材料は無かったはずですよ?」


 そう、無いのです。

 ここはあくまで魔法用の工房で、用意していたのもちょっとした非常食と塩くらいだったはずです。

 確実に目の前に置かれたミルクパン粥を作るには、材料も調味料も……ましてや調理器具すら足りません。

 そもそもこのお皿すら置いていた覚えがないというのに、一体どうやって……?


「ティアナの持つ硬貨を少し拝借してね」


 なるほど。というかそれもそうですよね。

 図書館でやったように、彼がお店から盗んでもきっとバレることはありませんが、わざわざ窃盗をするわけがありませんよね。

 どうにか稼ぐにしても、初見の町でたった数日でお金を得るなんて不可能に近いですし……。

 あ、わたしのお財布からお金を持っていったのなら泥棒に違いありませんか。

 いやでも買ったものはわたしの口に入っていますし、泥棒だなんて決して言えませんが。


複製・・しただけだよ。君の資産には一切手を着けていないから安心して欲しい」


「それ偽造って言いません?!」


 わたしの賢者はもっと悪いことをしていました!

 思わず叫んだけれど、ヴェルターは余り気にしていません。


「本物を『複製コピー』したのだから、それはもう本物に決まっているじゃないか」


「だからそれが偽造って言うんですよね!?」


 まったく、わたしが寝ている間にこの賢者は何やってるんでしょうか!

 見つかったら国家反逆罪で捕まってしまいますよ!

 どうやって取り戻せばいいのでしょうか……考えはじめるわたしに、ヴェルターは「あははっ」と笑っています。


「ティアナは面白いことを言うね。

 では真贋の差は何かな?

 貴金属の含有比率? 硬貨の重量? それとも形状?

 それらすべてが完全一致しているならそれはもう本物とどうやって区別をつけるのだろう?」


「え、いや……え?」


「ちなみに発行年の印字はあっても、シリアルナンバーや魔法的な偽造防止措置は存在しなかったから、真贋を問うことは不可能さ」


「……まったくあなたはデタラメなのですから」


「流通している硬貨が紛失で減ってしまうのと同様に、たまたま私の手によって一枚増えてしまっただけなので許してもらおうじゃないか」


 何だかはぐらかされたような気もしますが、ヴェルターの言うように本物の硬貨が増えただけなら詐欺とはいえませんかね?

 あ、でも国からすると発行硬貨が増えてるわけですし、バレたらやっぱり国家反逆罪ですか?

 でもバレるんでしょうか……わたしからヴェルターへの信用度が高すぎて、どうにも正しい判断ができそうにありません。


「という冗談はともかく、材料も調味料もアミルカーレ様から譲っていただいたものだよ」


「冗談なんですか?! というかアミルカーレ様に?!」


「えぇ。冗談ですよ。

 バレない自信はあるけれど、帰る私に害が無くともティアナには『もしも』があるかもしれない。何事にも『絶対』は存在しないからね。

 あ、でも量産タイプの武器・防具の複製くらいなら、数に限度はあるけれど問題にならなそうだね。

 何か欲しいものがあるなら都合しよう」


 え、賢者って生産系の技能まで持ってるのですか?

 無から有を生み出す感じの? というか硬貨の金属って土属性か何かからひねり出しました?


「誤解をしているようだから説明しておくと、魔法で出したものは一定時間を越えると消えてしまうから、素材だけは必要になる。

 とはいえ、量産品くらいなら希少金属が混じることもないし、配合さえ分かれば合金もその辺の土から精製できる。

 後は型に合わせて圧縮等々の製造工程を再現すれば完成だ。

 それ以外の素材は土のように混じっているわけではないから調達必要はあるが……材料だけなら大した額にはならないし、最悪取りに向かえば良いだけだ」


 簡単に精製って言ってますが、豊富に混在しているものから精製するだけでも大変なのに、その辺にある土から作る?

 採算が合わなくて放置されているものから個人で抽出する技術がある?

 何ともデタラメな発言にわたしが絶句していると、ヴェルターは「本職と違って真似しかできないがね?」なんて茶化して言って来ます。

 本当に、そういうことではありませんよ。


「アミルカーレ様にはティアナが仮面魔闘会マスカレードに参加する際に、いろいろと根回しをお願いしましてね。

 私に『給金』といっていただいたお金ですよ。

 というより、食事は私がずっと用意していたはずだけど……やはりちゃんと意識は無かったのだね」


 目の前で湯気を上げるミルクパン粥を見て、わたしはこんなにも美味しいものを毎日食べていたの? と自問自答します。

 もしかしてレパートリーが少ない?

 いや、それでもこの味ならお店開けますよね……。


「おかわりはあるし、何か要望があれば作るよ?」


 危なげなく答えるヴェルターに、レパートリーの少なさは一蹴されました。

 それにしても賢者の多才さに頭が下がる思いです。

 専門知識の要る魔法や精製と、一般的な料理を同列に扱うってすごく変な気がしますが。


「いえ、おかわりを……」


「よろこんで。私のご主人様マイマスター


 空っぽになったお皿を持ち上げ、わたしに向けて茶化してきます。

 もう、本当にいちいち私の顔を赤くさせる人ですね!!

 何か悪態をつきたくても、大泣きした手前何もいえませんが。




 こうして再契約を交わして勝ち取った、わたしだけが波乱の六日目は、アミルカーレ様への挨拶や、ヴェルターの観光やおしゃべりに費やされ、穏やかに過ぎていきました。

 ヴェルターと一緒に居られる時間が刻一刻と近づきますが、彼との約束を果たしたわたしは、きちんとお別れの準備を……覚悟を決めていけます。


 あぁ、ですがもう少し。もう少しだけでも時間を伸ばすことはできませんか。

 ねぇ、ヴェルター……本当に手はもう無いのでしょうか?

 わたしは泣かずに貴方を送り出せるでしょうか?

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