人の温もり。

「な、何。これ……」


 川の家からアパートへと戻った私は、部屋の入り口で立ち尽くしていた。開いたままの窓から夕暮れ時の風がカーテンを揺らして入り込み、私を撫でて通り過ぎる。クローゼットもタンスも開いたまま。その中身は全て床へと放り出され、綺麗に整理整頓されていたかつての面影は何処にも無かった。


「ど、ドロボーっ?!」


 台所から包丁を持ち出し、震える手で個室のドアを勢い良く開ける。──誰も居ない。続いてバスルームのドアを開け、持っていた包丁を震わせながら突き出す。──誰も居ない。安全だと認識した途端、緊張が解けてその場にへたり込んだ。


 ──怖い。ガシャリと落ちた包丁の音にさえ鋭敏に反応する程の恐怖が駆け巡る。震えが止まらない。掌をギュッと握り締めて大きく深呼吸を繰り返す。それで幾分かは落ち着きを取り戻したが、室内の惨状が目に入ると再び震え出す。私はよろめきながら壁を支えにして立ち上がり、そのまま部屋を後にした。




 足は自然とソコに向いていた。治安は有って無きが如しと思っていても実際に被害に遭うと、独り身である事に不安を覚えて誰かに寄り添わずにはいられなくなる。そしてそれに応えてくれる人達が、心配そうに私を見てくれていた。


「カナちゃん大丈夫?」


 心配そうに私を覗き込む人達。オジサマにおばさま。そして、見ず知らずの人が三人。


「これを飲んで落ち着くと良い」

「あ。有難う御座います」


 オジサマから差し出されたコーヒーを受け取り、一口飲み込む。ミルクがたっぷりと入ったコーヒーは、まろやかでやさしく香って今のオジサマの気持ちを表してるかの様だった。


「何があったの?」


 眉間をハの字にしておばさまが言う。実はここに来て二人の顔を見た途端、お客さんが居るにもかかわらず、ワアワアと泣き出してしまった為に部屋での出来事はまだ話していない。


「実は──」


 空き巣の被害に遭った事を話すと、おばさまは優しく抱きしめてくれた。


「女性の部屋を荒らすなんて、酷い奴だな」


 パシリと手と拳を打ち合わせ、憤慨する剣士風の男性。黒髪でそれなりに日に焼けた肌。歳は……二十代だろうか?


「お嬢さん。もし良ければオレ達が力になるぜ」

「あ、有難う御座います。でも、多分もう大丈夫ですから」

「──っ。そ、そうか」


 何故顔を赤らめて視線を逸らした? 私はただニッコリと微笑んだだけだというのに。


「し、暫くはこの街に滞在するつもりだから、何かあったらオレ達を頼ってくれていい。『大河の汽船』って宿にぃぃぃっ?!」


 彼の仲間と思しき魔術師風の女性が、彼の首根っこをムンズと掴んで、そのままズルズルッと引っ張ってゆき床に投げ捨てる。


「いつつ……何すんだよ」

「カーリィ、アンタまた厄介事に首突っ込むつもりじゃないでしょうねっ!?」

「何だよ厄介事って。オレはただ困っている女性をだな──」

「それが厄介事だって言ってんの。ルーも何か言ってやってよ」


 ルーと呼ばれた男性が一歩前に進み出ると、腕を組んでカーリィさんを見おろす。カーリィにルー……? ハッ、カレールゥ?! まさか、女性の方はライスとか言わないでしょうねっ!?


「カーリィ。今まで色々と無茶難題に付き合って来たが、今回の件は幾らリーダー命令だとしても聞く訳にはいかない。やりたいなら一人でやってくれ」

「だ、そうよ。アンタは昔っからそうだったわね。女と見れば誰彼構わず手を差し伸べるんだから。それが何者かも知ろうともせずに突っ走って、何度危険な目に遭ったと思うの? 聞いてる!?」

「は、はい。聞いております……」


 床に正座して、シュンと項垂れるカーリィさん。大きく頼もしく見えていた姿は、ふた回り程縮んだ様に見える。


「私が困っていた時は全然助けてくれなかったくせに」

「だ、だってあれは──」

「だまらっしゃい」

「はい……」


 更に縮んでゆくカーリィさん。流石にそろそろ口を出さないといけないか。


「あの……」

「何?」

「その方をあまり責めないで下さい」


 キッと私を睨み付ける女性。『私の為に争わないでっ』と言うべきだったか?


「はぁ……。貴女もゴメンネ。妙な期待を持たせちゃって。でも、申し訳ないけど私達は──」

「はい。私ならもう大丈夫ですから、お気になさらないで下さい」


 彼女に向かって微笑むと、女性は明後日の方を向いて頬を掻いた。そこにおばさまがひょっこりと顔を出す。


「解決したのなら、そろそろお店を閉めたいんだけどいいかしら?」

「す、すみませんっ。すぐ出ますので。ホラカーリィ、とっとと立って出るっ!」

「は、はいぃっ!」


 項垂れていたカーリィさんが勢い良く立ち上がると、そのままお店を出てゆく。その後にルーさん、そして女性が代金を払って店を出る。途中までカッコ良かったんだけど、最後が締まらなかったなぁ。


「じゃあ私も……」

「待ちなさい」


 お店を出ようと思い、ドアへと向かった私をおばさまが引き止める。


「カナちゃんはここに居なさい」

「え、でも。お店閉めるんですよね?」

「ええ、閉めるわ。だから、カナちゃんにはちょっと待ってて欲しいのよ」


 えっと? 話が見えないんだけど……


「一緒におばさんの家に行きましょ」

「え? おばさまの家に!?」

「そうよ。それとも、戻りたいの?」

「あ……」


 室内の惨状が思い出される。冒険者の人達の騒動でスッカリ忘れていたが、空き巣に遭った直後だった。


「暫くウチでゆっくりして行きなさい」

「え、でも。ご迷惑じゃありませんか?」


 チラリとオジサマの顔色を伺う。オジサマは相変わらず無口なままでコップを磨いていたが、磨き終えたコップをカウンターに置くと、キラリと光る何かを投げて寄越した。それをキャッチして手を見ると、中には色がややくすんだ銀の棒が一つ。


「……鍵?」

「……自分の家だと思ってくれていい」

「あ、有難う御座いますっ」


 渡された鍵を握り締め、ホロリと涙が流れ落ちるのも構わずに、オジサマに精一杯微笑んだ。




 オジサマの家はお店から徒歩二十分の場所にあり、木造二階建ての。屋敷とまではいかないが、中々に立派なお家。庭は白に塗られた木製の柵で囲われ、ガーデニングが趣味のおばさまが育てた花が咲き乱れる。お世辞にも客入りは良いとは言えないお店なのに、家を持てる事自体が不思議でならない。


「さ、どうぞ。召し上がれ」


 おばさまは両腕を広げて和かに微笑んでいるが、私はその光景に顔を痙攣らせる。オジサマも同様なのだろう、私の隣で固まっている様に見える。


 私とオジサマが見つめるテーブル上には、数々の料理が所狭しと並べられている。ヤギのミルクを使ったシチューやほうれん草の様な野菜を使ったキッシュもどき。大河で獲れたであろう焼き魚にジャガイモっぽいサラダ。などなど。


「……お前、多くないか?」


 呆れた感じで口にしたオジサマに、私も内心で激しく縦に首を振る。


「アラそうかしら? カナちゃんが居るから、おばさんつい張り切っちゃった。でも、これくらいペロリと食べちゃうわよねぇ」


 いや、無理ですって。男三人ならもしかしてイケるかもしれないが、男はオジサマただ一人。


「流石にオレでもコレは食べられん」

「大丈夫よ、余ったら明日の朝ごはんにするわ」


 朝からヘビーな物を食べさすな。


 二、三日はメニューが変わらない事を悟ったオジサマは、大きくため息を吐いて晩ご飯に手を伸ばした。



「うぷぅ、食べ過ぎたぁ」


 充てがわれた部屋のベッドに腰掛け、パンパンに膨らんだお腹を摩る。部屋は長い間使われた形跡は無かったが、埃などがほぼ無かった事から、毎日の様に掃除をしているのだろう。


 室内にはベッドの他に、花や動物などの可愛らしい装飾が施された机が置かれていて、その上には魔術書などが置かれている。恐らくここはオジサマが言っていた娘さんの部屋。そして、私が着ているパジャマも娘さんが着ていた物なのだろう。胸は少し苦しいし、丈がやや短い。


「でも、中々美味しかったなぁ……」


 ここ最近は外食ばかり。自分で作っても、面倒になって簡単なモノで済ませてしまう。おばさまに料理を教えて貰おうか? などと思っていると、ドアのノックする音が聞こえた。


『カナちゃん、ちょっといいかしら?』

「あ、はい。どうぞ」


 ガチャリと開けられるドア。獣油のランタンに照らし出され、薄暗いの中に浮かび上がる白いモノにドキッとして目を見張る。何故陸にクラゲがっ?! あ、おばさまか。着ているのはネグリジェっぽい寝巻きなのだろうが、でっぷりしているから一瞬クラゲかと……


「パジャマの具合はどうかしら?」

「ええ、ちょっと丈が短いですが、大丈夫そうです。コレ、娘さんの物ですよね?」

「えっ、ソレ誰から聞いたの……?」

「え? オジサマからですよ。何でも、十四歳で学校に通っているのだとか……」

「そう。あの人はまだ……」


 え、何? おばさまのその表情は……。ま、まさか、亡くなった事から目を逸らして生きていると思い込んでいる。ドラマでありがちのパターン?! だとしたら私、聞いちゃいけない事を……


「十五よ」

「えっ?!」

「今は十五歳なの。娘の歳も分からなくなるなんて、いやぁねぇ……」


 頬に手を当てて苦笑いするおばさま。歳を違えただけかよ紛らわしい。

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