夜に考えてはいけない

 人は二度死ぬ、という話がある。

 一度目は死んだとき。

 二度目は忘れ去られたとき。

 というのが、よく聞く話である。

 放送作家の永六輔さんの言葉だったと記憶している。

 

 先に忘れ去られたとしたらどうなのだろう。

 忘れ去られたとき、その人は生きながら死んだことになる。

 たとえば浦島太郎。

 陸に帰れば300年の歳月が経っていた。

 だれも知るものはいない。

 そうなったとき、生きながら死んだということになるのだろうか。

 もう少し単純にすれば、海外旅行へ一人で行くとする。

 周りは自分を知らない人ばかり。

 そういう環境にある場合、生きながら死んでいるといえるのだろうか。

 パスポートやホテルの予約、スマホで連絡できるなどつながりがあるので、死んでいるとは言えないだろう。

 流行りの、異世界ものはどうなのだろう。

 とにもかくにも知らないところへ飛ばされる。

 往々にして、一度は死んでから転生している作品が多いので、すでに死んでるじゃないか、といわれたら、それまでなのだけれど。

 神様とか、チートとか、そういうのもなくして、異世界へ召喚されたとしたらどうだろう。

 召喚した人がいるから、一応知ってる人がいるんじゃないか、といわれるとそうかもしれない。

 世界中の人が一斉に記憶喪失になったらどうだろう。

 だれもかれも自分のことを知らない状況になる。

 もちろん、自分自身も。

 こんな状況なら、生きながら死んだと言えるのだろうか。

 そんな事は起きない。

 せいぜい、誰かが記憶喪失になるくらい。

 だとしたら、記憶をなくした人からみたら、周りの人は生きながら死んでいるようにみえるのだろうか。

 むしろ、記憶をなくした人が、生きながら死んでいる状態になるのだろうか。

 

 この問答は、最初の前提条件からまちがっている。

 第一に、まだ死んでいない。

 死んでないのだから、二度目の死は訪れない。

 まず死んでから、他人の心の中で第二の死が訪れるのだ。

 つまり、自分を知っている人がいない場合、一度目の死で、二度目の死が訪れることになるのかもしれない。

 孤独死、というのがこれに当てはまるのだろうか。

 

 

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