亀の全速力

「ねえ元気知ってる? 太陽ってのは、夜でもお空にあるんだよ! ただみんなから見えない所に隠れちゃってるだけなの! だからみんなの近くにはね、どんな時でも太陽があるって事なの! わかる!? あたしが何が言いたいか!? つまり! あたしは太陽そのものだって事! だって、みんなはいつでもあたしの近くにいるし、あたしの所にみんながいてくれるもんね! ほら、あたしはみんなの人気者だからさー! うんうん! そんなみんながあたしは大好きだぞー! 照れなくていいんだよー! みんなもあたしの事が大好きなんだもんねー! うんうんっ! ちゃんとわかってるよー! えへへへー!」


 いやわからん。意味がわからなかった。わかったのは、みんながこの人を大好きって所だけ。うん、それは本当にその通り。誰もがみんな、あの人の事が好きだった。あの人も、みんなの事を大好きでいてくれた。その命が燃え尽きる、最後の最後まで。


 けれど、今ならわかる。決して比喩なんかじゃなく、あの人は太陽だった。


 あの人の眩しさに惹かれ、誰もがあの人の周りに集まっていた。あの人の近くにいればいつでも心が暖かく、なんでも楽しかった。


 そんなあの人が好きだった俺は、あの日々が大好きだ。今でも一番、大好きなんだ。


 だからあの日々を続けたいと思った。けれど、俺の世界の太陽は沈んでしまった。ならどうしよう。俺だけじゃない。あいつらだって大好きに決まってるあの日々をまた過ごすにはどうしたらいいだろう。全く同じようにならないってわかってるけど、それでも出来る限りの事をして、遜色ない日々を送れるようになるにはどうすればいい。


 まだ何も知らない、小さくてバカな頭で考えて考えて、一つの答えが出た。


 太陽が沈んでしまったのなら、代わりの太陽を用意すればいい。


 だから、真似をする事にした。


 誰にも曇らせる事の出来ないような強さと眩しさを持った、誰にも愛され、誰しもを惹きつけてやまなかった、太陽って言葉がぴったりだったあの人みたいな、凄く凄く良い人間になる。


 そうすれば、楽しい時間が続けられるって、幼い俺は本気で思ったんだ。


 これが、小さな松葉元気が更に小さかった頃に抱いた、夢。


 けれど、現実はそう上手くいかない。そもそも俺には人を惹きつける魅力なんてもんはカケラもなかった。だから不思議だったんだ。俺はカッコいいだの凄いだのなんだのといちいち言ってくれる、四部屋隣に住む気弱な女の子の事が。一体、俺の何を見てそう思うのかなって。


 夢物語より夢見たいな目標を設定した俺であるが、それでも幸いな事に、いいお手本に恵まれた。


 俺は俺、あいつらはあいつら。自然と似たような人間になんてなるもんか。


 だから、真似をする事にした。


 一人は、いつも俺の前を歩いていた、あいつ。


 あいつは、ナチュラルにガキ大将だった。リーダー気質って言うのかな。自然とみんなの先頭に立つし、自発的にもみんなの先頭に立っていた。悪い見方をすれば目立ちたがり屋なあいつだったけど、それでも不満の声が聞こえてくる事なんてなかった。そこもあいつの性格というか、キャラクター故だったんだと思う。実際頼りになる、カッコイイヤツだって思ったもんな。


 だから、真似をする事にした。


 もう一人は、あの人の一人娘のアホ。


 こいつはまあ、ヘンテコというか、天然なんだろうな。俺には理解出来ない発言ばかり繰り返すヤツでさ。けど、あの人そっくりな性格のあいつが、人気者にならないわけがなかった。いつでも明るくて、いつでもうるさくて、いつでも話題の中心だった。そのくせふらっとみんなを放ってどっか行っちゃったりとか、まあ自由奔放だったよ。それでもあいつは愛された。スーパーな記憶力もあいつが人気者になる一因だったかもしれない。声を大きくする事も大切な事なんだって事は、こいつから教えられたみたいなもんだ。


 だから、真似をする事にした。


 あいつとあいつ。それに、あいつとあいつとあいつの真似もした。当然あの人も。


 あいつらそれぞれの良い所を、再現度高くミックス出来た。自分ではそう思った。


 けれど、それだけだった。


 名前の通り、元気なヤツ。周りからの評価はそこ止まり。


 普通以上に楽しい毎日を過ごせたけど、いつでも何かが物足りなかった。


 違う。こうじゃない。ハズレじゃないけど、正解でもない。


 言葉にするのが難しい違和感を抱えたまま時を見送る事しか出来なかった。気付けば高校三年生になってしまい、進路という問題にぶつかってしまった。


 なんて厄介な問題だと頭を悩ませていると、あのアホが言った。海外に行くんだと。


 なんでだよ。ふざけんな。そんなのやめてくれ。


 心の底からそう思ってしまった。


 先日、俺をおちょくるように言っていたあの言葉。心底悔しいのだが、何も間違いじゃない。


 こういう日が来る事は、なんとなくわかっていた。だから手遅れになる前に動き出した。わかっちゃいたが、あいつの意思は硬い。それでもまだ飽きらめられない。


 自分の為。自分が好きな世界を保つ為。


 そんな事、絶対不可能なのにな。


 他の願いなんて何もない。今更自分は変えられない。もはや、どんな俺が俺自身なのかもわからない。


 いつか、あの人は言った。俺が八重歯を見せて笑っているだけで幸せになれる、と。


 なら、今は? 今の俺を見て、あの人は幸せになれているんだろうか? いつもみたいに、笑ってくれるだろうか?


 あの人が教えてくれないなら誰でもいい。教えてくれ。どうか頼む。


 俺は。松葉元気は。


 一体全体、何がしたいっていうんだ?


* * *


「熱が出た!? 本当ですか!? いや嘘付く理由ないのわかりますけど! ポカリ要りますか!? というかポカリ飲みました!? ポカリ買ってきましょうか!?」

「大きな声出さないでダメねこちゃん……」

「ご、ごめんなさい……って! 誰がダメねこですか誰が!」

「くぅ……ねこちゃんのソプラノボイスはいい破壊力してるぜ……」

「火に油注いでくスタイルの奏太が悪い」

「ですよね……いやー参った……」


 ベッドに横たわり苦笑いを作る奏太と、ベッドを囲む七人の高校生。なんだ、この絵面は。


 お昼くらいに十四号棟下の夢モールで待ち合わせ。実にふわっとした約束を元に犬猫兄妹と合流したのだが、奏太だけがいなかった。ラインしても既読付かねえ電話鳴らしても無反応。よーし叩き起こしに行くかー! とノリノリな千華を先頭に部屋に入る。奏太起きる。自分具合悪いっすアピール。やたらポカリを推すねこちゃんがニャーニャーしてる。今ここ。


「熱は?」

「朝測った。ちょい高めだった。昼はまだ」

「……うん、熱あるねー」


 ベッドに腰掛け、躊躇なく奏太のデコに触れる美優。それを見るねこちゃんの驚いた顔がほんとに猫。目丸くしてんぞ。


「今日は外出禁止。大人しく寝てるよーに」

「えー」

「えーじゃない。悪化するし、祭りに来てる人に移す事になるでしょ。ダメです」

「あぅ」


 上半身を起こそうとする奏太のデコを人差し指一本で押し込んで黙らせる美優。だからねこちゃんの顔付きがああいや、なんでもねえなんでもねえよ。


「筋肉痛でも起こしたら笑ってやろうと思ってたけど、なんで弄り辛いのやっちゃうのかなあ奏太よぉ」

「安静にしとかなきゃダメだよ?」

「こればかりは仕方ないな。ゆっくり寝てるんだな」

「お粥作ろうか? 卵雑炊も出来るよ? 喉痛いなら林檎とかヨーグルト用意するよ!」

「っていうか、調子悪いんだったら朝起きて来た時にあたしに言えばよかったのに! 相変わらず奏太は変なとこ意地っ張りなんだからー」

「いっぺんに喋んなわかんねえ。飯は食えそうだから大丈夫。ここで大人しくしてるわ」

「そうしなさいな」

「あぅ、あぅ」


 奏太の頬をツンツン突いて美優が遊んでいる。それを見るねこちゃんが……もういいや、これ以上触れんとこ。


「さて、あたしたちは行こっかー」

「でも……本当に大丈夫ですか?」

「たかが風邪だってのに大袈裟だなあ、このねこは。熱中症でもなさそうだし薬飲んで寝てりゃ治るって。水分も冷蔵庫にあるから大丈夫。だからほら、さっさと行った行った」

「だってさ。ほら行こ。明日から二学期だってのに移されたらたまったもんじゃないでしょ。奏太も、さっさと治すよーに」

「どうやって?」

「気合い」

「脳筋女」

「言ってみただけだって。ゆっくり寝てさないよ。あとで様子見に来るから」

「いらんわ。おやすー」


 返事を待たずにタオルケットを頭まで掛けて丸くなっちまった。


「はい、そこの芋虫くんは放っておいて行きましょうねー。ほらほら、ねこ虫ちゃんも行きますよー」

「ねこ虫ってなんですか!?」


 美優にグイグイっと背中を押されるねこ虫を先頭に退室。俺らがいたら休むにも休めねえし、これが一番だ。はよ治せよー。


「あら、あんたたちまだいたの」

「あ、ママだ」


 家を出ると、眼鏡がめちゃんこ似合うめちゃんこ美人、美優ママとエンカした。


「あ! 小春ちゃんもいるじゃない! そのお兄さんの……ポチくんだっけ!?」

「わかってて言ってますよね!? 赤嶺謙之介です! お久し振りです!」

「堅苦しいのはいいわよー。うちの子たちと仲良くしてくれてありがとっ」

「はっ、はは、はひ……」


 パチっとウインクしてみせる美優ママに露骨にドギマギする駄犬。右隣に立つおかっぱちゃんと左隣に立つ愛玩動物妹の事を気にせんでいいんかおい。


「なんにしてもちょうど良かった! 探す手間が省けたわー!」

「何の話? っていうか勝手にふじのや開けて飲んでるんじゃなかったの?」

「あたしはこれから合流よー。みんなはもう派手にやってるみたいだけど」

「派手にやってんだ……じゃあみんなに伝えといて。奏太が熱出して寝てる。そんなに重症そうじゃないけど今日は寝かせといた方がいいよって」

「何ー? こんな日に熱出すなんてダラシないわねー奏太ったらもー」


 瞬間、ねこちゃんの目付きが変わった。美優ママは気付いてないのか? 一瞬だけど凄い顔してたぞあの子。怖い怖い。


 っていうか、随分露骨になったなあ。あの子的にはばっちり隠してるつもりなんだろうけどさ。


「わかった。奏太のご飯とかはあたしがやっとく。ってそんな事どうでもいいのよ!」

「そんな事っておい」

「美優! 夏菜! 千華! 小春ちゃんも! ちょっと付いて来なさい!」

「やだ」

「嫌だなあ……」

「お小遣いくれるならいいよ!」

「え、えっと……えっと……」

「何よもーっノリの悪い! いいから来るっ! 男共はその場で待機! 命令! 直ぐ済ませるから! ほら行くわよ!」

「こ、こら! 引っ張るなっ!」

「いいから早く早くっ! 言う事聞かないと家のネット全部止めちゃうしお小遣いも四割カットしちゃうんだから!」

「行きます」

「なんて弱々しい現代っ子!」

「さっさと行くよダメ金髪早くしてほんと」

「ダメとか言うなー!」


 わちゃわちゃしながら女子ーズは、浅葱家へと消えてしまった。


「……どうすんだよこれ」

「ここで待機します」

「美優ママの命令は絶対です」

「修も元気も普段どんな事されてんだよ……」


 あの人はよ、怒らせるとタチ悪いんだほんと……あの手この手で俺たちを……いや、思い出すのはやめよう。うん、それがいい。


「つーか修さ、それ」

「ん? ああこれ? 折角だから財布に付けてみたんだ」


 謙之介に言われて気が付いた。修のポケットから先端がはみ出している長財布のファスナー、その引き手の部分に、たーじいお手製のヘンテコ生物が括り付けてあった。


「マジで肌身離さず持ってるつもりか……」

「本当に何か願いを叶えてくれるなら、素直にありがたいじゃない? 物は試しだよ」

「つーか何願ったんよ?」


 お、それそれ。俺も気になる!


「それはまだこれから。今はそういうのないから」

「んだよー面白くねえなあ。受験とかそっち系でなんかあるもんだとばっかり」

「進路は自分次第でどうにでもなる事だからね、こういう物に頼るべき所じゃないかなって」

「修らしいわな。つーか志望校は?」

「都内の私立校」

「もう決まってんのか」

「そりゃそうでしょ。明日から九月に入るんだよ? 悠長に構えてていの?」

「わーってるからうちの親父みたいな小言は勘弁してくれ。つーかそこ受かったら都内に引っ越しとか考えてんの?」

「うん。学校近くにどっか借りる予定」

「お、おい」

「ん? どしたの元気」

「それ、初耳なんだが?」

「初めて言ったからね。親たちとはこれから相談するつもりだし」


 涼しい顔でなんつー事言ってのけやがるんだよお前。


「まあその方が面倒ないのは間違いないわな」

「ここから通うとなると乗り換え混みで一時間弱掛かるし。しかも電車とバスの利用必須だし絶対通勤ラッシュとかち合うし」

「あーそれはなかなか骨だなあ……」

「正直、ここを離れるのは嫌なんだけどね。それでも、いつまでもここに甘えてるわけにもいかないから。いい機会かなって」

「甘えるって?」

「ここにはさ、全部があるから」


 手すりを掴み、階下を見下ろしながら、修は言う。


「なんていうのかな……居心地が良くて……楽しい事が全部詰まってるような所、って言えばいいのかな。っていうか、楽しいそのものなんだよ、俺たちにとってこの場所は」


 そうだな。その通りだ。心底そう思う。


「ここで生きてると、ほとんどの事がこの中だけで完結しちゃうんだ。右見ても左見ても楽しい事ばかりだし、頼りになる人ばかりだからね」


 それのどこがいけねえんだ。


「だからさ、いい加減外の世界に飛び出した方が自分の為になると思うんだよね。大人になったら楽しい事ばかりじゃない日々が来るんだからさ、今のうちに少しでも慣れておかないと」

「なるほど、意識高い系か」

「というか今までが意識低い系過ぎたんだよ。世間知らずって言っていいくらいかもしれない。だから……ね」


 俺たちの視野が、俺たちの世界が狭いだけ。そんなのわかってる。わかってるが……そんなにいけない事か?


「ま、ここが楽しい所だってのはわかるけどよ」

「謙之介もここに越してくる?」

「冗談。俺には俺の生活があるんだ。楽しそうではあるけどよ」

「夏菜と一緒に登下校出来るようになるよ?」

「泣けるほど魅了的だが学校でも会えるからな」

「ほぼ毎晩夏菜の手料理食べられるようになるよ?」

「は、吐きそうなくらい魅力的だが……ぐ、ぐぬぬ……いや! 違う! そういうのは更に進んだ関係になって叶えればいい! だから大丈夫!」

「前向きだね、謙之介は」

「前以外どこ向く必要あるんだっつの」

「そういう所強いよね。ヘタレのくせに」

「ヘタレ言うな! 褒めるならしっかり褒めればいいのによ!」


 修の言う通りだ。ちょっと無鉄砲なくらいのポジティブさ。これは、謙之介のいい所だと思ってる。基本ヘタレだし頼りないんだけど、強いヤツだよなあって素直に思うよ。羨ましいくらいだ。


 そんなこいつとなら、夏菜も。


 これも、ずっと昔から思ってる事だ。


「元気は願い的なのなんかないの?」

「どうせ身長って」

「それ以上お喋りが過ぎるようならお前が練習終わりに小便チビった黒歴史を夏菜に」

「すいません申し訳ありません私が悪かったです調子乗ってごめんなさい」

「はは、そんなも事あったなあ」

「俺の願いなあ……秘密って事で」

「そんなに人に言えないような願いなの?」


 少し違う。赤の他人には言えるんだよ。修。お前らには言えねえんだよ。


「こういうのはペラペラ人に喋るもんじゃねえからな。そんだけよ」

「どーせロクでもない願いだろ」


 ロクでもねぇかは知らんけど、幼稚な願いではあるな。


「うっせーぞダメ犬」

「犬言うなクソチビ」

「あんだと?」

「なんだよ?」

「はいはいお止しなさいお止しなさい」

「そうそう。どんぐりの背比べはその辺にしなさいよー」


 やんわり止めに入る修に続いて聞こえたのは、美優の声だ。


「どんぐりの背比べって……おぉ?」

「おお……!」

「へえ」


 まず美優。次いで千華が見え、その後ろには恥ずかしそうに背中を丸めている夏菜とねこちゃんの姿……なんだけど。さっきまでと格好が違う。


「うん、いい反応。ちゃんと感想は寄越すように。千華にはいいけど」

「なんで!? どうよこれ! 超似合ってるでしょあたしー! ほらほら! 夏菜とこはるんも!」

「あう……」

「えう……」


 美優は青を。千華は黄色を。夏菜は紫を。ねこちゃんは赤を基調にした、浴衣姿へと変身していた。下駄まで履いている用意周到っぷり。美優ママ、この日の為に用意してきおったな?


「美優ママやるじゃん」

「あたしのママだもん、そりゃね。それで、どう?」

「うん。似合ってる。みんな似合ってるよ。正直ビックリだ」

「でっしょー!? いやーやっぱりあたしってば何着ても絵にな」

「っていうか小春ちゃん、髪も弄ったんだね」

「は、はい……」

「スルーよくない! あたし辛い!」


 ぎゃーぎゃー喚くアホの後ろで居心地悪そうにしている眼鏡っ子は、トレードマークのツインテールじゃなく、低めの位置でくるりとまとめたお団子ヘアーになっていた。


「へえ……うん、ねこちゃんによく似合ってる。可愛い可愛い」

「あ、ありがとうございます……」


 照れ臭そうにお団子を弄る様がおもちゃと戯れる猫っぽくてなんか面白いな。あと可愛い。


「ほら、コソコソしないのー夏菜は。どうせ隠れられる背丈じゃないんだから」

「わ、わかってるけど……」

「はいはいわん之介くん、感想をどうぞー」

「…………」

「謙之介くーん?」

「…………」

「えー今のを翻訳しますと、夏菜が可愛過ぎて辛い。好き。と言っているようですね」

「一言も喋ってなかったよね!? また美優ちゃんは適当な事言ってー!」

「やーん痛い痛い痛いよーっ」


 微塵も痛くなさそうに夏菜のポカポカパンチを受け入れる美優。当たらずも遠からずなんだろうけどよ、自由過ぎない?


 金魚みたいに口をパクパクさせる謙之介の視線の先には、サイドテールにイメチェンした夏菜の姿が。なるほど、こりゃ可愛いわ。


「ほれ、元気、感想っ」

「よく似合ってんぞ! その髪もいい感じ! いつもよりずっと大人っぽくていいな!」

「ぅ……あ、ありが……うぅ……」

「なんでそんな恥ずかしそうにしてんだー? 折角似合ってんだからもっと胸張れよなー」

「が……がんばるよ……」

「おうおう頑張れ頑張れ! 大体、恥ずかしいのはその前髪だけで」

「元ちゃーんっ!」

「ああ、いつもの夏菜だわ」

「もーっ!」

「もーっ! はあたしのセリフっ! ほら見て! あたしはどうなんだよーっ!」


 プンスカする夏菜の前に割って入ったのは、ちょっと派手目な黄色ベースの浴衣に袖を通した千華。


「おう、いい感じだな」

「でしょでしょー!?」

「その浴衣」

「あたしを褒めろあたしをっ! ねえ修! あたしどう!?」

「うん、いいね。その浴衣」

「だからーっ! なんだよなんだよー!」

「冗談だよ。うん、凄くいいと思う。やっぱり千華は可愛いね」

「だ、だよねー!? そりゃそうだよ! なんたってあたしは、世界一可愛いんだからっ! へへ……えへへ……!」


 チョロい。それにしても、美優ママのセンスは流石だわ。この浴衣を他の三人が着てもここまで映えねえだろうよ。ボケもツッコミもなんでもござれなお笑い担当キャラの所為かぞんざいに扱われがちだけど、こいつも可愛いんだよなあ。


「夏菜の髪もねこちゃんの髪もあたしがやりました」

「マジか。凄いな」

「なーんか修は心込もってる感じしないんだよなー」

「これでもしっかり込めてるんだけどな。美優もやるじゃん」

「それは髪弄りテク? それとも浴衣の着こなしっぷり?」

「どっちもだよ」

「もちょっとでいいから言わされてる感を隠せないもんかなあ」

「本心だってのに失礼な。いい感じいい感じ」

「まあ修だしこんなもんか。及第点って事にしてあげる。ありがと」


 美優はもう、流石って感じだな。単発バイトとはいえモデルを務めたのは伊達じゃない。むしろ美優に似合わないもんを探す方が大変なんじゃねーかな。つーかこういう格好させると人妻感が劇的に増すな。子供二人いますとか言われても驚かねえレベル。つまりアレ。エロい。


「よーし! みんな美人度マシマシになった! 千華以外!」

「酷いっ!」


 家から出るなり強めのパンチをかます美優ママ。美優ママは着替えないんか。ちょっと見てみたかったんだけども。


「結構団地の外からの来客も多いから、この子たちがナンパされないようしっかりガードするんだよー男共! わかった!?」

「あいあーい」

「わかってるよ」

「…………」

「って、謙之介くん? どうかした?」

「ああ、謙之介の事は気にしないで。これが平常運転だから」

「相変わらず変わった子なのねえ……まあいいわ! 折角のおめかしに折角のお祭り! 楽しんでらっしゃいな!」

「はーい!」

「いってきまーす!」

「あ、あの……お借りします……ありがとうございます……!」

「ママたちもはしゃぎ過ぎないようにね」

「わかってるってー!」


 ブンブンと手を振りながらエレベーターホールに消えてく美優ママ。若いよなあほんと。美魔女って美優ママみたいな人の事を言うんだろうなあ。


「さてと……行こっか?」


 見返り美人、美優の微笑みに、謙之介以外がそれぞれに返事を返し、後に続いた。


* * *


「今気付いたんだけどさ」

「おー?」

「このかかと高めの下駄をあたしが履く事によって、あんたとの身長差がより悲劇的なものになってない?」

「うるせー!」

「ごめん間違えた。喜劇的だった」

「だからうるせー!」

「怒らないでよ。ほんとの事じゃん」


 クスクス笑うこの女、浅葱美優。ほんとよくねえと思うわこういうとこ。


 日が落ち始めたけれど、この団地は依然として明るく、騒がしいまま。昨日よりも来場者多いんじゃねえかな。それもそうか。なんてたってうちの祭りには、二日目にしか見れねえもんがあるからな。それは何だって? 内緒だよ内緒。


「ったく……そういう弄りは俺だけにしとけよ? 人様の身体的特徴を笑うヤツなんてどこ行っても好かれねえかんな」

「大丈夫大丈夫。こんな事言うのあんただけだから」

「いらねーそんな特別扱い」

「照れるな照れるなー」

「うぜぇ……つーか……大丈夫だと思うか?」

「何が?」

「夏菜と謙之介」

「しらなーい」

「お前なあ……」


 悪戯心か小さな親切か。あの手この手を尽くした美優の策略によって、夏菜と謙之介が二人きりで祭りを巡っている真っ最中。ねこちゃんと修は、ふじのやに向かって行った。ふじのやのボスのSOSを受け少しの間だけ店の手伝いをするらしい。修は酔っ払い連中の相手兼、冷房の効く場所での休憩。あの大人たちの輪の中に放り込まれて休めるとは思えねえけど。頑張れ、修。千華はふらっといなくなっちまったし。いつもの事だけど。


「ま、思い出の一つや二つくらい作る協力くらいはいいかなって」

「気まぐれか」

「そ。何? 不安ならあんたがそれとなくサポートしてあげたら?」

「あのパルプンテドッグに何してやれるってんだよ……」

「確かに。とにかくここからは、若い者同士でってヤツよ」

「同い年だろうが」

「細かい事言ってるからあんたはミニマムサイズなのよ」

「そこまでじゃねえよそこまでじゃ!」

「あーはいはいはいはい。声だけはデカイんだからほんっとに……」


 ウザっとばかりに顔をしかめてっけど、その顔してぇの俺も同じだかんな?


 屋台で買ったかき氷を並んでパクパク。冷た過ぎて頭がキーンってするアレに名前を付けて欲しいとかどうでもいい事思いながら食べるかき氷の美味さたるや。


「この後どうすんだよ?」

「てきとーでいいじゃん。千華も型抜きしに行っちゃったし」

「そうなん?」

「型抜きマスターになりたいから屋台破産させくるって言ってた」

「破産するの千華の方だろ……泣き入れてくるまで放置しとくかー」

「ほんと自由だよねー千華は。目を離してても離してなくてもすーぐ一人でどっか行っちゃうし」

「今に始まった事じゃねえわな」

「だねー」


 俺らの知らん所で何かやらかす。そして大抵は、奏太に首根っこ掴まれて強制帰還させられる。あいつの破茶滅茶行動の予想をさせたら奏太の右に出るヤツいねえだろうなマジで。千華のお守りは奏太に任せときゃまず間違いないもんなあ。俺らとはまた違う十余年を共に過ごして来たのは伊達じゃねえって事かねー。


「型抜きじゃ飽き足らず興味の赴くままにその辺ちょろちょろしてしばらく音信不通とかそんなオチが見えた」

「まあ奏太に任せとけば……ああ、部屋でスヤスヤしてんだったね……」

「そーいやそうだった。大丈夫かねーあいつ」

「あの感じなら明日には落ち着いてそうだけどね。あとで様子を…………」

「どした?」


 顎に手を当て、黙り込んでしまった。如何にも考え事してます風だけど、なんだ?


「美優? 美優さーん?」

「うっさい。聞こえてる」

「急になんだよ」

「……どれだけ時間を掛けても解けなかった難問の答えが出た……ような気がして……」

「なんじゃそりゃ」

「……ちょっと行ってくる」

「はあ? どこに? つーかこのあとどうすんだよ?」

「直ぐ戻ってくる。どうせそんな遠くに行くわけじゃないし」

「あっそ……いってらー」

「うん」


 かき氷を俺に押し付け、足速に人波へと消えて行く背中は、一度も振り返る事はなかった。


「冷てえ……」


 渡された氷が溶け、手を伝い、ズボンを濡らした。


「なんなんだよ……」


 そんな言葉を吐き出させたのは、その不快感からか。違う。不安感からだ。


 絶対そんな筈ないのに……どうしてだろうな。


 あいつが俺をっていうか。あいつらが俺をっていうか。きっと、俺自身がのろまだから。


 俺だけが、ここに取り残されていく。


 そう感じてしまうのは、なんでなんだ。


* * *


「んがー! またダメだーっ! おじちゃん! もう一つ! かもん!」

「なあ千華ちゃんよぉ。もう諦めたらどうだい?」

「やだー! 絶対これ完璧にクリアして賞金貰うのーっ!」

「その賞金のうん倍の額突っ込んでんだよ……」

「いいの! 大切なのはこの戦いを勝って終える事だから! 細かい事はいいの! くーださーいなー!」

「はあ……千華ちゃんは将来ギャンブルにだけは手を出しちゃいけねぇよ?」

「ほえ? どうして?」

「そういうところだよ……」


 商売繁盛してるのになんか浮かない顔してるおじさんから新しい型抜きを受け取り、さあ挑戦。コツは掴めてきた。そろそろイケるはず!


「ってあー! いきなり割っちゃったー! なんで上手くいかないんだー!? まあいいや! おじさん次っ!」

「はいはい毎度あり……なんだか悪い事してる気分になるなあ……」


 溜息付いたりなんだりかんだり忙しいこのおじさんは、あたしたちが生まれる前からここの十四号棟に住んでる人で、毎年この祭りになると駄菓子の屋台を出してる人。何かとあたしたちを気に掛けてくれる、優しいおじさんなんだよ。


「いやはや……あの親にしてこの子アリ……かねえ……」

「何それ!? どういうってあー!? またやっちゃったー!」


 気になるワードに反応したら失敗しちゃった。今のはおじさん卑怯じゃない!?


「っていうか今のどういう事!? とりあえず次! ぷりーず!」

「そういうところもそっくりだよ……千華ちゃんのお母さんに」

「ママがどうしたの?」

「千華ちゃんのお母さんも、型抜きがへたっぴだったのさ」

「そうなの!?」

「今の千華ちゃんを笑えない程度には酷いものだったよ。成功するまでやめないって言うのもそっくりだ……ほんと……懐かしいなあ……」

「ふーん」


 不器用だったもんなあママ。細かい手作業とか針仕事とか全然だったし。


 小さい頃ってさ、体操着に自分の名字を書いたワッペン貼ったりするじゃない? アレとか大変だったんだよ。気付いたらママの手傷だらけになってるしミシンも使えないし。アイロンで貼る方も出来てなかったもん。最後は美優ママに手貸してもらってたっけ。そのくせ自分が不器用って事は絶対認めないし。なかなかの厄介ちゃんだよねー。


「まああたしの方が器用だけどね!」

「いや、どっちもどっちでは……」

「それに可愛いし!」

「いや、それは見る人それぞれでは……」

「そんな事ないですぅー! あたしの方がママより優れてるんですぅー! この型抜きバッチリ成功させて証明をしてあーっ!? またやっちゃったー! お、おじさんっ!」

「もう何も言わないよ……ほら……」

「うん! 負けねぇ……あたしは負けねぇぞぉ……!」

「おっちゃん。俺にも一つ」


 一人で盛り上がるあたしの隣、誰かが腰を下ろした。なんだぁ? あたしと張り合おうってかぁ? っていうか集中してるから邪魔しないんで欲しいんですけどぉー?


「はいよ……って……お、おい!」

「久し振り。ただいま」

「……ビビらせるんじゃないよまったく……お忍びか?」

「まあ一応ね。って事でSNSで拡散とかは勘弁でお願い」

「んなもんやってないけどわかったよ、有名人」

「ありがと。それで、どうだい? 金髪チビ助さんよ」

「はぁ? いきなり何をってあー!? 今超いい感じだったのにーっ! なんだよあんたー! あたしの邪魔し……」


 隣で屈んでいる人に文句の一つも言ったろうと首を捻ったら。


「よう。ちょっと振り。パパだぞ」


 サングラスを掛けたチャラい男が、笑っていた。

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