第11話 記された言葉

 近づいてきた二人を認識した。


 そう。あれは二度目の戦い……イミナとポーフィックとの戦いの前のこと。

 ほんのわずかな時間ではあるが、俺たちはこの二人に出会っている。

 桐香が、その二人のうちの、女の名を呟く。


「……サキ・ハリード」


 彼女たちが交わしたごく短い会話は、いまでもはっきりと思い出せる。

 桐香が訊いた「戦いの目的は、何? 勝ち続けることで、この世界には何が待っているというの?」という問いに、サキは「分からない。でも、私たちがが無限の存在でないかぎり、戦いに終わりの時は来る。そして」


 彼女の口から放たれた答え。……そして俺は、あのときのサキの言葉と同じものを求めることになった。


 ――この世界を見渡せるところに、立ちたい。


 目的を同じくする者同士が、同じ場所にたどりつくこと。

 それは、考えてみればあたりまえのことだったのかもしれない。

 そして、俺と桐香は、サキ・ハリードと、そのパートナーの前に立った。


 ふいに強い風が吹き抜けて、サキの赤銅色の長い髪を舞い上げた。

 乱れた髪もそのままに、サキは言った。


「――ふたたび、あえたね。その目……そして名前は忘れていない。『桐香・ベイドリック』」


 その言葉に、桐香はどことなく懐かしそうな笑みを浮かべて、答えた。


「ありがとう。もちろん、私もあなたの名前を忘れていないわ。『サキ・ハリード』」


 互いに名を喪うことなく、桐香とサキは再開した。俺としては、サキの傍らに立つ無言の男のほうが気になった。

 桐香とサキが、それ以上の言葉を発しないのを確認して、俺は問うた。


「この世界クラスタに来てあちこちを見て回ったけれど、けっきょく、他人に出会えたのはこれが始めてだ。これも縁だろう。互いに名乗っておこうか。……俺は、海堂樹」


 サキは、もうわたしは名乗った、とでも言いたげに、何も言わずに俺を見つめている。彼女の傍らの男は、しばらくしてから答えた。

「俺の名は、アースィム・クスァーン。この名が、おまえたちにとって発音し難い音であるのは分かっている。だから、アースとでも呼んでくれ」

 そう言って、男……アースは不器用そうな笑みを浮かべた。あまり似合っている仕草ではないが、当初に抱いていた、まるで兵士のようだという先入観は、すこしだけ和らいだ。


(考えてみれば、これまでに三度戦ってきたが、「嫌な奴」「滅ぼしてやりたい奴」など、一人として存在しなかった)


 最初に出会った、無名の男。かれと戦ったときは、まだ俺自身にも確たる名はなかった。それでも、パートナーとともに果敢に戦い、両の拳を振るった姿ははっきりと覚えている。仮にかれが名を持っていたとしたら、俺はけっして忘れないだろう。


 その次に戦った、ポーフィック・モルフィアス。炎の剣を振るって戦った、雄敵。その正々堂々たる戦いぶりは、まさしく競技者のようだった。燃えさかるサーカスの劇場で撃ちかわした剣の重みは、絶対に忘れられない。


 そして、アトカース。「諦め」を意味する言葉を名乗りながらも、かれは桐香の描き出した『不滅の軍勢』の押し寄せるような大軍に対し、真っ向から渡り合い、そののちに余力をラズルーカに譲り渡して、消えていった。


 そうだ。誰もがみな、パートナーとともに勝ち抜くことをこいねがっていた。


 「世界を解き明かしたい」という大げさな願い事よりも、すぐそばにいる誰かを、喪うことが怖かった。


 アースィム・クスァーン。かれは、どんな願いを抱いているのだろうか。

 ……と、俺がしばらく考え込んでいると、サキはすこし困ったような表情を浮かべた。


「さて、これで互いの名は分かった。つぎは、私たちはどうするべきか、さ。……イツキ、キリカ。まずは訊いておく。きみたちは、いまよりもなお大きな世界を望むかい?」


 そう言って、サキは細い指を腰に置いた。細身の身体に表情がよくあらわれる、はっきりした目鼻立ち。陳腐な例えかもしれないが、彼女は、まるで少年のようだ。

 だがそんな彼女がぶつけてきた質問は、とても本質的だった。


「ここよりもっと大きな世界を、か。さっきまで、俺と桐香でそんな話をしていたところだ。――俺は、『もしも、戦うべき相手がいなければ』、この世界でふたりっきりで過ごすのもいい、と思っていた。戦わずに済むのなら、それがいちばん心安らぐ結末かもしれない。……今も、そう思っている」


 言い終えてから、俺は桐香を見た。彼女も頷いた。「ぬるい、日和ひよった」結末かもしれないが、それのどこが悪い?


 俺の答えに、サキとアースはしずかに耳を傾けていた。いまの二人が、どのような考えを抱いているのかは知らない。だが、俺もまた二人の考えを聞いて、確かめたかった。それがどんな答えであれ。


「俺たちは――」と、アースが語り始める。「かなうならば、もっと上の世界を、目指したい」


 その言葉を聞いたときに、俺は、隣の桐香の雰囲気が、やはり険しいものになっていくのを感じた。彼らがそれを目指すのであれば、もはや戦いは避けられない。


 だが、アースは言葉を続けた。

「だが……もしかしたら、より上位の世界へ移るための鍵が、この世界にはあるのではないか、とも思う」


「鍵、か」


「そうだ。これまで世界を移るたびに、そこに属する人間の数は増加する一方だった。だが、いまは違う。ここまで広大になった世界なのに、存在するのは俺たちとお前たちだけだ」


「君たちも、他の誰かには出会わなかったのか」


「……そうだ」と、アースは頷いた。


 広大な世界。ここを舞台としてうろつき回るのは、二組のペアだけ。

 この時、ふと思ったことを俺は口にする。


「ここで俺たちが戦って、勝ったほうは……たった二人きりで、もっと広大な世界に放り出されるのだろうか」


 そんな世界を支配し、再定義しようと、それにどんな意味がある?

 俺の言葉に、サキが返答する。


「そう。この世界に辿り着いたときに、まず私たちに『すり込まれた』安易な結末。それをそのまま信じられるほどには、私はおひとよしではないわ。……だから、結果として戦うにせよ、この世界でできる限りのことはしておきたいし、探せるものは、すべて探しておきたい」


 サキの提案に、桐香は「まあ、そうね」と答える。「戦うならばお互い納得ずくで、……これまでだってそうしてきたし、これからもそうしたいの。じゃあ行こうか、樹」


「行くってどこへ?」


「納得出来る何かを探すために、すこし街を調べてみない? もしかしたら何か分かるかもよ」


「そうだな」


 だが、屋上から見た街並みの広大さを思い出すと、その「すこし」が、途方もなく膨大な事業になることだけは、俺にも理解できた。



+ + +



 ――どれくらいの時間が、経過したか。


 永遠のような夕暮れのなか、天候が変わることもなく、俺たちは街の中をさまよった。


 俺は、ポケットにねじこんでおいた信号銃をもてあそぶ。

 これは、校庭内の運動具倉庫でみつけたものだ。サキ・アースのペアと互いに連絡を取りたいときには、これで音を発する。それを合図に、また校庭で落ち合うことを取り決めていた。サキたちも、同じものを持っている。


「用意、どん、……か」


 なんとも原始的な道具だが、物音ひとつもしないこの世界では、これで充分に事足りる。

 連絡手段が整えば、あとは、あるかないかさえも分からない手がかりを探すのみだった。


 延々と続く路地、同じような建物。見覚えがあるかないかも忘れてしまう、無意味な標識。

 あるいはいちばん最初に出た廊下のように、どこまでもループしているのかもしれない。だが、ここは広すぎる。「どこでループしているか」、それさえも見いだせない。


 広大ではあるが、あまりにも希薄な世界。


「……なにも、無いわね」と、桐香。唇から漏れるかのような、弱々しい言葉。


「根気よく探すさ」と、俺。


 頼りになるランドマークは、結局、俺たちのスタート地点である「学校」だけだった。

 それすらも、不意に見失ってしまえば、また位置を違えている。


 そんな彷徨の、さなかのことだ。


「……あ」と、桐香は立ち止まり、その建物を指さす。

 示された先には、ほかの家屋よりもあきらかに大きな建築物があった。

 ぐるりと高い塀に囲まれており、通りに面した正門は、門扉によって閉ざされている。

 そこに歩み寄り、門柱に埋め込まれた銘板を読もうとした。


『       』


 文字のあるべき箇所には、なにも刻まれていない。無名の建築物だ。


「……入ってみるか。ようやく見つけた特異点だ」


 俺たちは、門扉を押し開けて中に入る。施錠はされていなかった。

 正門からの小径を歩き、辿り着いた玄関。そこにも、文字情報はひとつも見あたらない。


「徹底してなんにも知らせたくはない、ってこと? 感じ悪いわね」


「それはそうだろう。ここでいまさら親切心を発揮されたら、そっちのほうが気持ち悪いさ」


 玄関から、館内へと足を踏み入れる。正面には大きなカウンターがあり、広いロビーのほかには、館内を埋めるように整然と書架が並んでいる。


「たぶん、図書館ね。……誰かいるかしら。いないとは思うけど」と、桐香。


 俺は、まずカウンターを調べる。

 カウンターには、一枚のメモが置かれている。

 それを手に取り、目を通す。


『14.3 A 999999』


 数字と記号。その文字列を別の場所でそのまま手渡されたのなら、間違いなく戸惑っただろう。だがここは図書館であることから、これが一冊の本を特定するための記号であることは、おおよそ想像がついた。


 あらためて周囲を見回すと、書架にはそれぞれアルファベットが振ってあることに気がつく。天井には、数字が記された札が下がっている。アルファベットよりも数字のほうがまばらに配置されていることから、数字はおおざっぱな分類で、アルファベットはその分類における書架の番号であることが想像できた。


「……ねえ、樹。ちょっとこれ見て」と、桐香。


「どうした」


 俺がそう訊くと、桐香は手にしていた本を見せてくれた。その本は白紙のページが束ねられているだけの、「本の形をした空白」でしかなかった。


「そこの本棚から適当に取ってみたんだけど、他の本もみんなこんな感じみたい」


「つまり、『はずれの本』だ、ということらしいな」


 館内にある膨大な本は、おそらくはただの空白、書き割りの延長にすぎないのだろう。


 俺は、メモを手がかりに目的の箇所を目指す。

 大分類、14。小分類、3。書架番号、A。六桁の数字は、おそらくは図書の番号だろう。

 果たして、俺はそれらしい本を絞り込むことができた。


「……これか」


 その本に貼られたラベルは、間違いなくメモに記されたのと同じ番号だった。

 書架から、その一冊を引き抜く。ずしりとした重みはあるが、装丁はほかの本と変わらない。書き割りそのものの、希薄な印象。

 題字はない。俺は、ゆっくりと表紙をめくった。

 そこには、ただ一行だけ、記されていた。



『この世界は、硝子の巨人。砕けてしまえば、もう、戻れない。』

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