異世界の食べ物

 フィアたちは、迷宮のように入り組んだ住宅街の間を縫って進んだ。アリスは、先ほどランベイルからもらった紙切れを握りしめている。その顔は、真っ赤に染まっていた。彼女は紙きれを受け取った手をもう片方の手でさすりながら、


「当分手は洗えないですわ」


 と、うわごとのように繰り返している。


「あの、ルクアさん。……先ほどから、アリスさんの様子が変だとは思いませんか」


 フィアが心配そうにアリスの方を振り返りながら言う。すると、ルクアはドヤ顔で言った。


「今のアリスの状態に、タイトルをつけるとしたら。……アリスの初恋、かな。いやぁ、いいねぇ。青春だねぇ」


「ち、ちょっとルクアさんっ! 人をからかうなんて、失礼ですわ! 恋だなんて! だいたいルクアさんだって、さっきピンク髪の男性に一目惚れしたとか言ってましたわっ! ……ピンク髪?」


 口に出してから、アリスが少し首をかしげる。


「あら? さっき、ピンク髪の男性を目にした気が……? あっ」


 アリスの顔が、はっとした表情に変わる。ルクアは、しんみりした顔で言った。


「……うん。私がかっこいいなぁって思っていた人、さっき白の女王の犬って言われてた人だった。トゥルーって呼ばれていたっけ? ちょっと、思い出させないでよぉ……割とショックだったんだからぁ……」


 ルクアは言って、しかし半ば自分を納得させるように言う。


「そもそも私、二次元で好きになるキャラって悪役が多めだし!? 小説とかアニメなら、悪役から味方に転向するキャラクターなんてザラにいるしっ!? あの人だってそうかもしれないもん! でもこの前好きになった悪役キャラクター、死んじゃったんだよね……」


「はわわ、ルクアさん落ち着いて……っ!」


 言葉を紡ぎながらどんどん落ち込んで背中をまるめてしまい、ますます身長が縮んだルクアの背中を、慌ててフィアが優しくさする。


「……どうして私が好きになるキャラって、大体悪役なんだろう……? 悪役、尊い……。しんどい、つらい。悪役の魅力って、罪だわ……」


 アリスは肩をすくめて言った。


「フィアさん、触らぬ神になんとやらですわ。ほうっておきましょう」


「はいはい。すみませんね、小説とアニメオタクで」


 ルクアはすっくと立ちあがり言った。既に立ち直ったようである。


「でもハートの女王の一団とトゥルーさんに出会ったことは、無駄じゃないよ。さっきのハートの女王の一団のリーダー格は、本物のハートの女王じゃないってことだけは、分かったから」


「あの人、ハートの女王じゃなかったんですか?」


 フィアの問いに、ルクアは少し考え込みながら言った。


「これさ、私が物書き志望だからわかるんだけど。……あの女の子、一人称が『わらわ』だったでしょ? 『わらわ』は、フィクション作品では王女とか、女王が使う場合もあるけれど、本来は貴族の側近なんかが使う一人称だったり、奴隷を表す言葉なんだよね。それに、原作『不思議の国のアリス』のハートの女王の一人称は、「私」だったはず。……だから、あの人がハートの女王ではないことは、なんとなくわかるんだ。まあでも、今回は来なかっただけで、次に出会ったときには本物が登場しちゃうかもしれないけどね」


「ルクアさん、知ってます? そういうの、フラグっていうんですわ」

「大丈夫、知ってる。……そして、フラグはへし折るものだってこともね」


 ルクアはぐっと親指を突き出した。フィアとアリスは大きくため息をついた。


「ねぇそれより、アリスがもらった紙切れの住所、この辺なんじゃない? 表札の下の数字見てる感じ、そろそろ近いと思うんだけど」


「家の色は、紫色。家の主人は、家の壁のペンキと同じ紫色の長髪。目つきが悪いぶっきらぼうなツンデレ……だそうですわ。……あ、多分あの建物ですわよっ!」


 ルクアの声に、アリスが紙切れの内容を確認し、一軒の家を指さした。三人は、家に向かって走り出した。


 ドアについているドアノッカーを三度ドアに向かって優しく打ち付けると、すぐに家の持ち主が出てきた。その顔を見て、三人は驚いた。


「なんだ、さっきの客か。……ウチまでやってくるとは、どういった用件だ?」


 出てきた人物は、先ほど広場の出店でフィアに出来損ないのクッキーをくれた、濃い紫色の髪を束ねた青年だった。

♢♦♢♦♢♦♢


 もう夜になるから、と青年は家へと招き入れてくれた。三人は、事情を説明した。と言っても、アリスはランベイルがいかに素敵だったかしか語らなかったし、ルクアはルクアで自分たちの敵だと思われる、桜色の髪の青年がいかに儚げで、容姿端麗だったかしか語らないので、結局のところフィアが、たどたどしい言葉で説明するしかなかったのだが。


「まったく、めんどうごとには巻き込まないでほしいもんだ。ハートの女王軍がウチに乗り込んで来たら、どうしてくれるつもりだ。ま、全部あいつに弁償させるけど」


 青年は、ティアシオンと名乗った。彼は嫌味を言いつつも、三人に夕飯を振る舞ってくれた。といっても、店で買ってきたお惣菜を並べただけだったのだが。


 ルクアは遠慮もなしに、バクバクとお惣菜を口に入れていく。アリスもまた、手料理じゃないことに散々文句を言いつつ、ムシャムシャと食べている。その様子を見つつも、フィアは料理に手をつけられずにいた。それに気づいたティアシオンが、不機嫌な声で言う。


「悪かったな、店で買ってきた総菜ばっかりで。男の一人暮らしなんて、大概そんなもんだぜ」

「気を悪くしたなら、ごめんなさい。ただ別の世界の食べ物を食べたら、元の世界に帰れなくなるって本で読んだことがあって」


 それを聞いて、ルクアとアリスが同時に食べ物を吹きだす。大きくむせ返りながら、アリスが言う。


「フィアさんっ、そういうことはっ、先に言って下さる!? もう食べちゃいましたわっ」

「ああ、そんな話あったね。よもつぐへい、だったっけ。でもあれって、黄泉の国の食べ物を食べたらって話じゃなかったっけ。……それに、今どき異世界転生ものなんて世に溢れてるけど、別世界の食べ物食べて元の世界に戻れなくなっちゃったってのは、あんまり聞かない気が」

「でもでも……。ルクアさん、それってライトノベルの話ですよね……」

「ん? よもつぐへいも、言い伝えとかそんなんでしょ? どっちも根拠ないから大丈夫」


 まあもう食べちゃったから、もしそうだったら終わりだけど。ルクアはそう言って薄く笑った。そして、開き直ったようにまた食べ始めながら、銀髪の少女にもらった本を開く。出現した銀髪の少女はフィアに向かって言った。


『そういったところに警戒するのは素晴らしいことよ、フィア。まあ、この世界の食べ物を食べたからといって元の世界に戻れないということはないわ。それは、あたくしが保証する。今まで、物語の世界の食べ物を口にした物語修正師、および修正師候補生が元の世界に戻ってこれなくなったって報告は一度も上がってないから』


「うわっ、何こいつ! 幽霊!? フィア、勝手に人数増やすなよ!」

「ごめんなさいっ」


 ティアシオンの言葉に、フィアは慌ててテーブルの下に隠れた。


『幽霊じゃないわ、彼女たちの先輩よ。あなたはティアシオンね。口が悪くてツンデレ、モノづくりの天才の家に生まれながら、モノづくりが極端に下手。……ワンランク上を目指したいなら、彼女たちの誰かと契約を結ぶのをオススメするわ』


 銀髪の少女はツンと澄まして言うと、さっさと本の中に戻っていく。


「お前たち、物語修正師なのか」


 ティアシオンは、驚いた表情をした。ルクアが呆れて言った。


「それ、さっきフィアが説明したよ。……私たちは物語修正師候補生の資格を持つ者で、ハートの女王には命を狙われてるし、白の女王はよくわからないから、とりあえず逃げてきたって」


「オレ、半分しか話聞かないから」


 開き直るように言ってティアシオンは、続ける。


「それなら、お前たちの旅に同行してやってもいい。そろそろオレも、職人として色々な街を見て回りたいと思ってたところだから」


「いえ、無理についてこなくて結構ですわ。女子三人旅の方が楽しいですから」


 アリスが嫌そうに言った。ティアシオンはムッとしつつも、願い出た。


「少なくとも、多少の腕の覚えはある。連れて行っても損はないはずだぜ。これからどんどん、危ない目に遭う可能性が増えるかもしれないんだろ。だったらなおさら、連れてった方が身のためだぜ」


「素直じゃないなぁ。連れて行ってほしいんでしょ、どーせ」


 ルクアが言う。ティアシオンは、何か言い返そうとして言葉が思い浮かばない様子だった。そこにテーブルから少しだけ顔をのぞかせたフィアが、少しずつ言葉を紡いだ。


「わたしは、ティアシオンさんが一緒に行くのに賛成です。……なんだかんだ、文句は言ってますけれど、こうやって家に入れてくれましたし、ご飯も用意してくれました。そして今日、泊まっても構わないと言ってくれています……。さっきのクッキーを作ったような人だから、悪い人じゃないと思いますし」


 ルクアはそれを聞いてにっこり微笑んだ。


「よしそれじゃ、フィアの顔を立てて、連れてってやるか! いいよね、アリス」

「仕方ないですわね、フィアさんがティアシオンさんに惚れてしまったのなら……」

「はぁ!?」

「はわわっ、違います! ティアシオンさんが好きになったわけでは!」


 アリスの言葉にフィアとティアシオンが同時に声を上げる。二人の様子を見て、アリスとルクアはにやにや笑いを浮かべる。


「さて、料理食べても大丈夫ってことだし、たくさん食べて明日に備えよう!」


 ルクアが気軽に言って、料理に再び手を付け始める。ここでフィアもようやく、料理を食べ始めた。こうして、お菓子の街の夜は更けていった。

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