異世界のサーカス。
広い敷地に設営された大きなテント。周囲に置かれた引き手の居ない荷馬車。身の丈程の大きな球に乗り、何本もの短剣を宙に舞わせているジャグラー。そして、ポッカリ開いた入り口に向かうヒトの群れ。私の知っているサーカスの風景がここにあった。
ボフン。と音を立て、広場にモウモウと煙が立ち込める。テントへと続くお客さん達がどよめく中、姿を見せたのはシルクハットを被って燕尾服を着込んだ女マジシャン。
シルクハットを華麗に脱ぎ捨てると、レオタードとなんら変わらぬコスチュームからこぼれ落ちそうな胸がブルルンッと震えた。男性客はこのたわわな果実に釘付けに。お子様達は飛んでいったシルクハットを目で追い、同行している女性陣は鼻の下を伸ばしたパートナーを睨み付ける。
三者三様の視線が交差する中、自らの腕を股経由でお尻へと伸ばすマジシャン。前屈みで強調された、たわわに実った果実に益々鼻の下を伸ばす男性陣に審判の時が迫る。
『いててててっ!』
事前に打ち合わせたかの様に揃って上げる悲痛の声。親指と人差し指に篭った万力の様な力がその頬肉をガッチリと掴んで離さず、爪がゆっくりと食い込んでゆく。別な食い込みを見せる女マジシャンが元の姿勢に戻ると、その手にはラッパの形状をした銃の様な物が握られていた。いくらパフォーマンスとはいえ、どういう経路で取り出すんだよ。
未だ『いてて』の歓声冷めやらぬ中、ふよふよと宙を漂うシルクハットに狙いを定める女マジシャン。直後、『ポンッ』というコルク栓を抜いた様な音と共に、落ちずに滞空しているシルクハットが破裂する。中から鳩の様な鳥が飛び立ち、紙吹雪が舞い落ちて女マジシャンのパフォーマンスは終了し、一部を除いた観客達から盛大な拍手が贈られた。
「すごぉーいっ」
そのパフォーマンスに感激したらしく、エリィちゃんも拍手を贈っている。これが異世界のマジックか。魔法が使える分、元の世界より幅が広そうだ。
「にしても、凄い混み様だね」
「毎年目玉の催し物ですから」
天幕の入り口へとズラリと並ぶ人の群れ。通勤通学時の駅のホーム並み。いやそれ以上の混みようだ。一度に何人収容出来るかは知らないが、今回の公演は見送るしかなさそうだ。
「これじゃ入れなさそうだね。となると、次は夜の公演になっちゃうか……」
「それは大丈夫ですわ。今、並べている。という事は、入れるという事です。あの天幕、見た目よりも中は広いですから」
魔術によって空間拡張が成され、見た目以上の収容が可能だという。もう何でもアリだな。
「ですが、そうですわね……」
指の腹を口に当て何やら考え込み出したリリーカさん。
「ちょっと話を付けて参りますわ」
「へ?」
「カーン様はこのままお並びになっていて下さいまし」
「え、あ。ちょっ」
リリーカさんは列を離れ、真っ直ぐにチケット売り場へと向かう。売り子の人と何やら言葉を交わし、その一人に案内されて裏手へと消えて行った。
「お姉ちゃん何処行ったの?」
「さあ?」
リリーカさんが裏手に消えて暫し、チケット売り場へゆるゆると進む私達の元へ戻って来る。
「リリーカさん何処行ってたの?」
「話を通しておきましたわ。こちらへ来て下さいまし」
「ちょ、一体どういう事? 何処へ行くの?」
私の手首を掴んで、チケット売り場へとズンズンと進んでゆくリリーカさんに尋ねる。
「
え。それってつまり……
「リリーカ。もしかして権力を使った?」
「使ってません。
それは使ったと言わないか?
「こんな所で使うくらいだったら、フォワールにも使ったら良いのに……」
「カーン様っ」
ジロリと睨むリリーカさんにキョトンとした表情で首を行ったり来たりさせるエリィちゃん。
「お兄ちゃん、何のお話ぃ?」
「え、ああ。何でもないよ」
ニコリと微笑みながら言うと、エリィちゃんは僅かに首を傾げる。その小動物みたいな仕草に私の胸はキュンキュンしっぱなしだった。
「ようこそおいで下さいましたリブラ様」
サーカス団の団長といえば背が低くて丸眼鏡を掛け、髭を生やした樽の様な体型の男。と勝手な想像をしていたが、目の前に立っている男はその想像から逸脱する事は無かった。その男が深々とお辞儀をすると、後ろに並ぶ団員達もそれに倣う。全員でお出迎えって、凄いな! 権力!
「リブラ様にご賢覧頂き、当サーカス最高の誉に御座います」
「今日は宜しくお願い致しますわ」
「は。当サーカス一同、誠心誠意全力を以って演じさせて頂きます。どうぞ、心ゆくまでご拝観下さいませ」
樽団長が深々とお辞儀をする。後ろに並ぶ団員達は、今度は団長に倣わずに列を成して道を作る。こういう事は慣れているのだろう。随分手際が良い。
「では、お席へご案内致します」
樽団長の案内で私達は場内へと足を踏み入れた。
リリーカさんが言っていた通り場内は空間拡張の魔術によって、あのスペースでこんなに?! と思える程の座席が用意されていた。私達が案内されたのは最前列の中央席三つ。五列までは誰も座ってはおらず、こんな時の為に確保してあるのだという。なので、非常に目立っていた。
「お飲み物は如何されますか?」
バニーガール姿の女性が可愛く首を傾げる。その一挙手一投足に零れ落ちそうな胸がたゆんたゆんする。
「エリィ、しゅわしゅわ飲みたいっ」
背後からの視線にも物怖じなく、元気に手を挙げるエリィちゃん。私とリリーカさんは無難にアイスティーを頼む。エリィちゃんが炭酸飲料を飲んで大人顔負けのゲップを披露する最中、場内の明かりが落とされ演目が始まった。最初に出て来たのはあの樽団長。舞台上に注がれたスポットライトを浴びる様に両腕を広げていた。
「レディース、エンッ、ジェントゥルミィェェンッ!」
何故ソコだけ発音が違うっ!?
「紳士淑女の皆様方、本日はようこそおいで下さいました。サーカス一座一同心より歓迎申し上げます。お心ゆくまでご堪能下さいませ。それでは、マジ・シルコーサーカス開幕ですっ!」
樽団長の開始の合図にステージ上が明るくなる。同時に、左右から青色の大きな玉が転がり入り、その上にはピエロの格好をした人物が乗っていた。どうやら最初は道化師によるジャグリングらしい。玉の上に乗りステージ上を所狭しと移動する道化師は三人。一人はフェンシングで使われる様な細身の剣を幾つも飛ばし、二人目は海賊が使っていそうな矢鱈と反った短剣を飛ばしている。そして三人目は……何アレ、メロン?
三人目がメロン? を放り投げると、一人目の道化師が細身の剣で突き刺して剣ごと宙に放り投げる。それ、テレビで芸人さんがやっているのを見た事あるよ。
三人目のメロン? が、団子の様に細身の剣に突き刺さって最初の演目は終了となった。会場からの盛大な拍手。エリィちゃんもそして私も夢中で手を叩いていた。あのメロン? を割らずに団子刺しするなんて凄い技術だ。短剣の人は回しているだけだったな。
次の演目は二人の美女によるショーらしい。見てて恥ずかしくなる様な、食い込んだトラ模様の衣装にダイナマイトバディを包み込むその姿に、一部の観客から感嘆の声が漏れる。その内の一人にスルスルスルっと幕が下り、そのダイナマイトバディを隠す。そして、もう一人のダイナマイトバディが持つ杖に炎が灯され幕に点火。瞬時に燃え尽きた幕の中から姿を見せたのは、本物のトラ。いや、トラに酷似しているが上顎から伸びる二本の牙がただのトラでない事を物語っていた。
エリィちゃんはしきりにネコ、ネコと叫んでいるが、大陸南部の亜熱帯地方に棲む立派な魔獣。俊敏なフットワークで獲物を追い詰め、鋼の様に硬い二本の牙を武器に狩りをする。中級冒険者でも一人では危ういとされる部類に入るのだそうだ。そんな猛獣に何をさせているのかというと、火の輪を潜らせたり綱渡りをさせたりと、なかなかポピュラーな事ばかりなのだが、獣から美女へ美女から獣へと時折変わる姿は、まるで本当に変身している様で楽しめた。最後はずっと人の姿だったもう一人の美女が、ボフン。と煙を立ててもう一匹のトラへと変わり、二匹揃ってお辞儀をしてショーが終わった。
休憩を挟んで始まった演目は、サーカスの定番中の定番である空中ブランコ。しかし、私の知っている空中ブランコとは大幅に違っていた。ブランコを吊る為のロープが何処にも見当たらない。にも拘かかわらず、ぶらぶらと揺れているのだから不思議でならない。揺れるブランコから団員達が次々と宙を舞い反対側のブランコへと移ってゆく。
と、そこで事件が起きた。勇んで飛び出した団員は、対面のブランコとのタイミングが合わずに地面へと落下を始めたのだ。地面への激突は避けられない。誰しもがそう思っていた最中、落下中の団員がポンッと破裂して紙吹雪を撒き散らし、当の本人は対面のブランコの上で手を振って応えていた。それはもうサーカスじゃなくね? と思った瞬間だった。
続いては、再び姿を見せた道化師三人による綱渡り。ステージの端から端へと繋いだロープの上を、長い棒を真横にしてバランスを取りながらゆっくりと進んでゆく。道化師の一人が中央に差し掛かった頃、またしても事件が勃発する。順調に進んでいた道化師が突如バランスを大きく崩し始めた。最早修正不可能と誰しもが思っていたその時、棒を持ったままロープを一周りして元の位置に戻り、観客から驚嘆の声が上がったのだった。
その後も次々と演目が進んでゆく。どう見てもカピバラにしか見えない『クルイーサ』。そして、象にしか見えない『スロンパオ』の巨体同士が織り成す珍獣ショー。
筒に入った美女を、宙に浮く水の塊に打ち出してその中で舞い踊る人魚の舞。などなど。プログラムはあっという間に消化され、気付けば最後の演目になっていた。
最後は
「レディース・あんっ・ジィェントゥルミィェェンッ!」
だから何故そこだけ発音が違うっ!?
「マジ・シルコー大サーカス。これにて終了となりま──うっ!」
樽団長の背後でジャグリングを続けていた道化師三人から放たれた幾本もの短剣が、樽団長の胴体に突き刺さる。と同時に、頭が胴体から発射されて宙を舞った。
「またのご来場をお待ち申し上げておりますぅー」
生首が弧を描きながらそう言った。最後は黒ヒゲオチかよ。
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