第31話 Hook 釣り(10)




 ひゅる~る~。


 ひゅ~る~。


 ら、ら、ら!


 口笛のような音がする。


 そのたびにレイラの鎧の表面に火花が奔った。


 本来ならば、ミーシャとシンシャの技量と風断刃の切れ味をもってすれば、薄い金属板など切り裂くのはたやすい。


 これはレイラの受けの技によるものだ。

 しかし、それも限界に近い。


 片方の剣を受ければ、もう片方の剣が鎧を削る。

 卓越したコンビネーション。常にミーシャとシンシャの姉妹は周囲を動き回り、どちらか片方が絶えずレイラの視界の外に入り続けている。攻撃も毎回まったく同じタイミングで、何度も何度も生死を賭けた選択を迫られる。


「オホホホホホ」


「オホホホホホ」


「中々やるようだけれど、それもここまで」


「貴方の敗因は冒険者を軽んじたこと」


迷宮検査官死体あさり風情が「私たちを斬れると思わないことね」」


 半透明のセロファンのような極薄の刃――剣先は丸く、突く機能すら捨ててただひたすらに切れ味を求めたエクスキューショナーソード。


「そうだな。確かに出し惜しみはしていた。だが、軽んじているのは貴様らの方だ」


「あら「この期に及んで」負け惜しみ?」


 ――殺すわ。


 ひゅうん、と風が切り裂かれ、風断刃がレイラの喉元に迫る。

 金属疲労によって耐久力の限界を迎えた兜が、砕け飛んだ。


「な」


「に」


 人の肉や骨など、バターに熱したナイフを差し込んだように容易く切断する殺戮姉妹の腕に伝わるのは、硬い違和感。


 レイラは死んでいない。


 しかし、何故?


「貴様らはアッカーソンを軽んじた。アッカーソンは人の盾だ。我々は最後の一人になるまで魔物どもをほふり、災厄のせきに立つ。だからこれは人間相手に使うつもりはなかったが、貴様らは特別だ」


 鎧の内側から何かが膨れ上がり、びょうが弾け飛んだ。


 レイラの全身がめきめきと音を立てて、一回りほど大きくなった。


 皮膚の表面がそのまま硬質化して新しい鎧を構成する。


 腕に生成された甲殻が長剣を取り込み、右腕だけが異様に長い武器そのものと化した。


 同様に反対側の腕の甲殻は肩までを大きく覆い、丸みを帯びた盾を作り出した。


 一瞬あふれ出した豊かな金髪も凪いだ湖面のような瞳も、人喰いの怪物のような甲冑がすぐに飲み込んだ。


 そこには、威風堂々たる騎士がいた。


 真っ白な甲冑は、ねじくれた骨が全身にまとわりついたような異様ないでたちである。


 人の形はしているが、人ではない。


 強大な力が感じ取れるが、それ以上に何かが欠落しているという印象があった。


 ボルゾイ姉妹の全身の体毛が逆立った。生物としての本能的な忌避感からくるものである。


「アッカーソン――」


「化け物喰らいのアッカーソンか!」


 アッカーソン家は以前レイラが述べたように、魔物と戦うことを義務として請け負った家である。

 それはダンジョンに潜る冒険者たちが魔物狩りのエキスパートとして通用するほどの実力をつけた今でも、変わらない。


 一体や二体ではない。毎日何体も、魔暴走スタンピードが起きれば何百何千体もの魔物を狩り続けることが彼らの仕事。脆弱な人の身体では荷が重い。

 なので、アッカーソン家は人間を超越することに決めた。


 魔物を魔物たらしめる部位、魔核。動物や人間にはない、魔力を過剰に回す器官であり管理も難しいため、魔物を狩った際には早々に破棄されるものだ。


 この計画を始めた当時のアッカーソン当主は、人体には有毒な魔核を加工し、自らの子供たちに投与した。

 解毒剤と共に投与される魔核はすさまじい苦痛と引き換えに体内に浸透し、魔力の塊として結晶する。

 そうするとどうなるか。疑似的な魔物への変化が起こるのだ。


 魔核の毒素に耐えきれずに死んでしまうものが一割、体内に形成された魔力の結晶が暴走して本物の魔物に成り果ててしまうものが二割、副作用による苦痛に耐えきれず自害するものが二割。


 生まれた子供の内、二人に一人が死ぬという過酷な選別を経て、アッカーソンの狩人は完成する。


 残酷なまでに己の生命を試された狩人たちは、それ故に強い。

 しかし、人間の枠を超えてしまった彼らは守るべき同胞からも畏怖の視線を向けられることになった。それがシンシャが口にした“化け物喰らい”の異名の由縁である。


 レイラの心はそんな罵倒では揺れることはない。


 レイラを支えるものは、アッカーソンの家に生まれた者が当然のように持つ義務感であり、狩人として生きてきたものが持つ自負心だ。そして、更に根拠のない正義感。


 白くねじくれた骨の騎士は揺るがない。


「貴様らは殺さない。殺人は死罪だが、私は殺されてやるつもりもない。殺さないし、殺されない。赤い竜との取り引きに貴様らは必要になるからな。だから――」


 ――死ぬなよ。


 内容とは裏腹の死刑宣告じみたレイラの言葉に、ミーシャとシンシャは戦士の笑みで応じた。



 俺とクタラグは、スラムのあちこちに無秩序に点在する民家の屋根の上をピョンピョン飛び跳ねている。


 クタラグは逃げながら事前に仕掛けた罠やスローイングナイフを駆使して俺の戦意を削ごうとしてくるが、それは悪手だ。


 彼がシーフとして一級であると認めるにやぶさかではないが、はっきり言って俺とは相性が悪すぎる。

 ナイフを投げるにしたって、そうだ。


「当てようと思って」「狙って」投げてる時点で、俺に取ってかわすのは簡単だ。

 意思を読み取れる俺からしてみれば、来ることがわかってるのを満を持して対応できる。

 罠だって同じだ。あそこにトラバサミを仕掛けてるから自分では踏まないようにしとこう、なんて考えてる時点で俺にとっては罠のていをなしていない。


 俺は余裕を持ってクタラグのナイフを弾き飛ばした。


 俺を殺すのならば、わかってても避けることができない広範囲の殲滅魔法や、弾道が使用者の意思と必ずしもリンクしないマシンガンの乱射なんかが有効だ。どちらもクタラグにはできないことだが。


 クタラグがまきびしをまいた。シーフと言うより忍者だな。

 もっとも、これの対処も簡単だ。俺がサイコキネシスを振るうと、ほうきで掃いたみたいにまきびしが道を開ける。


 クタラグは表情には出さないが、じわじわと内心が焦りと動揺に支配されていくのが手に取るようにわかった。


 射程距離からやや離れているせいで直接心にショックを与えて動けなくさせるような真似はできないが、こうやって逃げ回るのも時間の問題だ。


 俺は優しいのでいきなり絶望させてやったりなんかしない。


『つまらぬ男よのう。ああいう獣はとっとと捕まえて吊るし切りにするのがよい』


 猟犬じみた本能をむき出しにするアリザラ。


 血のような精油が毛細血管のような刀身の内部に流れ込み、剣先がピクピクと震える。獲物の体臭を欠片も逃さない優秀さ。


 まあ、ゆっくりやろう。時間はこっちの味方なんだからな。

 赤錆あかさびのような諦めがクタラグの心にじっくり浸透するまで、この無意味な追いかけっこをしてやろう。


   *

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る