第21話20.領主の役割 7

「レーニエ様? お天気がおかしいですわ」

 サリアはリルアの花が入った袋を地面に置き、北の空を見上げた。フェルディナンドを迎えに森の傍まで出向いた二人は、何もしないで待っているのもなんだろうからと、二人して花を摘んでいたのだ。

「ああ……」

 レーニエも藪から出てきて不安そうに北の空を見上げた。さっきまでは曇り空ながらも空は薄明るかったのだが、いきなりざあっと暗くなり、強くなった北風がざわざわと梢をゆすっていた。

 向こうの空に真黒に渦巻いている低い雲が見えた。

「あれは……雪雲?」

「森からはまだ、誰も出てきませんね。レーニエ様、帰った方がいいのでは……」

 その時、二人の邪魔にならない距離を保って警護をしていた兵士達がそっと馬を寄せてきた。今日のお供はジャヌーではない。彼はファイザルに呼ばれて基地に戻っていた。

「ご領主様、サリアさん。急いでお屋敷にお戻りください。吹雪がきます」

「ええっ! それは確かなの?」

 レーニエは黙って目を見張ったが、サリアは驚いて大きな声を出した。実直そうな兵士はしっかりと頷く。

「はい。自分はもう三年もこちらでお務めさせていただいておりますからわかります。あれは吹雪の雲です。しかもかなり大きい」

「……」

「さぁご領主様、私の馬にお乗りください。サリアさんはこっちの馬に」

 二人の兵士がレーニエとサリアを自分たちの馬に乗せた時、後ろから馬車の音がした。

「あ! 戻ってきた」

 喜びを声に滲ませてサリアが叫んだ。

「フェル!」

 ガラガラと音を立てて馬車と騎馬が近づいてきた。三台の馬車には男たちが大勢のっており、何人かの兵士も騎馬でつき従っている。

「ご領主様! もうすぐ吹雪がきます」

「ああ、今聞いた……フェルは? フェルはどこ?」

「それが……」

 言いにくそうに話しだしたのは先頭の荷駄の御者を務めるペイザンだった。

「お昼を食べたまでは一緒だったんですが、私たちが獲物を処理している間にヒューイと連れだって、もう一回りしてくると森に入って……」

「その内戻ってくるだろうと思っていたら、空模様がおかしくなってきて……呼びに行ったのですが、見つからず……とりあえず私たちだけ先に村に戻ることになって……」

「それでフェルは?」

 レーニエは再び尋ねた。

「アダンと軍の方々が今探しに出ています。ですからすぐに見つかると思うのですが……」

「砦にも既に連絡がいっています。ファイザル様ならすぐ応援をよこしてくださるでしょう」

 別の村人も横から受け合った。

「……」

「ともかくご領主様はお早く屋敷にお戻りください。おそらくあと一時間ぐらいでものすごい風になります」

 兵士や村人に促され、レーニエとサリアは胸の中に膨らみ始めた不安を無理に押し殺して引き返すことにした。

 レーニエは自分が何もできないことをよくわかっていたのだ。

 村人達の予想通り、館に戻って一時間もしないうちに空はさらに暗くなり、酷い風が吹きだした。風は一方向からだけでなく、あらゆる方向から吹きすさび、おまけに氷のように冷たかった。

 彼等はそのまま馬車を連ねて村に戻り、村に駐屯する兵士たちもついていく。

 何かあった時にすぐに連絡に走れるようにと言う、指揮官ファイザルの常の指示なのだが、万一大きな吹雪になったとしたら、それもできなくなるかもしれない。

 ペイザンの話では、例年何度かこの地方を吹雪が襲うが、伐採期になるとこのような吹雪はまず来ないらしい。だからこその伐採のシーズンなのだ。

 ましてや、その時期も終わった今頃になって、このような吹雪が来るなど人々の記憶になかったことだった。

 レーニエは自室の厚いカーテンの隙間から、昼間だというのにすっかり真っ暗になってしまった窓の外を見た。雪はまだ降ってはいない。しかし、厚い雲が低く垂れこめ、不気味に渦を巻いている。気温はとっくに氷点下を下回っているだろう。最近では昼間にそこまで外気が下がることはなくなり、どんどん雪が融けだしていたのだが。

 カーテンをしていても大きな窓からは冷気が忍び込む。強風で窓枠がカタカタと振動していた。暖炉から離れると、部屋にいてさえあまり暖かくないというのに、フェルディナンドはまだ帰ってはこなかった。父のセバストは、サリアから息子のことを聞いてすぐに馬車で森に向かっていた。

「先ず、あらゆる方角から猛烈な風が吹きまくり、そのあとに雪がやってきます」

 レーニエは以前に村長のキダムから聞いた吹雪の話を思い出していた。この地で初めて吹雪を経験した翌日、村の様子を見て回り、キダムの家にたち寄った時のことだった。

「雪はいきなりやってきます。気がついた時には、自分がどちらの方角を向いて立っていたのかわからなくなってしまいます。荒野で吹雪に遭うのはとても危険です」

「万が一遭ってしまったら……?」

「もし近くに窪みがあったらそこで風と雪をよけます。なかったら、その辺の籔の中に入りますが、吹雪で一番恐ろしいのは、実はそれだけではないのです」

「それは……?」

「風が運んでくる猛烈な寒さです。どんどん体温が奪われます。動けなくなって眠ってしまったらそこで終わりです。運が良くても凍傷で真黒になり、手足を失うとか……」

 レーニエは思わずぞくりとして両手で自分を抱きしめた。

 その話を聞いた時もぞっとしたものだが、今度は現実に自分の大切な従者が戻ってこないのである。

 レーニエの豊かな想像力は、脳裏に無残な姿になったフェルディナンドの姿を鮮明に浮かび上がらせた。

「フェルッ……!」

 たまらずに声を上げる。

 朝は寒気は弱く、よく晴れていたからフェルはそれほど厚着をして出て行かなかったはずだ。もしもあの健やかな手足を失うようなことになったら……

 レーニエは部屋を飛び出した。

「サリア! オリイ!」

 レーニエは正面階段を駆け降りる。

 手には外套が握りしめられていた。何事かとサリアとオリイが奥から飛び出してくる。

「レーニエ様!」

「どうなさいました!」

 慌てて二人が飛び出して来る。

「雪が降る前に私も探しに行く! 馬を!」

「レーニエ様! いけません!」

「兵隊さんたちが今探してくれているって言われたじゃありませんか!」

「彼等はフェルのことをよく知らない。私なら森の中でフェルが行きそうな場所の見当がつく!」

「ダメです! お母さん止めてっ」

「レーニエ様! 主人も行ってますし、私たちも気持ちは同じです! だけどここは堪えてください」

「嫌だ! 行く!」

「レーニエ様!」

「いけません!」

 サリアはレーニエの前に立ちふさがり、オリイは背後から腰にしがみついて必死に引きとめる。

「放せ!」

 その時、大きな音がホールに響いた。

 思わず首を竦めるくらいの音に女たちは固まってしまった。見ると正面大扉の片方が開け放たれ、渦を巻いた冷たい風がどっとホールに吹き込んできている。

「誰!?」

 黒い大きな影。

 真っ暗な空を背負ってファイザル国境警備隊長が立っていた。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る