あの時のまんまで
@wizard-T
前編
「ずいぶんとまあ長かったもんだ、ちょっと惜しかったかもな。まあノーカウントって奴でもいいかな、いいって事にしておくからよ」
たかが二日間の話なのに、亭主の物言いと来たらずいぶんと長い旅の帰りをして来たみたいだ。
亭主にとっての自慢の一つを、私はこの二日間で奪い去ってしまった。
特段どこが悪いと言う訳でもないけど、まあ年も年だしと言う程度の動機で受けた人間ドック。俺は豪華客船じゃあるまいしとか言う減らず口を叩いて一度もそんな事をして来なかった亭主を置き去りにして、二日間ほどの入院生活なんて物をしてみた。
五十代後半の体力、視力はやや悪いがそれとて年相応レベル。
何か秘訣でもあるんですかと聞かれる度に別に何もありませんけどと言いながら首を横に振る物だから首が疲れてしまいましてねなんていうつまらないジョークを飛ばしては看護師さんたちの顔をほころばせもした。なんとも楽しい二日間だった。
考えてみれば生まれてこの方、とんと病気と言う物に縁がない。もちろん完全無欠の無縁と言う訳ではないにせよ、熱が38℃を超えた事は人生で二度しかないし、風邪で学校を休んだのも高校生までの12年間でたったの三度である。
もちろん骨折その他の経験もなく、せいぜいが肩こりなどの時にこう薬を貼り付けていたぐらいだ。
そしてそれは、亭主も変わらなかった。
お役人様ってのは本当に楽な稼業なんですねとか嫌味を叩かれまくっていたのはよーく記憶に残っているが、もし仮に本当に楽な稼業だったのならば最低いっぺんは病気で倒れていただろう。
「どうして俺の息子たちは俺にもお前にも似なかったんだろうな」
「私たちが全部持ってったんじゃありませんこと」
何百回目だかわからないやりとりだ。
私たちが健康を気取っているのに対し私がこれまでの三回の入院生活でこさえた子どもたちの内長男と末っ子の男子はやたらに体が弱く、年間に二けたは学校を休み太っていたわけでもないのに体育の成績は下位だった。
一応間に生まれた娘だけは比較的壮健だったものの、それでも先月の自分たちの金婚式の時には熱を出して顔を見せる事はできなかった。
四十五歳にして四人の子どもをこさえるほど頑張ったのだから仕方がないか、なんて言う言い訳を封じ込めてしまっている事を考えると健康も良し悪しだなと思えて来るから厄介である。
「まあ飲めよ」
「あらどうも……まあ、昔からこれだけはものすごくおいしかったですからね」
「まあな」
幾十年の小役人生活で身に付けた最大の芸だと自負する亭主が入れた緑茶をすすりながら自分なりに人生を振り返ってみると、これと言って不満がない事に気付く。
築四十年、末っ子と同い年の家。あちこち古びてこそいるものの夫婦二人の終の棲家としては悪くはない家。
三人の子どものために使った部屋はそのほとんどが物置となっている。
自分たちの内片方でも健康で残っている内はこの家は生かしておくように三人の子どもたちに言いつけてある。
勢い込んで土地まで買って、小役人のたかがしれた給料で今から思うとずいぶん思い切った事をやってくれたと思う。
そのせいで、ローンがなくなるまでも二十年間、旅行なんてまともにやった事がない。いや五十路になりローンからも子育てからも解放されたところで、さしてどこかに行こうとは思わなかった。それが不満と言えば不満なのだろうが、その代わりと言う訳でもないだろうけど服とアクセサリーについてはほぼこちらの要求を呑んでくれた。
そのせいか、私は何らかの集まりで近所の主婦と言う名の同業者と集まるたびに存在感を発揮する事ができていた。そしてそのたびにこの前入院した時と同じように、ありもしない健康の秘訣を聞かれた。
肌に関しては、人並み以上の事は何もしていなかった。今だって、来年古稀を迎える人間相応にきれいであれば十分だと思っている。現在のように少子化の波が押し寄せ続ける昨今と違い、自分のような三児の母も珍しくない時代になぜ自分がそんな風に言われるのか、いくら鏡を見てもわからなかった。
「やはりあれですか、奥様はずっとお庭でお花を育ててらっしゃいますから」
太陽に当たり土に触れ風を感じ、植物と言う生き物と触れているから元気になれる。自分勝手にそんな理屈を作られては勝手に納得される事も多かった。
確かにまだ持ち家もない頃から鉢植えで植物を育てていたし、庭付きの家を持つようになってからもずっと植物にべったりだった。
でもそれだけが健康でいられるのならば世の園芸家はみんな病気知らずだろう。実際、自分と同じように植物に触れていたはずの長男と次男の事を考えればそんなのはでたらめだとすぐわかる話で、まったくとんだおべんちゃらだ。
自分だって別においしくもなかった奥様の手作りクッキーをもっともっととねだるような真似をしてみた手前大きなことは言えないが、もう少し考えてから発言して欲しかったと思わない訳でもない。
もし自分たちを健康足らしめている物があるとすれば、それはおそらく粗食であるという事だろう。二人して好き嫌いがまるでなく、出された物は何でも食べていた。最近になり味の濃い物を受け付けなくなり始めた物の、それまでは何でも食べていた。
独立した子らから送られて来た見た事のなかったいろいろな食べ物も、好物とまではならないにせよほどほどにおいしく食べられていた。
もちろん子どもたちにうまい物を食わせてやろうと思いはした。
でも自分にも亭主にもその類の欲がまるでない物だからお前たちだけ食べなさいとなり、最初は喜んでいた子供たちもやがて申し訳なさが先立ったのかだんだんと求めなくなった。
とくに何か意識していた訳ではなく、ただ自分たちの思う通りにしていただけ。狙ってやっているのならば息子たちがこんなに病弱に育つはずなどない。もちろん三人の子どもの欲求は食べ物以外にもあらゆる方向に及んだ。
その際にもおおむね似たような調子で接し、そして同じように離れて行った。その結果三人とも勝手に自立して勝手に結婚し、勝手に所帯を持った。姑として辣腕を振るうような機会もなく、ずっとこの家で老いるのを待っている。
一番近くに住んでいる長女でも歩いて三十分かかる。それも向こうの足での話であり、こちらの足ならばもう十分は余計にかかるだろう。
そして二人の息子の家はそれこそ電車を使っても何時間もかかる所にあり、そのせいか知らないがもう五年以上二人の家に行った事はない。そしてたまに息子たちがこちらに来た所で、何も変わってないですねから話が広がる事もない。
「またその文句なの」
「だってそうですもん」
なんとも中途半端な場所。
地元の事をどう思いますかと言われれば、そうとしか言いようがなかった。過疎地と言うには人口が減らないし、かと言ってこれと言った産業があると言う訳でもない。
適当に山があり、適当に海に近く、適当にビルが建っている。大都会に出ようとすれば新幹線など使わず普通の電車だけで二時間ほどで行ける。
「おばあちゃんって若いよね」
孫たちが言うセリフもまたいつも同じだ。
もう一人祖母がいるのに自分の父の母ばかりほめてどうするんだと言うのは年寄りの揚げ足取りであり難癖であろうが、もう少し他に言う事もないのだろうか。
長男がこさえた二人の子どもと次男が作った一人の子どもは会えば会うだけ図体が大きくなっていると言うのに、三人ともそんな事ばかり言う物だから毎度毎度同じ事しか言えないのかいと言ってやったら大変わかりやすく首をかしげてしまった。
若いと言うのは、噓偽りのまるでない本音なのだろう。わざわざその本音の揚げ足を取ってやる必要もなかったなと今では口をつぐんでいる。
「俺もいよいよもって爺だよな、あの野郎こんなもんを寄越して来やがって」
「嫌ですねえ、お互い二十年以上前から爺であり婆でしょう」
今年の正月、いつも若い若いしか言わなかった初孫が私たちのとこに一通の年賀状を寄越して来た。そこには初孫が腹の膨れた女性と一緒に横たわっている写真がでかでかと写っている。
そして二ヶ月前、その中にいた二人の男女は外界に飛び出し、私たちに曾祖父と曾祖母と言う肩書きを投げてよこした。
茶をすすりながら横になり、たまに効き目があるのかないのかわからない簡単な体操を行っては当てもなく散歩をする。熱中症うんたらかんたらと言う訳で飲み物だけは買って来るようだがタバコも酒も現役時代からまともにしなかったような、道楽と言えばスポーツをするか見るかしかない人間が今更たがが外れた様に遊びほうける訳でもない。
四角四面と言う訳でもなく若い時には深夜まで酒を呑んで千鳥足で帰って来た事もあったが、それでもそれはあくまでも若い時だけで自分の財布が痛まないように飲む程度には狡猾であり倹約家な夫であった。
酒をやめるとテレビを見るようになり、レンタルビデオ屋に行っては昔のスポーツの映像を見漁っている事もある。一万数千円の安いDVDプレイヤーにディスクを突っ込んでは笑ったり泣いたりしているその姿は、ある意味正しい隠居生活の姿なのかもしれない。
もっとも私には、そんな物を見る時間はない。定年になりようやく人並みに家事をやり始めた亭主だが、掃除洗濯ばかりで料理はまるでしない。
いや私が二十年ほど前にやらせてひどい目にあったのを覚えて止めているのだが、もうひとつの大事な任務について少しは構ってくれてもよいと思う。
「さすが俺の女房だなんてでかい事を抜かしてもいいだろ、なあ」
「私は全然そう思ってませんけどね」
毎年であり毎日の事だ。少なくともこの家と土地を手に入れてからは極力欠かさずにやって来た庭の手入れ。
そのおかげで夏になると近所の人たちがやって来た写真を撮りたがるぐらいには咲き誇る花たち。雑草を数に入れれば二けたに届くだろう植物が踊る庭に、私の人生は支配されていた。
「俺も人の事は言えないけど、誰も関心を示さないとはな」
「いいんですよ、私がそう仕向けて来た面もありますし」
亭主を含む男子たちはもちろんの事、娘もこの庭にはさほどこだわりはなかった。
趣味の少ない母親のただ二つの楽しみの内の一つにわざわざ干渉する必要もあるまいという事か、よくできた娘とも言えるがどこか機械的と言えなくもない。
三人とも花の事などびた一文知らなくても喰える職業に就いた事を知った時には、面白い事になった物だと二人して大笑いした。
それでも亭主も子どもたちも私がそれなりに熱を上げていたせいか生半な知識だけは持っている。それがいいのか悪いのかはわからないし、実際どうでもいい話だ。
昔から着て来た白い木綿のシャツにジーンズ。
タンスの肥やしに成り下がっている訳でもない服はきちんとあるのだが、それでも庭いじりの時はどうしてもこの格好になる。土産物でも何でもない安物の麦わら帽子、それでも十何年と使っている内に奇妙な味が出て来て今ではパートナーのようになっている。
スコップやバケツ、じょうろやホースだってしかりだ。
別に古い物を好んでいる訳でもなく、なんとなくで使い続けているだけにすぎない代物。
変わった物と言えば肥料ぐらいだろう、昔はなんとなく避けていた化学肥料も今ではほとんどそれしか使っていないぐらいになっている。
まあ天然の肥料が手に入らなくなったと言う現実の方が重いのだが、無理矢理に変化を求めるつもりはない。
十八歳の時、お見合いすら経ない形での縁談により私は結婚した。正確に言えば十六歳になった直後に許嫁とかなんとかと言う理由で今の亭主と縁談を結ばされており、高校を卒業と同時に結婚するのがほぼ既定路線になっていた。
それでも三つ上の現亭主が私が高校を卒業するまでに公務員試験に受からないのであれば縁談は取り消しと言う事になっていたが、亭主は見事に一発で役人になった。その時の父のはしゃぎようと来たら、半世紀経った今でもはっきりと覚えているぐらいだ。
そしてとりあえず顔を合わせてからと言う正論のつもりの言葉をぶつけてみたら一瞬ではしゃぐのを止め、心底心配そうな表情で私の顔を見つめた。
「まったく、うちの娘が心配性で仕方がなくて、本当に申し訳ありません」
「まあね、どんな相手なのか事前に知っておかないといろいろ不安ですからね」
そう言いながら今の義父母に向かって頭を下げる父の顔はまったくしょぼくれた物であり、私もまるで自分がこれまでの父の人生を全否定するような事でも言った気分になって顔を上げられなくなってしまった。
「何やってるんだ、見たいと無理強いしたのはお前だろうが」
「どうしろって言うの!」
そうしたらそう頭ごなしに矛盾した理由でどなる物だからついいら立って声を上げたら、あの数日前まで戦前に開かれる予定であった東京オリンピックを狙っていたと日々豪語しその後戦争に駆り出され、帰還後本当に行われた東京オリンピックで聖火ランナーの座を同僚たちと争って見事に勝ち取った、たくましく力強い肉体を持ち威厳たっぷりだった父親が大泣きしてしまった。
ああなんてことをしてくれたんだ、これで何もかもおしまいだ、お前のような行かず後家を育てたつもりはなかったのにと犬か赤ん坊のようにわんわん泣く姿はあまりにもみっともなく、申し訳なさを通り越して呆れてしまった。
「それが何か問題で?」
その父に対し今の亭主が事もなげな様子でそう言ってくれたのを聞いて、私はようやくこの好きでも嫌いでもなかった人間に愛情を持つ事が出来るようになった。
全くみっともないったらありゃしない。
その言葉が私が帰宅した家で飛び交って行た。
言うまでもなく先に発したのは父であり、その有様を聞いた母が同じ文句を父にぶつけた。まったく、二年前に四つ上の姉を同じように見合いをして送り出したのになんで私の時に限ってと文句も言いたくなる。
男女が交互に生まれた五人兄弟の四番目である私、それほど甘えられなかった上に年子の末っ子の面倒を見る役目ばかり押し付けられて来た私自身親に対する潜在的な不満があったのかもしれないが、それでもなぜかあっさりと父親に見切りをつける気分になれてしまった。
ついでにこの時、私は戦争の無意味さを知った気になった。
それからはずっと、放課後は花嫁修業のために費やされた。
母親に付き従いながら家事について本格的な学習を行い、炊事洗濯掃除裁縫と言った家事の手練を叩き込まれて来た。
他にも実家から一キロの距離に嫁いだ長女がたまにやって来ては私の腕前を試して来た事もあった。もちろん先輩様の貫禄を見せつけられていたが、それでもそれほど悔しさはなかった。
盗もう盗もうとして必死になっていたせいか、それともまだ若かったゆえか毎日続いた割に疲れる事も飽きる事もなかった。
そんな中たまたま実家にあった今の家のそれよりちょっと大きい庭に咲いていた、名前も思い出せない様な花を見てなんとなくきれいだと言った途端、母も兄嫁も姉もここぞとばかりに私に花と庭について教え込みにかかった。
ガーデニングなどと言うバタくさい文字が伝播するはるか昔、家の中に四六時中いるのが当たり前の女性の趣味としてはちょうどうってつけだったのかもしれない。
あの庭自体、誰が基礎を作った訳でもなく野ざらしに近い状態であったはずだ。そんな母も兄嫁もまるで手を付けなかった庭に花が増え始めたのはちょうど高校を卒業しようとする間際だったはずで、弟などは姉ちゃんはずいぶん可愛がられてるんだなとかしょっちゅう愚痴をこぼしていた。
でも、まもなく家を去る人間のために何をここまでする理由があったと言うのか。ある意味での嫁入り道具を持たせるためとか言う名目にしてもやりすぎとしか思えない熱の入りように、内心では少し引いてしまっていた記憶もある。
三十歳の時母親の還暦祝いで戻って来たらもう荒れていた事を考えると、あるいは父がこのままでは私が本当に嫁に行けないのではないかと怯え、なんとかして私に女らしく家から離れる必要のない趣味を植え付けようとしたのではないかとも思えて来る。
「孫は元気か」
とその時、いや普段からやたらしつこく聞いて来たのは、今から思うと病弱気味な子どもたちの身を案ずると共に離婚の二文字に対する怯えだったかもしれない。
子はかすがいとか言うが、だからと言って何もあそこまでと思いもした。
「もっと何べんも来た方がいいですかね」
「いやいいよいいよ、キミがうちの娘を大事にしている事はよくわかったから」
確かにその時から私は植物の世話と服とアクセサリー以外変化の少ない生活であり実家への帰省は数少ないリゾートであったが、それでもこの親のまるで威厳のないありさまを見るとだんだんとその気は起きなくなって行った。
しかしもしこれが私に何があっても離婚などしてはいけないぞなんて考えさせるための父の策だとしたら、まったくしたたかな話だ。
「もしもし」
めったに鳴る事のない電話が唸り声を上げた。亭主が役人時代の晩年に必死になって覚えた携帯電話は既に旧型と化し、現在家で幅を利かせているのは二十年前に取り付けた据え置き電話ばかりだった。
居間で横になっていた亭主はその据え置き型電話の真ん前にでかでかと書かれている振り込め詐欺注意とか言う文字の貼り付けられた紙に適当に視線をくれながら、ゆっくりと受話器を握った。
「お前に電話だそうだ」
自分に向けて電話がかかってくる事など、一年に何回あるのかわからない。
そんな貴重な体験をさせてくれたのは一体どこの誰だと、足を弾ませながら亭主から受話器を奪い取った。
「もしもし」
「ああもしもし鈴木さん」
鈴木と言う、全くありふれた姓。だがそのありふれた姓をテレビやラジオ以外で聞いたのは、一体いつ以来だろうかわからない。
なぜか隣近所に鈴木と言う名前はまったくなく、子どもたちが学校に進学しても不思議なほどに縁がなかった。せいぜい同学年に二人ぐらいの物であり、日本一多い名字だなんて嘘だなと常日頃から思っている。
何より、私はもう半世紀以上前から鈴木ではない。
「あの、もしかして浅野さん」
「そうですよ鈴木さん」
要するにそんな呼び方をするのは、私が鈴木だった頃を知る人間しかいない。
あるいはと思って頭の隅っこに思い付いた名前をふと言ってみると、相手のテンションは一気に高揚したようだった。
そしてまた、鈴木と同じくなぜか浅野と言う姓にもここ半世紀ほとんど縁がなかった。一応テレビドラマとかでやっている忠臣蔵とかには浅野内匠頭と言う人間が出て来ていたが、生で会った事は本当に全くなかった。
そんな私にとって浅野とは、ありふれた姓ではなく固有名詞だった。
「いやお久しぶりですね、にしてもずいぶんとしわがれましたね」
「まあこの前古稀になりましたですから、当たり前ですけど」
そして私はその「浅野」の事をよく知っている。
しわが増えた手で受話器を握りながら動きの悪くなった頭を必死に動かし、かつての「浅野」の姿を思い浮かべようとしてすぐにやめた。
半世紀と言う月日は人間を容赦なく変える。若い若いとか言われた所で十代の時の自分と比べれば確実に婆だ、同じだったら逆に恐ろしい。必死になって思い出してあーあとなるぐらいなら予備知識なしの方がよっぽどいい。
「もし都合が付くのであれば明日でもお会いしたいのですが」
「少々お待ちください」
お待ち下さいとか言ってみたが、別にそんな用件はない。心の準備が付かなくてうんぬんとか言うつもりもない。
真っ白なカレンダーになんとなく視線をやりながら、亭主と庭の事を考えてみた。
庭の真ん中で私こそこの庭の主なんだと自称してはばからないスズラン。
今はちょうどほぼ花が散ってしまった時期だが、ひと月前は盛大に咲き誇っていた。人の一生に例えるには毎年毎年起こるせいで見慣れすぎていてそんな感傷を感じる事もなくなってしまったが、それでも自然を感じるには十分だ。
そしてその反対側の建物の中では亭主が何十年前のホームランを見ながら笑ったり泣いたりしている。葉っぱだけになったスズランのように、あれもあれで務めを終えた一種の成功者なのだろう。
一張羅を身に纏う私の姿を、亭主は満足そうに見つめていた。料理がまともにできない亭主を置き去りにするのは一昔前ならば心が痛んだが、今はそうでもない。
どうしてもやる気が起きない時に買って来たコンビニエンスストアのお弁当が、予想外においしかった上に亭主も気に入ってしまった。
二日間の人間ドックの時もどうやらそれですませたらしい、いまさら栄養のバランスうんたらかんたらの問題ではないがあくまでたまに買う程度であって欲しいと思っているし、亭主もその期待に応えている。
歩いて二十分、十年前なら十五分で行けていた駅前の喫茶店。
数年前になんとかかんとかと言う有名な店が入り込んで来た時は少し驚きもしたが、娘に連れられて入った時には結構おいしいじゃないと少し感心した。
もちろんそれ以来である手前何を頼むかなど全くわかっていないが、初めての経験がまたできるなと思うと少しだけ幸運かもしれない。
それにしても我ながら派手な服だと思う。二十年前の服を着られるのは自慢の種だとは思うが、なぜその時の私はこんな物を欲しがったのか一瞬だけためらい、それでもう先は見えているのだから好きな格好をさせろと意気込んでみたが、こうやっていざ本当に若い人たちが集まっている所に紛れ込んでみるとやはり六十九歳のおばあさんが珍妙な若作りをしているだけにしか思えて来ない。
その事に一瞬だけ気恥ずかしさを感じてみてひるんでみると、奥の席に座っていた一人の男性がゆっくりと立ち上がりながら、カーキ色のテンガロンハットを取りつつ頭を下げて来た。
「浅野さん」
「鈴木さんですか、ああ今は」
「鈴木でいいですよ」
亭主より少し黒味が薄くわずかに量の多い髪の毛を見せびらかしながら、人畜無害そのものの裸眼を向けて来た男性。
彼こそ、「浅野」だった。
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