異世界で私記は可能か
ジブン
第1話 序文
過去の私は24歳の平凡な男であった。
私という一人称の表明が、この文字を読むであろう対象に何の影響を及ぼすのか。それは主従関係である。私という架空の存在を前提として措定することによって、読み手はあるフィクションの共同制作者に仕立て上げられる。つまりは私という視点によってしか成立しない舞台における傍観者として、役割を強制されるのだ。あなたたちは被害者である。
このように予め、描写の限界を示すことを許してもらいたい。あくまで私という矮小な視点によって紡がれる、これからの物語は、私が介在できなかった無数の現実が、憶測や後付けによって補完されている。こうした諦めは著者としての未熟に他ならない。だからこの物語はあくまで私記として始まる。私は読み手であるあなたたちの存在を、私が私の体験をできるだけ客観的に記述するための装置として召喚しているにすぎない。だからこれはあなたたちに向けて書かれているようで、私の中の「あなたたち」を想定した問答である。真に読み手がいるかいないかは全く重要ではない。私は無人島にいても「独り言」を言ってしまうようなタイプなのだ。
ともあれ、突然私の身に起きた出来事は、客観的に記述しようとする意志さえ砕くような、急激な変化の連続であった。こうして筆をとり、その変化を私の中だけでも形に残そうと思いいたるまで30年を要した。
これから、私の「今」に至るまでを記述していく(註1)。
註1 「今」とはゾデル王没後10年の式典の夜、妻と二人の娘に囲まれ、いつもより少し豪華な食事をすませたあと、いつものように就寝前の熱い紅茶をすすっている時に、ふと昔のことを思い出した男が、ランプに火を灯し机に向かっている様を指す。なお既に気付かれた読み手のために告知しておくが、私はいわゆる「異世界」にいる。しかし、「異世界」という認識それ自体が、既にここではない本当の世界が存在するという倒錯を抱えた人間の戯言であり、これが現在私のいる(異)世界ではない「過去に私が存在した世界」にいる人間を想定してのメッセージだと分かってほしい。だからこそ昔の私の母国語である日本語で記述している。したがって上記した「ゾデル王」、「年」、「紅茶」などの名称も適当に日本語に変換したものである。少しでも正確に記述するなら「年」は「この世界での太陽のようなもの、通称「ガイの恵み」の周りを、この星(名称不明、この異世界の人は「ここ」などと呼び、恐らくここが惑星であることも知らない)が一回公転することで把握できる時間的変化である。なお、この星は自転もしており地球に住む人間なら、こうした時間の把握方法を理解しやすいはずだ。この星でも自転により昼と夜が分かれる。この世界の人は地球の単位ほど正確ではないが、その移りかわりを一日とし、その一日の昼と夜をそれぞれ四分割することで、ある程度の時間軸を共有している。
こうして一つの語や概念を訳するにも膨大な説明が必要になることから、できるだけ近いものも示す語を使うことで多少の差違には目をつぶることにする。しかし、日本語ではおおよそ当てはめるとのできない事物、現象を記述する際は、できるだけ詳らかに説明を試みたい。なお分かりやすいように、現在私のいる「ここ」を「異世界」、過去に私が存在したであろう世界を「昔の世界」とこれからは記述する。もう私にとっては「ここ」が「今の世界」で昔が「異世界」になりつつあるだが。
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