はじめはミステリを書こうとした 1
二〇一九年晩秋、ミステリを書こうと考えた。
唐突に思ったのではなく、書こう書こうと思っていたけれど、いまひとつ意欲がわかなかった。
ミステリはどんなものか、謎解きである。
コップいっぱいの水でもいいから、主人公が求めるもののために謎を解くものだろう。
読者は、日々に山積する厄介事から目をそらし、知恵の輪を解く如く、謎を解いてスッキリしたいのだ。
とはいえ、すでにミステリは言い返しやり返しくり返しで、謎を解くよりも、キャラやストーリー、世界設定など、見せ方に工夫をこらすようになっている。
昔ながらの素直な謎解きは、複雑に入り組んだ現代社会では、いろんな法律に引っかかって、なんだかカッコよくならない。
カッコよくすると、誇張したり笑いに走ったり、いくつかの法律違反を犯す主人公や現場状況の数々の矛盾に目をつむっていただかないと、もはや見られないのだろう。
時代劇しかり、刑事ドラマしかり、特撮やアニメしかりである。
読めば、現実の人生に活かせる知識なり知恵が身につくならば、良い作品と言える。ただ面白いとか、謎がとけてスッキリするとか、読後に身につく何かがない作品は、時間の無駄のように感じてしまう。
この感じ方は、年齢によるものだろう。
こどものころ、十代は、面白くてワクワクするものに夢中になれる。
二十代でもそうだろう。
うんちくなり雑学なり知識なりが蓄積されていき、現実の体験や日常など、子供の時では知らなかったことや乗り換えなければならない状況など、大人になると子供の時のようにはいかなくなる。
子供の心を忘れたわけではない。
大人になると、アニメを見るのに疲れる、といったことがある。
この現象は、作品世界を許容してあげるべくへりくだらず、子供の時と同じ感覚で見ようとするからだ。
見ていると、もはや子供ではないのだと突きつけられる。
子供だましな作品ではなく、大人でも見るに足る作品ならば、十二分に堪能できるに違いない。
アニメにしろ漫画にしろ、ドラマにしろ映画にしろ、そんな作品があるだろうか。
あまり難しすぎるのは、疲れるから、見られないのだろう。
それだけみんなの頭はおバカになったのだろうか。
日々に疲れているのだろうか。
ミステリを作ろうと考えていたとき、読んで賢くなった気になれたらいいのにと思った。
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