二度目のデート。

 ガランガラン。と室内に設置されたドアベルが鳴る。その音に身体が鋭敏に反応し、脊髄反射的にビクッとする。


『お姉様、いらっしゃいますか? お迎えに上がりました』


 外から聞こえるリリーカさんの声。いつの間にか眠ってしまったらしく、陽の光が街を照らし出しているのが窓越しに見える。


「ちょっと待って、今開けるから」

『はい』


 頭からすっぽり被っていた毛布をベッドの上に放り投げ、リリーカさんを迎い入れるべく玄関へと向かう。途中、開け放たれたままの個室のドアを閉めようと手を掛け、視界の端に赤い物体を捉えて一切の行動を止めた。


「まずっ」


 リリーカさんとはいえ、コレを見られる訳にはいかない。行き先を玄関ではなく個室に変え、白磁の器に鎮座する宝石を掴み取る。ズシリ。とした重量が両腕に掛かる。勢いに任せて持ち上げたが、直後に足がふらついた。そのままベッドまで運んで枕で隠し、リリーカさんを迎えに行く。


「おはよう御座いますお姉さ……何だかお疲れのご様子ですわね」

「え? そ、そう?」


 持ち上げた鉱物が思いの外重く、また慌てていた事もあって、息切れを起こしているのだから誤魔化しようが無い。


 ハァ、ハァ。


「と、取り敢えず上がって」


 ハァ、ハァ。


「い、今準備するから」


 ハァ、ハァ。


「……お姉様。変質者みたいですわよ」


 誰が変質者か。



 リリーカさんにお茶を出してシャワーを浴びに行く。赤い印がついた蛇口を捻ると、スーッと何かが吸われる感覚がしてシャワーヘッドからお湯が出てくる。青い印はただの水。それを上手く調節して適温にする。


 ヘッドから降り注ぐ水の珠が、色白の大地をコロコロと転がり落ちてゆく。ある珠は迂回をして流れ落ち、ある珠はたわわに実った丘で大きくジャンプをして床に落ちる。そして、双丘にある峡谷を流れてゆく珠も。


「ハァ……」


 気持ちが良い。体の中から活力が湧いてくる。心の中でモヤモヤしていたモノが洗い流されてゆく。髪や身体を洗い、蛇口を閉める頃にはネガティブな気持ちは消えていた。


「お待たせ、それじゃ行こうか」


 カーン君が着る貴族の服は、オジサマの家に置いてある。こんなボロアパートから小綺麗な貴族が出入りしていたら非常に目立つからだ。だから一度、オジサマの家に行って着替える必要がある。


「お待ち下さいお姉様」

「ん? どうかした?」

「どうかしたではありませんわ。おぐしが濡れたままではありませんか。炎節えんせつを終えたばかりだとはいえ、今は商秋節しょうしゅうせつ。そのままではお風邪を引いてしまいますわ」


 炎節えんせつとは夏を、そして商秋節しょうしゅうせつは秋を意味する。ちなみに、春は花香節かきょうせつといい、冬は雪降節せっこうせつと言うそうだ。


 ともあれ、リリーカさんの言にも一理あるが、ドライヤーなどという便利道具はお目に掛からない。一般的にはタオルをターバンの様に頭に巻いて髪が乾くのを待つしかなく、そんなに時間は掛けられない。


「お姉様、魔法を使っても宜しいですか?」

「え、魔法……?」


 一体何をするのだろう。と興味もあったので許可を出した。


「風の精霊シルフィーヌ。契約に基づき我の元に来たれ」


 構えた杖の先端に、黄緑色をした可視の風がクルクル。と回り出して球体を形作る。パン。と割れた球体の中から一人の妖精が姿を現した。


「大気に満つるその力、柔らかな風と成し彼の者を包み込め」


 優しい風が私を包み込んだ。ゆるゆると流れる風は、濡れた私の髪を宙に留めてもてあそぶ。妖精が消えると、乾いた髪がふわり。と降りて来る。


「おおっ、スゴーイ。もう乾いた」


 ただ乾いただけじゃない。ハリに艶まで出ている気がする。


「そのまま動かないで下さいまし」


 鏡台に置いておいた櫛を手に、後ろへと回り込んで髪を梳き始めるリリーカさん。


「ねぇねぇ、私もそのドライヤ……ま、魔法を使いたいんだけどどうすればいいの?」

「精霊魔法は誰にでも扱えるモノではありませんわよお姉様」

「へ? そうなの?」

「ええ、魔法には適性というのがあるのです。精霊魔法を会得する為には、精霊と対話が出来るのが最低条件となるのですわ」


 へぇぇ、そうなんだ。魔法って誰にでも使えるモノだと思ってたよ。


「逆に『魔術』は、魔力さえあれば誰にでも使えます」

「え? 魔法と魔術は別な種類なの?」

「はい。簡単に説明しますと、魔術は魔法の簡易版。といった所ですわ」


 何かと制約が多い魔法を誰でも簡単に使える様にしたのが魔術なんだそうだ。


「なるほどねぇ」

「はい。これで大丈夫ですわ」

「有難う。ってか、随分気合入ってない?」


 話をしながら片手間で髪を結ってくれた訳だが、束ねた。とか、纏めたってレベルじゃない。今日は特別な日だから気合い入れてみました的な出来具合だった。


「お姉様の髪を触らせて貰って嬉しくてつい……」

「ついって、着替える時に解いちゃうのに」

「すみません。勝手な事をしまして……」


 シュンとするリリーカさんに私は慌てて言い繕う。


「い、いやいやそうじゃなくて。せっかく結ってくれたのに解くのが勿体無いなぁって」

「それでしたら大丈夫です。お帰りの際にまた結わせて頂きますわ」


 鏡越しに映るリリーカさんの笑顔。いつもと変わらぬ向日葵の様なその笑顔を、後ろめたさを感じつつ眺めていた。




「こんにちは。アシュフォード様、リブラ様」

「ごきげんよう」

「いつもご苦労様です」


 オジサマの家でカーン君に扮し、中層域への門で警備に充っている衛兵さんからの挨拶に、少し戸惑いながら挨拶を返す。


「どうかされました?」

「え? ああ、うん。私の事を覚えていたのに驚いて」


 人差し指の腹を唇に当てクスクス。と笑うリリーカさん。


「それはそうですわ。冠七位の夫となるお方ですもの、覚えておかなくては職を失い兼ねませんわ」

「そんなに重いの!?」

「ええ、かんとは、国に対して何しらの貢献をした者に与えられる称号ですわ」


 オジサマの場合は魔物の群れから街を救ったからだそうだが、フォワール自身は何もしておらず、彼の親の功績で今の地位にいるのだという。


「彼のお父上は大変素晴らしい商人だったと聞き及んでいます」


 港の建設にも貢献して九位の称号を得た先代だったが、その商才が息子に受け継がれる事はなかったらしく、今はただ散財するだけの穀潰しに成り果てているのだという。


「お父上が亡くなられて十余年。そろそろかんの称号も危うくなってきたのでしょうね」

「なるほど、それでリリーカとの結婚を迫っているのか」


 一度手に入れた権力と財力を失わない為に様々な策略を巡らす。彼もまた貴族中の貴族。と、言ったところか。悪い意味で。


「それで、今日はまず何処へ行こうか?」

「カーン様はお気なる場所は御座いますか?」


 改めて問われるとちょっと困る。お城の中を見学してみたいが、王族が住う上層へはそう簡単に入れない。


「うーん。特に無いから、前の様に公園にでも行こうか。後ろの連中に見せ付けてやろう」


 今度はちゃんと気付いていた。貴族の夫婦を装った者達と、杖をついた老人に。


「分かりましたわ。それでは参りましょう」


 左腕を差し出しすとリリーカさんは微笑んで腕を取る。周りに見せ付けながら私達は取り敢えず公園へと向かった。




 公園に立ち寄り、天高く聳える『アルギオの塔』を眺めて雑談すること暫し。監視が居るのにもかかわらず、コンタクトを取って来ないフォワールを不気味に思いながら昼食を摂る為にレストランへと立ち寄った。


 時刻は丁度お昼時。太陽の高さと、広場に設けられた日時計のモニュメントでそれが分かる。しかし、店内どころか周辺すらにも誰も居らず、私達の貸し切り状態と化している。注文を取りに来た店員の表情が、実に嬉しそうだったのが印象的だった。


「こうも人が居ないと何か不気味だね」

「そうですわね。一体どうしたというのでしょう」


 一通りの食事を済ませ、後はデザートを待つのみ。だというのに、今まで通行人すらも見掛けない。


「フォワールが周辺を封鎖したのかな?」

「流石にそれは無いとお思いますけど……」

「これはこれは、リブラ様ではありませんか」


 背後から掛けられた声。来やがったな。と構えたのも束の間、その声に違和感を覚えた。あれ? この声って……


「お久し振りで御座います、ウォルハイマー卿」


 席から立ち上がったリリーカさんが、軽いカーテシーを行う。それを見て慌てて立ち上がり、左肩に指先を添えてお辞儀をする。


「これはご丁寧に有難う御座いますリブラ様。ところで、こちらの御人はどなた様で……おや?」


 言葉を中断させたウォルハイマーさんに、私の鼓動がフル稼働する。


「このお方はわたくし婚約者フィアンセ。カーン=アシュフォード様ですわ。遠路遥々お越し頂いたので、街をご案内差し上げている所ですの」

「お、お初にお目に掛かりますウォルハイマー卿。カーン=アシュフォードと申します。どうぞお見知りおきを」


 バレない様にとなるべく低い声を出す。ジーッと見つめるウォルハイマーさんに、私の鼓動は今にも限界突破しそうな勢いだった。


「フレッド様?」

「え、ああ。カーン殿が私の知人にあまりにも良く似ているものでして。いや、これは失礼を致しました」


 意匠を凝らした鎧をガシャリと鳴らして肩口に指を添えて軽くお辞儀をするウォルハイマーさん。


「ところでリブラ様。この辺りで、その……こ、子供を見掛けませんでしたでしょうか?」

「子供、ですか?」

「え、ええ。六歳くらいの子供です。やや赤みがかった金色の髪を横に束ねているのですが」

「いいえ、存じませんわ。カーン様は如何ですか?」


 ちょっ、私に振らないでっ。あんまり声を出したくないんだからっ。


「い、いえ。わ……ボクもお見掛けしませんでした」

「そうですか。参りましたね……」

「その方はどなた様のお子様なのですか?」

「とあるお方。としか今は言えません。護衛の任を充てられたのですが、いつの間にか居なくなってしまって……」


 話しながらも周囲に視線を配るウォルハイマーさん。その様子からすると、結構な地位にある人物なのかな。


「分かりましたわ。もし、お見掛けしましたら衛兵詰所にお連れ致しますわ」

「それは助かります。申し訳御座いませんが急ぎますのでこれで失礼致します」


 本当に焦っているのだろう。挨拶もそこそこに立ち去るウォルハイマーさん。途中で猫くらいしか入り込めない路地をも丹念に覗いては肩を落とし、去って行った。何故ソコに居ると思った!?

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