酒の席。

「それじゃ、カンパーイ」

「「カンパーイ」」


 酒樽を小さくして取っ手を付けた様な形状のジョッキをガコンと合わせ、並々と注がれたビールの様な液体。『エール』を一気に飲み干してゆく。このエール、スッキリとした飲みやすいビールとは違ってフルーティで深い味わいがあり、ビールというよりはワインに近い。


「くぁーっ、沁みるよぉっ」


 オッサン臭いぞマリーさん。



 ローザさん達に連れられて入ったお店はほぼ満席状態。この時期どのお店も似たような混雑状態らしく、実はこのお店も三軒目だったりする。客層も様々で、鎧やローブを身に纏う冒険者風の人達や真っ黒に日焼けした船乗り達。商人らしき人達も居れば、竪琴を奏でて喝采を受ける吟遊詩人の姿も見える。これはお店で雇われているのかな?


「それにしても、カナさんが借金とはねぇ」


 皿に乗った『エダビーンズ』を口に運びながらローザさんは言う。


「何れそんあに借りたにょぉ、男に貢いじゃったぁ?」


 手にした燻製肉ジャーキーをブチリと噛みちぎり、咀嚼しながら言うマリーさん。どこぞの受付嬢じゃあるまいしそんな事はしませんって。


「まあ、ちょっとした契約違反で差額が借金になってしまいまして……」

「ふうん。それで、幾ら借りたの?」

「それが、その……」


 私は二人から視線を逸らし、恥ずかしそうにしながら指先を合わせる。


「百万、くらい……」

「「ひゃっ!?」」


 二人が驚くのも無理はない。百万といえば一般市民にとっては大金だ。何しろ十数年分の生活費な訳だから。


「はぁ、それだけあれば豪遊出来たのに勿体無い事したわね」

「まあ仕方無いですよね、私が悪い訳だし。地道に働いて返します」

「いや、それにしたって結構な年数掛かるでしょう? それまでは奴隷とたいして変わらないのよ?」


 奴隷。この国では無い様だが、他国ではそんな制度があると聞く。男は主に労働用として扱われているが、女は……。そんな中でも目を覆い、耳を塞ぎたくなる様な事をしているヤツも居るらしい。


「良いですよ。下手にギャンブルなんかに手を出すよりは、地道が一番ですから。それにルレイルさんの所なら安心出来ますしね」

「そう。……もし、カナさんさえ良ければ──」


 店内でワッと沸いた歓声にローザさんの言葉が掻き消される。


「え? 今、なんて?」

「ううん。何でもない」


 ふいっと視線を逸らしておかわりのジョッキを口に付ける。チラリとマリーさんに目をやれば、咀嚼しながらローザさんの事をジッと見ていた。何なんだ一体。


「いよぅネェちゃん達ぃ。辛気臭く飲んでねぇで、オレ達と楽しく飲まねぇ?」


 ほんの僅かな沈黙を破ったのは、見事な日焼けの塗装が成された筋肉隆々の船乗り風の男。白を基調として、所々にブルーのラインが入っている水兵さんの様な服を着ている。確かアレもセーラー服って言うんだっけ。


「ゴメンねぇ、女同士で楽しく飲みたい気分なの」

「いいじゃねぇか。ちょっとだけ付き合ってよ」

「はぁ、仕方ないわね。ほんの少しの間だけよ?」


 言って席を立つローザさん。え、行くの!?


「あなた達はどうする?」

「私はぁ、ここで飲んでるぅ。あ、お姉さんエールおかわり」


 通り掛かったウェイトレスさんにお酒のおかわりを頼むマリーさん。マイペースな人だ。


「カナさんは?」

「私も、ここで飲んでます」

「そ。そんな訳で私一人だけど良いわよね?」

「おお、いいぜ。そっちの別嬪さん達、すまねぇが借りてくゼ」

「じゃあ、ちょっと行ってくるから待ってて」


 そう言い残し、ローザさんは船乗りの後についてゆく。先のテーブルでは、船乗りの仲間であろう二人の男が歓声を上げていた。


「マリーさん。さっきローザさんは何を言おうとしていたのですか?」

「ん? さっきっれ? あ、おねぇさぁん。おかわりぃ」


 え、さっき来たのをもう飲み終えたの!? 彼女の前には既にジョッキが四個置かれ、今ウェイトレスが持ってきたのを含めて五杯目だ。私はまだ二杯目だというのに、結構なペースで飲み進めているなぁ。


「さっき私に言おうとした事ですよ」

「んぁあ、それはきっとぉ、仕事を紹介しようとしてるんじゃぁないかなぁ」


 通商ギルド『アルカイック』では、副業を持つ事は制限されていない。仕事に支障が出なければ問題無いという考え方の様だ。


「仕事、ですか?」

「そおぉ、コッチのぉね」


 マリーさんが手で示した場所を見てギョッとした。手の平で持ち上げて落とすとたゆんと揺れるふくよかな胸。つまり彼女はカラダを売っているという事だ。


「ローザ美人だしぃ、結構人気らしいよぉ」


 チラリ。と視線を送るマリーさん。その視線を追うと、船乗り達と共に楽しそうに話をしているローザさんの姿。しかし、その笑顔も何処かよそよそしく私には見えていた。




 夜が深夜に近付くにつれ、満席状態だった店内にはチラホラと空席が目立ち始めていた。マリーさんは既に酔い潰れていて、彼女の前にはジョッキが山の様に積まれていた。十五杯って飲み過ぎだよアンタ。


 私といえば二杯目をチビチビ飲む事に切り替えた。この『エール』。ビールよりもアルコール度数が高いらしく、一杯目を飲み干した所でほろ酔い状態になった。久し振りに飲んだ所為かもしれないが。


 テーブルに突っ伏したマリーさんをどうしたものかと思っていると、今まで船乗り達の席に居たローザさんが戻って来る。


「ごめんねぇ、ちょっと話込んじゃったぁ」


 顔を紅葉させ、妙な色気を醸し出しながら上機嫌で席に座ると残り物に手を付ける。


「あらぁ、マリーも潰れちゃったんらねぇ」

「はい。まあ、十五杯も飲めば誰でも潰れると思います」

「あっはぁ、飲み過ぎらぁ」


 笑いながらマリーさんの背中をバンバンと叩くローザさん。私から見ればアンタも十分に飲み過ぎだがな。呂律が回ってないじゃないか。


 まったくもう。とため息を吐いて、そしてゾクリ。と背筋が凍り付く。気付かなければ良かったのかもしれない。いや、いずれは気付く事だ。それを避ける事は出来ない。


「まさか、私が面倒を……?」


 この二人の酔っ払いは私が介抱しなければならない。その事に気付いて内心頭を抱え込んだ。




 見慣れた建物が目の前に在った。コンクリート製で透明度の高いガラスが嵌め込まれ、外からも中の様子が丸見え。内部は煌々と明かりが灯っていて、雑誌やコスメ、お菓子などが棚に並んでいる。


 『自動』と書かれたラベルが貼り付いたガラスの前に立つと、そのガラスが左右に退いてゆく。私は臆する事もなく建物の内部に足を踏み入れた。建物内には私だけ。店員を含めて人の姿は見えない。ブンブンと機械音だけが耳に届く。


 お目当てはカウンター脇に置かれた四角柱の容器。私はその中身を鷲掴む。熱くはない。むしろ人肌に近い適度な温かさ。手の平に伝わるのは、吸い付く様な触感に反発する様な弾力性。それをモチモチと手の平全体で楽しむ。


「あんっ」


 声が聞こえた。何がアンだ。オマエは肉まんだろうが。我ながら変なセリフと思いつつも構わず揉みしだく。しかし、相手もただ揉まれているだけではなかった。裂けた部分から熱々の液体が飛び出して私の目に掛かり、熱さの代わりに痛みが襲う。そこで意識が覚醒した。


「……夢?」


 コンクリートで出来たコンビニは何処にもなく、木造の天井だけが目に映る。


「懐かしい景色だったな……」


 二ヶ月前までは良く利用した。おでんの香りと共に立ち昇る湯気。ホクホクとしたフライドポテト。そして、熱々の肉まん達。


「丁度こんなカンジだったなぁ」


 手の平から伝わる人肌に温められた肉まんの感触が、在りし日の思い出を加速させる。だけど、そんな物を買った覚えは何処にも無い。じゃあ、私は何を掴んでいるの? と、首をコテンと横に向けて、凍り付いた。


「ろっ、ローザさんっ?!」


 その肉まんの正体は、ローザさんの張りのある胸だった。私の腕をガッチリとホールドし、手の平がイイ感じで乳房に当たっている。


「くちゅんっ」


 掛け布団を剥がした所為で寒かったのか、可愛らしいくしゃみを一つしてローザさんが目を覚ます。


「あ、おはようカナさん」


 寝ぼけ眼でニッコリと優しく微笑むローザさん。その姿に、朝チュン時の男の気分を垣間見る。


「ど、どうして裸なんですか!?」

「ああ、私寝る時全部脱ぐの。その方が楽だしね」


 だからそんなに育っているのか?!


 ムクリと起き上がったローザさんは、掛け布団を引き寄せて体育座りをして膝に頭を乗せる。ローザさんの背中は、首筋からお尻まで緩やかで綺麗なラインを描いていた。


「なんか、カナさんの隣ってすごく安心するね」


 いやだから、それは男に言ってやりなさいよ。間違いなくそのままベッドインになるから。


「そういえばマリーさんは?」

「マリーなら、酒瓶抱えて床で寝てるわよ?」


 ローザさんが指差す方向には、言った通りに酒瓶抱えてスヤスヤと眠るマリーさんが床に転がっていた。




 ローザさんがバサリッと掛け布団を捲り上げると、マリーさんは床の上を転がって行き、空き瓶の束をなぎ倒す。ストライークッ。


「んあ? おはよぉローザぁ」

「おはよ。大丈夫?」

「ダメェェ……」


 一度は起きたものの、クタリ。とその場に崩れ落ちるマリーさん。まあ、あれだけ飲めば無事では済まないわな。


「カナさん、『黄蓮樹おうれんじゅの根』ってある?」

「え? ああ、確か薬箱に……」

「ありがと、ちょっとキッチン借りるわね」


 買っておいた黄蓮樹の根を渡す。ローザさんはお鍋に余った酒を注いでコンロに火を付けると、鍋の中にその根を沈めた。


「普段は水を使うんだけど、お酒を使えばよく効くのよ」

「へぇ」


 それは良い事を聞いた。何かの時に役に立つだろう。


 その後、黄蓮樹の薬湯を飲んだマリーさんが動ける様になるまで、ローザさんと雑談を楽しんだ。

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