28『凛然とした禿頭』

まどか 乃木坂学院高校演劇部物語・28   

『凛然とした禿頭』




「ありがとう……」


 言い尽くせない感謝の気持ち、それが、ありきたりの言葉でしか出てこないことがもどかしかった。

 修学院高校の制服は、問わず語りに、あらましのことを語ってくれた。

 彼は、グラウンドに面した道路を自転車で通りかかり、倉庫の火事に出くわした。だれか人が取り残された様子に、開け放たれた通用門から一気に自転車でグラウンドを駆け抜け、中庭の池に飛び込み、全身を水浸しにして倉庫に突入。すんでのところでまどかを助けたようだ。


 ただの通りすがりがここまでやるか……?

「ところで……」

 と、聞きかけたところで救急車が消防車といっしょにやってきた。


 検査の結果、まどかは、かすり傷。修学院高校も無事と分かった。

 ただ、まどかはインフルエンザにかか罹っていることが分かり、注射一本うたれて、そのまんま駆けつけたご両親に付き添われ、タクシーで自宅に直行した。それを見送って振り返ると、教頭先生が怖い顔をして立っていた。


 一週間に二度も、生徒を危険な目にあわせ、火事まで出してしまった。


 ただでは済まない。とにかく校長……下手をすれば、理事長の呼び出しと覚悟した。

「今から学校に戻って、お話を……」

「それには及びません。こちらから連絡するまで、自宅待機……なさっていてください」

 手回しのいいこと。さっそくの自宅謹慎か。



 三日は謹慎させられるかと思った。その間にわたしに関する悪い資料が集められ、理事会で、わたしのクビが決定……と、思いきや、明くる朝には呼び出された。


 職員室にいくと、「気の毒に」と「ざまあ見ろ」というオーラを等量に感じた。

「貴崎さん、理事長室に直行してください」

 教頭が頭を叩きながら背中で言った。早手回しに「先生」という敬称も外している。

 理事長室には、来年には卒寿という理事長が一人で待っていた。


「大変でしたな、貴崎先生」

 来客用のソファーにわたしを誘って、理事長が言った。東向きの窓から差し込む朝日がまぶしかった。

「不徳の致すところで……」

 頭を下げかけると、テーブルの上にスポーツ新聞が四つ折りになっているのが目に入ってきた。


 頭に血が上った。


『新進俳優、高橋誠司、某私立女性教師と不倫!』


 一昨日の晩、あのホテルの前で、伸びをしている小田先輩と大あくびをしているわたしの写真が大写しで出ていた。わたしは目こそ隠されていたが、知り合いが見れば一見してわたしと分かる。記事も、学校名は伏せられていたが、二三行も読めば乃木高と知れる。

 わたしは、ほんの一二秒でそれを読み取った。

「いやあ、つまらんものをお見せしましたな」

「これは……?」

「さっき、教頭の識別子が持ってきましてね。いや、つまらんガセネタであることは分かっています。電算機で確認もしましたが、その高橋さんのプロダクションが明確に否定しておりましたよ。なんせ、あなたたちの前を通ったお巡りさんの証言も得ていることですから」

 そう言えば、あのとき二人の前をお巡りさんが通っていったっけ……。

「識別子も、つまらんものを持ってくるもんだ」

 理事長は、見事に禿げあがった頭を撫でた。

 その手を見て思い出した。「識別子」とは「バーコード」の和名である。思わず吹きだしかけた。どうも、このお気楽さは、我ながら女子高生であったころから変わりがない。


「芹沢潤香さんのことなんですが」


「はい」


 わたしは緩んだ表情を引き締めた。

「今朝早く、お父さんが来られましてね。職員室で、ご心配のあまりなんでしょう、識別子に詰め寄られていらっしゃいました。潤香さんの意識が戻らんようです」

「え、お医者さまが直に意識は戻るだろうって……」

「ええ、だからこそのご心配なんでしょう。もって行き場のない不安を学校に持ち込んでこられたんです。いや、戦時中にもあったもんです。戦闘中に意識不明になり、半年たって意識が戻ったら、終戦になっていた奴もおりました。無論、医学上の問題はよく分かりません。しかし、ここで学校が直ちに責任をとらねばならない問題ではないと認識いたしております。そこのところは場所を、ここに移して、校長さんにも立ち会って頂いて、お父さんには了解はして頂きました」

「……わたしの責任です」

「思い詰めないでください。貴崎先生、潤香さんのことは、お気の毒ではありますが事故であったと、認識しております。最初に見たてた医師が大丈夫と判断したんです。MRIでも異常は認められなかった。それに基づいて医師は判断したんです。倉庫の火災も、昨年先生から、配線の垂れ下がりを指摘されていました。これを放置していたのは学校の責任であります」

「でも、わたしも、それを忘れてしまっていました」

「貴崎先生。無理かもしれませんが、ご自分をお責めにならないようにしてください。学校も組織ですので、一応理事会にはかけねばなりませんが。わたしの考えは、今申し上げた通りです」

「ご配慮ありがとうございます。でも……では、失礼します」

 わたしは席を立った。朝日はもうまぶしくないところまで上っていた。

「貴崎先生」

「はい」

「あなたは、淳之介……お祖父さんの若い頃にそっくりだ。熱くて、一徹者で、不器用なくらい真っ直ぐだ」

「……どうして、祖父をご存じなんですか!?」

「こりゃいかん……こいつは内緒事でしたな」


 上りきった朝日が、窓ぎわに立つ理事長の凛然とした禿頭をまぶしく照らしだした……。

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