第19話 Jewelry 宝石(10)
より近寄ると、蛮竜の死体が見えた。ちょっとした小山のような大きさだ。
頭部には棘とは別に、赤く朽ち錆びた鉄の破片が刺さっている。その古さから見て、白虎の谷のものではなく、より昔の冒険者が命と引き換えに突き刺したのだろうと推測できた。
頭に戦斧を叩き込んだ程度で死なないからこそ、ドラゴンは恐ろしい。最下級の蛮竜ですらそのような生命力を持っている。
ドラゴンの死体は簡単に腐ったりはしない。今さっき腹を裂いたような、鮮烈な血臭だった。
そしてダンジョンの魔物はドラゴンの死体を見つけても、手を出すことはない。それだけ強く、存在の級位が高いのだ。最低でも死んでから一ヵ月以上経たないと、ダンジョンの魔物によるドラゴンの死体の解体は始まらない。
最初は、ライザが先に冒険者ギルドの部下をやって蛮竜の素材を解体させているのかと思ったが、どうやら違う。
そもそもライザが俺に依頼した以上、捜査の邪魔になるようなことをするはずがない。現場の保存はこの世界でも基本だ。
ばりっ、ばりっ。
蛮竜の死体の前にどっかりとあぐらをかいたそいつから、音はしていた。
ベりり、と音を立ててそいつは蛮竜の鱗を剥がした。アリザラを使った俺ならできるかもしれないが、素手の人間がやることではない。
傷口からあふれた血を、地面に這うことも構わずにそいつはずぞぞ、と飲み干した。
そいつは俺たちに背を向けていたので、腰まで届くような長髪くらいしか見える部分がほぼなかった。
そいつの髪は、まるで鍛冶屋の炉が人の身体に無理やり押し込められたような真っ赤な色だった。
そいつは俺たちの方へと振り向いた。口元は血にまみれていたが、それよりもそいつの眼の赤さが鮮烈だった。
そいつは蛮竜の死体を喰っていた。
全身が真っ赤な女だった。髪が赤い。眼が赤い。口元も血に染まって赤い。
ワニのような巨大な爬虫類をなめした風に見える皮でできた服も、血でぐっしょり濡れて重そうだ。
俺は元の世界で聞いた、ドラゴンの血を全身に浴びて鋼鉄の肉体を得た英雄の話を思い出した。
こいつは英雄だろうか。それとも英雄よりも強いのだろうか。
そう思っていると、女はかじっていた骨を噛み砕いた。揚げた魚の骨よりも簡単にぼりぼりと蛮竜の骨を喰う。少なくとも、人間の域ではない。
ギラギラと赤く光る眼で、女は俺たちを見た。
「我を見たな。我と愛しい方の逢瀬を」
「見たよ」
あまりの衝撃に言葉が出てこない。
「ずいぶんと熱烈なキスだな。人前でするものじゃあない」
あ、嘘。意外と出てくるわ。
俺の軽口はお気に召さなかったのか、赤い女は俺たちに向かって手をかざした。殺気が辺りに満ちる。
俺はこの世界の魔法がほとんど使えないし、魔力を感じ取る能力も低い。それでもねっとりと肌に感じるほどの魔力だった。
『震えろ』
赤い女が口にした言語は、俺たちが用いる共通語ではなかった。人間に発音できるかどうかも怪しい。
意味が読み取れたのは、俺が思考の糸をたどって自分の持つ言語と結び付けたからだ。
殺気に反応して、レイラが長剣に手をかけた。
「馬鹿、よけろ!」
とっさに跳躍し、レイラに向かってドロップキック。転がったやかんみたいな音を立てて吹っ飛ぶレイラ、反作用で俺も逆方向に跳ぶ。
女の攻撃は対象の位置がずれたことで不発に終わったらしい。これがマルクとやらを殺した攻撃か。正体は読めないが、喰らったら一発で死ぬのはわかった。
俺はこっちの世界に来てから鍛えるようになったが、それでも体力は人並みの域を出ない。英雄なんて夢のまた夢だ。だがそいつらよりも俺の方が強い。俺には超能力があるからだ。
俺の
空中で俺は慣性と重力を無視して反転した。地面に足が触れる前に、サイコキネシスで作った足場を踏んでさらに跳躍。
『
抜こうと思うよりも早く、アリザラが鞘から飛び出て俺の手に収まる。誰にも聞こえない
アリザラの刃はガラスの断面よりも薄く鋭く、鍛え上げた鋼よりも硬い。そして意思持つ剣であるアリザラは、自ら最適な角度を維持して敵へと向かう。
俺がさみしい時におしゃべりしてくれるだけのマスコットキャラではないということだ。
魔剣の面目躍如。
受け止めようとした女の手首から先が、バターに熱したナイフを差し込んだみたいにたやすく切断される。
女は驚いた顔をしたが、驚いたのはこっちも同じだ。
剣を素手で受け止めようとしたし、受け止められるのが当然みたいな態度だった。
嫌な予感が、す――
――一瞬、意識が飛んでいた。
俺はどうしたんだ?
『彼奴め、わらわを蹴りおった。感謝するのじゃぞ。汝が直接受けておったら、
俺は心の中でアリザラに感謝した。アリザラが欠けたり切れ味を鈍らせたりしたことは一度もない。手入れいらずで便利な相棒だ。
蛮竜の血が耕した泥から俺は顔を引きはがした。ここがどんなに汚い寝床でもそのまま寝てしまいたくなるほど頭がクラクラしたが、冒険者にそんな自由はない。
俺は探偵だ、世界で一人のダンジョン探偵。望んでそうなったのだ。ならばタフに振る舞うことは義務だ。そう望み、そうあらねばならない。
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