17 だから俺様は恋を歌う

 何でこんなことになってしまったのだろう。

 文化祭当日。私は今、コスプレをさせられている。

 コスプレをさせられて、受付の机につかされていた。

 文化祭のうちのクラスの出し物はコスプレ写真館だから、前日になって「着たい子たちは着ようよ」ということになったのだ。そっちのほうが、お客さんを呼びやすいだろうということで。

 それはわかる。でも、何故かサナが張り切って、ムラモト先輩まで引っ張って連れてきて、メイクやヘアセットをされたのだ。朝登校すると二人にとっ捕まって、空き教室に連れて行かれた後、着せ替えから何からされてしまった。

 衣装はサナが用意したもので、私が大好きなキャラが出てくる作品のヒロインの制服だった。

 二人に心ゆくまでいじり倒されて、見せられた鏡を覗くと、そこには知らない女子がいた。ウィッグやカラコンまでしてしまったら、そりゃ別人になるよね。こうなると、コスプレではなく変装の域だと思う。

 劇的なビフォーアフターだ。「何ということでしょう」というナレーションが入っても良いくらい。

 サナはニコニコしながら「今日は可愛くしてなくちゃね」なんて言うけれど、今日は文化祭というただの学校行事だ。別に特別な日なんかじゃない。

 そう思うのだけれど、サナもムラモト先輩も何やら張り切っていて口を出せる雰囲気ではなくて、されるがままでいるしかなかった。




「姫ちゃん、化けたねー。日頃からちゃんとメイクとか髪とかしてたら超可愛いのに!」

「化粧映えする顔だと思ってた!」


 サナとムラモト先輩の着せ替え人形になった私は、教室に帰るとクラスメイトの女子たちからそんなふうに熱烈な歓迎を受けた。

 女の子って、こういうの好きだよね。

 私の変身ぶりを面白がったクラスメイトたちは、あとであれ着ようよとか写真撮ろうよとか、本来の趣旨から外れたことではしゃぎ始めた。

 開場して通りすがる人たちに声かけをしたり受付をするようになってからはだいぶ落ち着いたけれど、それでも自分の当番の時間が終わる頃にはクタクタになっていた。

 何というか、人からしげしげと見られるということに。他校から来た男子たちに冷やかされるのも、なかなかに辛いものがあった。

 これまで道端の石ころのように、蹴っ飛ばされることはあれど、手にとってしげしげと眺め回されることなどなかった人生だ。

 それが、コスプレをして華やかにしてもらった途端、これだ。何だか人間不信になりそう。

 北大路も、顔が良いばっかりにこんな経験を日頃からしているのだろうか……。

 そんなことを自然に考えて、私は自分が嫌になった。

 好きだと気づいた途端、色々なことが怖くなってしまって、結局今日まで私は、北大路を避け続けていた。

 北大路の視界に入らないようにして、向こうが声をかけようとする気配を察知したらものすごい勢いで距離を開けて、不意打ちをされないように気を張って過ごした。

 でも、そんなふうにしていたら、自分が一体何から逃げているのかわからなくなった。

 北大路からなのか、自分の気持ちからなのか。

 北大路はいつものように、私の姿を見つけたら「姫川ー!」って笑いながら手を振ってくるのに。私は、それにうまく答えることができなくなっていた。

 恋って、もっとニマニマしてしまうものだと思っていた。

 あったかくて甘くて、その人のことを考えると幸せな気持ちになるのが恋だと。

 それなのに、この恋は熱くて痛くて苦しい。

 北大路のことを考えると、私は呼吸もままならなくなる。



「メーさん、顔が死んでるよ? 寝不足? もしかして昨夜ゲームとかで夜更かししたんでしょ」

「してません。元気です」

「じゃあ、あれだ! 録りためてたアニメ一気に見たとか? あれ、辞めどきがわかんないもんね」

「違いますって」


 部活の展示のほうの当番をするために昇降口へ行くと、ほどよく空気が読めない部長がそんなことを言ってきた。否定するのに、まるで聞いちゃいない。様子がおかしいのを何でもオタ充のせいにしないでくださいと言いたい。

 でも、腹は立たなかった。ここで鋭く何があったのか見抜かれたらたまったもんじゃないから。


「それにしても、女の子って変わるもんだね」


 頭からつま先まで観察したあと、しみじみと部長が言った。横に座っていたべっち先輩もコクコクと頷いている。


「せっかくそうやって着飾ってるんだから、文化祭を楽しんで来てもいいんだよ?」

「俺たちは食べ物さえ確保できたらいいからさ。ほらほら、誰かと回っておいでよ。その格好を見せたい奴とかいるだろ〜?」


 何を考えているのか、先輩二人はニヤニヤとしながらそんなことを言う。こういう冷やかし方って、もうオッサンの領域だ。

 いつもだったら、そんなオッサン化が進む先輩たちをうまくかわせるのに、今はそんな余裕がない。


「……別に、一緒回りたい相手なんかいませんよ」

「え? ……あ、そうなの。……サナさん、早く来ないかなぁ」


 私のつれない態度に、困った顔で部長はここにいないサナに助けを求めようとしていた。

 サナは、クラスの当番が終わったあと、何か用事があると言って別行動をしている。済んだらすぐにこっちに合流するとは言っていたけれど。

 サナは、私が悩んでいることに対してすごく楽観的なことしか言わない。というよりも、楽しんでいる節がある。

 初めての想いを持て余す私は笑っている余裕なんてないのに、サナは「何をそんなに心配してるの?」とか言う。

 たくさんの女の子が、北大路のことを好いているのに、私ときたら気づいたばかりなのだ。出遅れたというより、周回遅れもいいところ。

 “好き”のその先がわからなくて、私は北大路から逃げているのかもしれない。



「メーちゃん、キンヤくんのステージの時間になったら行っていいからね。ちゃんと時間チェックしてるー?」


 展示を回る途中で立ち寄ったのか、まだ当番交代の時間じゃないのにムラモト先輩がやってきた。どっさりとタコ焼きやらワッフルやらを手にしている。そのタコ焼きやらは部長たちへの差し入れだったらしい。受け取った部長は「あと十年は戦える」なんて言っていた。


「プログラム見たら、吹奏楽のステージ終わったら軽音部の演奏が始まるみたいだよ。早く行って、いい場所取らなきゃ」


 何も知らないムラモト先輩は、私が北大路と仲が良いから、当然ステージを見に行くというつもりで話をしてくる。平山も張り切っていて「絶対見に来いよ」なんて言っていたし、北大路も私が見に来ると思っていたようだけれど、正直気が進まない。

 北大路に好意を寄せる女子たちと並んでステージを見上げることが、私にはできそうにないのだ。


「いえ……別にそこまで見たいわけじゃ……」

「もー行かないとか言いっこなしだよ!」


 私が、プログラムの紙をそっとムラモト先輩に返していると、サナがプンスカして走ってきた。

 結構な距離を走ってきた様子なのに、私の声が聞こえていたっていうのだろうか。怖い。地獄耳怖い。さすが保健室の悪魔の異名を持つだけのことはある。


「メーちゃんがそんなウジウジする子だと思わなかった! ダメだよ! そんな弱虫な自分を、幽体離脱してぶん殴る勢いじゃなきゃ!」


 サナは走ってきたそのままのテンションで私に訴えかけてくるから、わけがわからないことを言っている。それって、幽体で本体を殴るの? 本体で幽体を殴るの?

 とりあえず、怒られているのはわかるけれど。


「ステージ見に行くのが何だって言うの? 何も怖いことないでしょうが! でも、行かないと後悔するよ?」

「後悔、するかな……?」

「する!」


 サナの強い言葉に、ムラモト先輩もうんうん頷いて、「イケメンは見ときなって。タダで見られるイケメンは特に!」という謎の後押しをしてくる。

 事情が飲み込めていない部長は、「当番のことだったら、本当に気にしなくていいから、みんなで仲良く行っておいでよ」なんて言ってくる。

 私、後悔するんだろうか。ステージで歌う北大路を見ないと、後々になって悔いるのだろうか。

 確かに、そうかもしれない。私は、北大路に恋心を抱いている以前に、あの歌声に惹かれているのだ。それを特別なステージで聴かないなんて、きっと、すごくもったいない……。

 怖がっていないで、ちゃんと見ておかなきゃいけない気がして、そのことをサナに伝えようとしたとき、すごい勢いでこちらへ走ってくる人影が見えた。


「姫川さん、体育館に今すぐ行って!」

「本田さん⁈」


 その人影は、もう馴染みになってしまった本田さんで、かなりの距離を走ってきたのか、息も絶え絶えになっていた。


「北大路くんが、ステージに立ったんだけど、『大事な人がまだ来てないから歌えない』って言い出したの。……それって、姫川さんのことでしょ?」

「え……わ、わかんない」

「わかんないじゃないでしょーが!」


 気持ちが固まりかけたときに、伝令・本田さんの登場で、私は軽くパニックを起こしかけていた。そんな私の手をギュッと握って、サナが怒りながら走り出した。


「ま、待ってサナ」

「待たない! てか、待たせられないでしょ!」

「そうだよ! 走って、姫川さん」


 サナに引っ張られる形でぐんぐんと走らされる。その横を、ピタリと本田さんも並走する。

 文化祭を楽しんでいる人たちの波をぬって、私たちは走った。みんなそれぞれに文化祭を満喫しているから、女子三人が爆走していても誰の目にも不審には映らないようだった。

 頭の整理も追いつかないまま、連れられるままに走って、とうとう体育館に到着してしまった。重たい鉄製の引き戸を開けて中に入ると、観客の視線が一斉に私たちに注がれる。

 そのたくさんの視線から逃れるようにステージを見上げると、北大路と目が合った。「まさか」と思ったけれど、私の姿を確認した北大路は、ホッとしたように笑った。


「大変長らくお待たせしました。俺の待っていた人がやっと到着したので、演奏を始められます」


 マイクを通した北大路の声に、パラパラと拍手がわく。

 待たせたせいで会場が冷め切っていたらどうしようと思ったけれど、そんなことはないみたいで、少し安心する。

 ステージに立つ北大路は、何と私の大好きなあのキャラのコスプレをしていて、私はしてやられたことに気がついた。これじゃお揃いだ。横を見ると、サナがニンマリとした顔で私を見ている。

 走ったのとは別の理由で、私の心臓は高鳴り始めた。「これってもしかして……」とか「そんなまさか……」とか、いろんな感情が自分の中に生まれては消えてを繰り返して忙しない。

 ステージの上から私の姿はどう見えるのだろう。北大路は、ただただいつもの自信に溢れた俺様の顔で微笑んでいる。


「俺、何日か前から好きな子に避けられてるんだ。怒らせたんだとは思うけど、何やったかわからないのに謝るのってよくないと思う」


 マイクを握りしめて北大路は唐突にそんなことを言いはじめた。それを聞いた会場からは、冷やかすような声が上がる。

(ああ、やめて……!)

 顔が熱くなって、息がしづらくなって、酸素を求める鯉みたいになっているのに、両脇をサナと本田さんにガッチリとガードされて私は動けなくなっていた。

 本当なら、今すぐここから逃げ出したいのに。


「謝るわけにはいかないし、それに俺は言葉でうまく伝えられない気がするから、歌おうと思う。聞いてください。――『俺に彼女なんていないけど』」


 まさかのチョイスに、会場から笑いが起こった。私も、絶対にカラオケで歌ったあの曲で泣かせにかかる気だと思っていただけに、体の力が抜けてしまった。

 けれど、ひとたび演奏が始まれば笑いは引いていき、熱気と高揚感が会場を満たしていった。

 ギターやドラムの音に乗って届く北大路の歌声は、カラオケで聴くのよりずっと魅力的だった。こんなにも響くのかというほど、ジンジンと胸にしみてくる。

 平山と、おそらくコージと思われる男子がギターのポジションを争っておしくらまんじゅうのようにお尻で押しあっているのが目に入ると台無しになるから、恥ずかしいけれど私は北大路だけを見ることにした。

 向こうも少しも視線を外すことなく私を見ているから、見つめ合う形になってしまってすごく照れる。

(どういうことなの? いつから? 何で?)

 そんな疑問が頭に浮かぶけれど、とりあえず一旦脇に置いておこうと思う。

 今はただ、北大路の歌声を聴いていたい。

 これが終わったら、一発くらいパンチしてやりたい。どういうことなのかを、問い質してやりたい。

 でも今は、俺様が恋を歌うのをきちんと聴き届けなければ。

 歌うことが北大路なりの愛の告白なら、私はそれを聴く義務があるから。

 これが終わったら、私も伝えようと思う。

 “好き”のその先に何があるかわからないけれど、ただ好きだと北大路に聞いてもらいたい。

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