第167話

「お姉様、お怪我は……?!」


 私の腕を手に取って怪我の確認をするリリーカさんから、強引に引き抜いて背に隠す。


「だ、大丈夫よ。擦り傷だから」


 そうは言っても、短剣ダガーや地面、衣服に付いた赤いシミは、擦り傷程度では済まされない事を物語っている。


「そんな筈はありませんわ。お見せ下さいお姉様」


 見せる訳にはいかない。


「大丈夫大丈夫。これくらいの傷、すぐに治るから」


 受けたその傷は、何事も無かったかの様に完全に塞がっている事を。


「ダメですお姉様。一刻も早く治療院にっ!」


 誰にも知られる訳にはいかない。知ればきっと……


「大丈夫だって言っているでしょっ!」


 私の声が閑静な住宅街に木霊する。大声を張り上げた私にリリーカさんが驚いていた。場に重い空気が溢れて居た堪れなくなった私は、その場から逃げ出した。その後、何処をどう通って戻って来たのか覚えていない。気付けば私は、自室の玄関に立っていた――




「ここは……?」


 ソコは一本の通路だった。明らかに人の手が入った石で出来た通路。湿った空気が淀んで粘液の様に纏わり付き、明かりに使われている獣油の臭いが鼻を突く。


「またあの夢……?」


 背後は壁で塞がれ、進めば牢屋らしき場所がある今朝方見た夢と同じ。ゆっくりと足を前に出して石畳を踏み締める。


 気にはなっていた。牢屋に囚われている人物の事を。薄暗くて顔は良く見えなかったが、髪が長い事から恐らくは女性。それが誰なのか確かめねばならない。


 足元を確かめる様にして歩き、程なく牢屋へと辿り着く。ここまで来ると、獣油の臭いに混じって錆びた鉄の臭いが鼻に纏わり付き、奇妙な柱時計が規則正しく時を刻んでいるのが耳に届く。


「あなたは誰?」


 椅子に縛られ拘束されている人物に問い掛ける。返事は……ない。その人物は何の反応も示さずに項垂れたまま。肩が上下している所を見ると死んでいる訳では無い様だ。


 ガチッ。ボーン、ボーン……。十二時を示す音が鳴る。同時に、その光景も揺らいで遠退いた。




 意識が覚醒する。見慣れた天井が目に入り、獣が一匹私の顔を覗き込んでいた。『おはよう』と声を掛けると、その獣は目を細めて『にぃ』と鳴く。


 身体を起こして膝をシーツごと抱え、どうしたものかと頭を悩ませる。昨日から続けて見た夢の事。そして最も重要なのは昨晩の出来事。


 私の能力の事はバレてない。そう思いたい所だが、腕を切りつけられて結構な出血がある重症者が、ほんの数分後には元気に走り去ったのだから、気付かない方がおかしい。


「ハア……」


 ため息を一つ吐いて頭を掻き毟り、先ずは日課をこなそうとベッドから降りて個室へと向かった。

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