53『なり損ないの雪だるま』
まどか 乃木坂学院高校演劇部物語・53
『なり損ないの雪だるま』
「乃木坂の三人が来てくれたところなんですよ。ほら、このクリスマスロ-ズ。あの子たちが持ってきてくれたんです」
お見舞いに持ってきたオルゴール(潤香とわたしが共に好きなポップスが入ってる)のネジを巻きながらお姉の紀香さんが言った。
「あ……!」
「え?」
「わたし、ここにタクシーで来たんですけど。地下鉄の入り口のところでキャーキャー言ってる雪だるま三人組……を見かけた」
「それですよ。まどかちゃん! 里沙ちゃん! 夏鈴ちゃん!」
モグラ叩きを思わせるテンションで紀香さんが言った。無性に、あの三バカが愛おしくなってきた。
気がついたら、紀香さんと二人オルゴールに合わせて唄っていた。
「フフフ……」
どちらともなく、笑いがこみ上げてきた。
「わたしも、いつの間にか覚えちゃって……いい曲ですね、これ」
「ええ、ゆったりした曲なんですけど、元気が出てくるんです」
「ですね……」
二人して、自然に目が窓に向いた。音もなく降りしきる雪。窓辺に立てば、向かいのビルはおろか、道行く人の姿もおぼろにしか見えないだろう。上から下に向かって雪が降るものだから、フと、この病室がエレベーターのように静かに昇っていくような錯覚におちいる。
「先生、コーヒー飲みません?」
「え、ええ」
「ちょっと、買ってきます。病院出たすぐ横にテイクアウトのコーヒーショップがありますから、微糖でいいですね?」
「あ、すみません」
「いいえ、わたしも、ちょっと外の空気吸いたいですから。その間潤香のことお願いします」
「はい、ごゆっくり」
「じゃあ……」
少女のような笑顔になって、紀香さんはドアを閉めた……遠ざかる足音は小鳥のように軽やかだった。
あらためて潤香の顔を見る……色白になっちゃって……でも、こんな意識不明になっても、どこか引き締まった女優の顔になっている。
去年の春、初めて演劇部にやってきたとき……覚えてる、潤香?
小生意気で、挑戦的で、向こう見ず。心の底じゃビビってるけど、もう一人の自分が尻を叩いてる……その、もう一人の潤香がこの顔なんだよね。いや、成長した「この顔」なんだよね。
最初はコテンパンにやっつけてやった。でも、潤香はそれに応えてくれた。そして学園祭では主役に抜擢。華のある女優になった……ミス乃木坂になって、中央発表会じゃ主演女優賞……潤香との二年近い思い出が、まき散らした写真のように頭の中でキラキラしている。
「お待たせしました」
紀香さんがコーヒーのカップを持って戻ってきた。一瞬表情を取り繕うのに戸惑った。
「先生も、いろいろ思い出していたんでしょ?」
「え、ええ、まあ」
「入院してからの潤香って不思議なんです。気持ちをホッコリさせて、昔のことを思い出させてくれるんです……どんなに辛い思い出でもホッコリと……」
二人いっしょに、コーヒーカップのプラスティックの蓋を開けたものだから、病室いっぱいにコーヒーの香りが満ちた。空気がコーヒーに染まって琥珀色になったような錯覚……きっと、外が雪の白一色だから。
「あの日も……雪が降りしきっていました」
「え……?」
「去年のいまごろ……」
「ああ、終業式の明くる日でしたね。電車とか遅れて出勤するのが大変でしたね」
「あの日も、こんな風に窓から降ってくる雪を見ていたんです……なんだか、自分の部屋が、エレベーターみたく穏やかに遙かな高みへ連れて行ってくれそうな気になって……」
「フフ、わたしも、さっきそんな気がしたとこ」
「その高みにあるのは……天国です」
「え……?」
「これを見てください……」
紀香さんは、左手のセーターをたくし上げた……危うくむせかえるところだった。
リストカット……
「その日が初めて。深く切りすぎて……でも、これで楽になれるって開放感の方が大きくて」
「紀香さん……」
「でも、潤香が……この子が腕を縛り上げて、救急車を呼んじゃって……病院じゃ、ずっとこの子に見張られてました。そのころ、この曲が耳について覚えちゃったんです」
「そうだったんですか……」
「それからは、潤香、いろんなとこへ連れて行ってくれて。春休みのスキーがトドメでした」
「あ、あの足を折ったの!?」
「わたしの気を引き立てようとして、雪が庇みたくなってるとこで、大ジャンプ」
「それで……潤香ったら、わたしに何も言わないもんで」
「約束しましたから、誰にも言わないって……でも、その約束、自分から破っちゃいました!」
ひとしきり二人で笑った。
「潤香の手首も見てやってください」
「え……!?」
即物的なわたしは、雪だるまになることもなく、病院の車寄せに見舞客を乗せてきたタクシーにそのまま乗って家路についた。
紀香さんには驚いた。しかし考えてみると、クリスマスイブに二十歳の(わたしが見ても)美人が、どこにも行かず、一人で妹の看病をしているのは少し頭を働かせれば分かることではあった。
そして、いい意味で驚いたのは、潤香の左手首。
ゴールドのラメ入りのミサンガ。
夏鈴が、部員全員のを編んだそうだ。潤香を入れて四人分を……そして、枕許の写真。
演劇部一同の集合写真の横に、それはあった。
タヨリナ三人組の……その上に掛けられた三枚の『幸せの黄色いハンカチ』
ちょうど赤信号でタクシーは停まっていた。
「ここでいい。降ろしてちょうだい」
「すみませんね、この雪でノロノロしか走れないもんで」
「ううん、そうじゃないの。はい料金」
恐縮しきりの運ちゃんを尻目に、わたしはドアが開くのももどかしく飛び出した。
わたしだって、雪だるまになりたい時があるんだ!
誰かさんが言ってたわよね。
「まだまだ使い分けのできる歳だ」
今日ぐらい使い分けたっていいじゃんね!
その直後、お祖父ちゃんから、ひどく即物的な電話がかかってくるとは夢にも思わない、なり損ないの雪だるまでありました。
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