第28話 報告

その日も変わらず六時に『画家の花屋』に如月冬哉はやって来た。


そして、今日は紫が勧めるまま店の丸椅子に緊張して座っている。

若店長は早速今日の新田の様子を報告していた。


「新田さん、元気……って言ったら変だけど、あまり変わらない、元気にしてたよ。入院されてから二週間だけど、薬が効いてるのか眠る時間が多くて、時間の感覚がわからなくなったとか、入院生活は退屈だとか、そんな他愛もない事話してきたんだ」


新田への薬物投与は順調らしく他の臓器へ転移していたガン細胞も縮小に向かっているらしかった。ただ肺への外科手術は数週間後に行なわれる見通しは変わらない。


「そう………、元気か」


如月の口元がふわりと緩む。

紫も一緒に見舞いに行ったので一言付け加える。


「如月さんの事も気にされてましたよ。どうしてる、とか訊かれました、痛っ?」


若店長が紫の手を軽く叩いてきた。だめだろ。と、目で言ってくる。

恋愛中の二人ならいざ知らず新田と如月は別れた仲だ。そんな二人にまだ気にしているなんて言葉は火に油になるのだ。

紫がシュンとなって縮こまる姿に珍しく如月がクスッと笑ってきた。


「ありがとう、紫ちゃん。

不倫してて別れてもまだ未練がましい俺なんかの為に気を使ってくれて。

俺たち変なんだ。ごめんね」


如月の妖しく艶っぽく笑う姿に若店長も紫もいつも居るようになったアガサも一瞬どきりと胸を射すくめられる。


「えっ、笑うんだ?」


そう驚くくらい若店長達に初めて見せた如月の笑顔は美しいものだった。


そんな三人の反応に当惑しつつ如月が更にはにかみながら喋ってくる。


「あの……、なんで皆んな俺を見てるの?

えっ、だって、紫ちゃんって可愛いなって思ったら、つい笑えてきただけで……」


「………えっ!」


若店長が一瞬慌てる。


「あら、私何かしましたか?」


「こんなガキのどこが可愛いいのよっ! ただのお間抜けじゃないっ!」


「ガキじゃないし、お間抜けでもないもん」


紫がアガサに突っかかって行く。最近になって紫もアガサに慣れてきた。外見は男に戻ってはいるけど中身はとても可愛い人なのだと気付いたからだ。


「でも冬哉は間違ってもあんたとはくっつかないから。冬哉はオトコが好きなの。

新田さん一途なんだから。その次はあたし。若店長の事も好みだし、ね——」


(はあ?)


若店長はその言葉に丸椅子から転げ落ちそうになって慌てて壁に手を着いた。


(マジか?)


心の中の叫び。この間紫が妙な事を言っていたのを思い出していた。


見ていると如月はアガサを睨みつけると俯いてしまう。


(新田さん一途なんじゃ……)


「変な事言わないで下さい、アガサさん。

俺は……、何と無く背中が、新田と似てるって言っただけで………、その気なんか一切ないし……」


(だよなー、びびった!)


「背中………、ですか?」


紫がしげしげと若店長の背中を見つめる。母の百合も新田の背中と亡くなった旦那様の背中が似ていると言っていたが………?

若店長の背丈や肩の幅や厚みは確かに新田そっくりにも見えない事もないが……。


「そう言うのを気のせいって言うんだよ。男の背中なんかみんな似たようなもんだろう? 新田さんの事ばっかり考えているから身長とか同じくらいの奴見るとそう思えるんだよ」


若店長はつっけんどんに少々冷たく言い放つ。


「アガサもいることだしそっちに乗り換えたらどうだ? ゲイの仲間と仲良くやれば新田さんなんかすぐ忘れることが出来るかもよ」


「相変わらず冷たい言い方ね、若店長てば………。冬哉がそんな子じゃない事はあんただって分かってるでしょう。愛する人の為にバラ園作るような純真な子なんだから。ゲイなら誰でもいいなんて事ないんだから。あんたLGBTに偏見持ってるんじゃないでしょうね?」


「偏見なんか持ってない」


「あんただって仲良い者同士で連むでしょう? あたし達だってそれ位の感覚で連んでるだけよ」


「わかってるよ」


アガサに責められている割りには若店長の顔は穏やかだ。アガサで慣らしているので偏見のへの字もない。


「この際だから言わして貰うけど、あたし達セクシャル・マイノリティの恋はあんた達みたいなお花畑にのんびり飛んでる蝶の恋じゃないんだから。同じような蝶同士が飛んでたらそのうち誰か好い人が捕まえられるってものじゃないんだからね」


珍しくアガサが熱く語りだした。


「あたし達セクシャル・マイノリティの恋はね、深海魚の恋なの。暗い深い闇の中で出会うかどうかわからない相手を探し続けてるの。相手がみつかるのなんてまれ。だから見つけたと思ったら挨拶もそこそこに捕まえないと恋もできないのよ」


アガサの話しを如月が妖艶な微笑みを浮かべて聞いている。肯定とも否定ともつかない表情。

若店長と紫もアガサの話しには一理あるなとは思う。

深海と花畑。

恋する確率が低いのはどう考えても深海魚の方だ。


「冬哉はようやく見つけた運命の人なわけ。何笑ってんのよ、この子はっ!」


「笑ってません」


若店長が紫を見上げると完全に笑っている。如月の口角も妖しほど妖艶に上がる。


「悪いけど……」


如月は立ち上がるとバラを口元に当てながらアガサを見下ろし言い放つ。


「俺の運命の人は、新田裕介ただ一人だ。

これから先もそれはずっと変わらない。何があっても変わらない」


そう宣言するように言い放つ如月を若店長達は静かに見守る。

応援してあげられる形の恋ではないが、如月の熱い想いだけは彼らにも充分わかっていた。


「じゃあ、これで……」


そして、如月はくるりと回れ右をすると脱兎の如く走りだす。完全に不意を突かれたアガサは丸椅子をひっくり返しながらすぐに如月の後を追う形になった。

相変わらず二人の足は速い。


「深海魚って……、あんなに必死に相手を追っ掛けるんだ………」


紫がボソッと呟く。

人混みに紛れて行く二人の行く手は性への偏見と無理解がまだ残る偏狭の海だった。



紫が振り返ると店長が椅子を片付け、そろそろと閉店の準備をしていた。その後ろ姿の背中をじっと見つめ直す。

確かに新田裕介に似ている、と紫は思う。

如月は新田裕介と若店長、雨森芳樹を重ねて見ていたのかもしれない。


「ね——、私が思った通りでしょう。如月さん、店長に気があったんですよ。でも、店長はノーマルだから恋愛に発展しなかっただけで……」


「たしかにあれだけの美貌だ。誘われたら、たぶん僕も……」


そう言って紫をじっと見つめる。紫は目をパチパチしだした。


「う…そ……」


びっくりしている紫を軽々と持ち上げカウンターに乗せると紫の唇を求めていく。


「僕はノーマルだって証明しようか?」


「えっ?」


紫の耳元で若店長がひそひそと愛の言葉を囁くと、徐々に紫は頰を真っ赤に染めて首を振って拒否する。


「ダメかい?」


紫の首筋に唇を這わせながら若店長は、今日は帰してやらないと言ってくる。二人は幾度もキスを交わす。


「ダメ……」


紫が吐息と共に俯いて体をよじる。


「ダメ、ダメ、ダメ、だって私まだ、店長に花束を返してないもん。それまでは……」


「じゃあ、たった今作ればいいじゃないか」


確かに振り向けばいくらでも花達が揃っているのだから作れない事はない。


(どうしよう………、店長の事は大好きだけど………)


若店長はニヤッと笑うと紫をカウンターから降ろしてやる。


「今日は母さんもいないからチャンスかと思ったんだけどね。またの機会にお楽しみは残しとくよ」


若店長のその言葉に紫は安心する。


(初めてがこんなに早くくるとは思ってなかったから、心の準備が……、でも、店長はすごく残念そう……、ごめんなさい)


紫が手を伸ばし若店長の首にしがみついていく。


「大好き………、芳樹さん」


若店長を初めて名前で呼んでみた。すごく違和感ある。でも抱いてもらう時に店長はおかしいから今から直しておこうと思っていると若店長に伝えると彼はクスクス笑い出した。


「そういう準備が必要なんだ。仕方ないな………。

さあ、今から外へ食事に行こう」


そうして二人の夜は平穏に過ぎていくのだった。












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