もの憂げな翌朝 9

「いけないことだとわかってるけど、私ね、クコがこっちにいてよかったと思った」彼女は力なくつぶやいた。「そばにいてくれるんだって。不幸中の幸いだった、なんて。自分勝手だよね」


 彼女にそんなふうに思ってもらえるのはうれしかった。でも、その言葉になんて言えばいいのかわからなかった。


「クコに会えなくなったのも、悪いことを考えた報いよね。ううん、本来は家族と一緒にいるべきなんだし。コクーンの夢でなら会えるんだし。だから私、クコが戻れたこと、ちゃんと喜ぼうって。でも……でも……」彼女は声を詰まらせ詰まらせ吐き出した。「本物のクコに会えないなんて嫌だよ!」


 今にも泣きだしそうな顔だった。懸命に自身を抑えようとしている。きっと、僕が彼女を大切に思っている気持ちの何倍も、彼女は僕を思っているんだろう。胸がじわと熱くなった。


「大丈夫」僕は口をついて出た。「大丈夫だから」


 いいきかせるように語りかける僕に、彼女の顔が上向いた。


「父さんと叔父さんが全力で原因を調べてくれている。ハッチは開きはしたんだ。じきに解決するよ」なんの根拠もない話だった。


「僕も船について勉強を始めたんだ。いざとなったら僕が直す」眺めた資料が恐ろしく難解で心が折れそうだったけど。


「君のそばに行きたい気持ちは僕も同じだよ」――それだけは。


 それだけは、希望的観測でも大風呂敷でもなく、偽らざる本心だった。


 彼女の顔が見る間にひしゃげていく。


「クコ!」「うわっ!?」


 全身に大きな荷重がかかった。体が柔らかく締めつけられる。


「マ、マリー」突然、彼女に飛びつかれて僕の声は裏返った。「な、なにをして……」

「私、クコに会いたい。絶対会う!」

「わかった、わかったから落ち着いて」思いのたけを耳元でぶつける彼女に、僕はあたふたと身をよじった。「これはまずいって」


 僕は石像のようにがちがちになった。女の子に抱きつかれるなんて、小さい頃を除けば初めての経験だ。同じ人間、同じ身長、同じ中学生なのに、まるで別の生きものに触れているかのような肌心地。ふくよかな体つきが密着して頭は真っ白だった。顔が火照る。心臓がばくばくと打っている。だめだよ、こんなのだめだって……。


 彼女の気が済むまでの短くて長い時間、天国とも地獄ともつかない心地で僕は棒立ちした。

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