へたっぴ
「あれ、美優?」
「おはよ、修」
早朝でも情け容赦のない熱気を切り裂くようなスピードで、日課である早朝ランニングから修が帰ってきた。この暑い中ランニングスーツ着てるとか正気? 脱水とか気を付けてよ?
「随分早起きだね」
「それはこっちのセリフ。今日試合だってのにその入れ込み方どうなってんの? 頑張るとこ間違えてますよー」
「この日課やらないとどうにも落ち着かなくてね」
「試合中へばってみっともないとこ見せたら指差して笑ってやるからね」
「あれ、観に来てくれるんだ?」
「来て欲しくないの?」
「まさか。ただ、カッコ悪いとこ見せられないなって思ってさ」
「カッコ悪いとこなんて飽きるほど見せてきたくせに何言ってんの」
「だよね。言ってみただけ」
「あーっそ。ほれっ」
「っと。ありがと」
適当に放り投げたスポーツ飲料のペットボトルをしっかりキャッチして笑う修。うん、緊張はしてないみたいだ。
夏の高校サッカー神奈川県予選、今日、準決勝が行われる。勝てば全国大会へと更に近付く。逆に言えば、今日負ければ終わり。修の夏も、川ノ宮高校の夏も。
そういう大事な試合を控えている割には。
「どしたの? テンション高くない?」
「そう?」
「そう」
「まあ……うん。そうだね。高いかも」
「どして?」
「そりゃ相手が相手だからね」
らしからぬ好戦的な笑みを浮かべている。元気がよく見せる表情に似ているね。
本日、川ノ宮高校と一戦交える高校は、同じ川崎市にある県下有数のサッカー名門校。高校選手権もインターハイも常連さん。獲得したタイトルは数知れず。今年は例年以上にチーム力が高いらしく、既にプロ入りが内定している選手数人で構成されたメンバーは歴代最高クラスの強さだと評判。県大会はもちろん、全国大会すら優勝するだろうとまで言われている、本命中の本命。
向こうは大本命。こっちはポッと出の無名、大穴中の大穴。チーム力の差は圧倒的。それでも、最後までわからないのが勝負の世界。試合前から匙投げる必要なんてない。贔屓無しに川ノ宮高校も凄くいいチームだと思うし、ジャイアントキリングは充分あり得ると思うよ。
「楽しみなんだ?」
「今の俺たちがどこまでやれるか試すには最高の相手だからね」
「そか」
黙って踏み台になるつもりなんて毛頭ない。勝つ気満々、って感じだ。
「千華とケイトさんから連絡来てたよ。ケイトさんは頑張って来いだけだったけど、決勝なら応援行けるから絶対勝ってねって千華には言われちゃったよ」
「あのアホらしいね」
「ほんとだね」
けど、いい感じに気合い入れてもらった。って顔してる。
「なんて返信したの?」
「任せて。だったかな」
「お、イケメンっぽい返事」
「イケメンっぽい返事とは? ふぅ……」
ペットボトルに齧り付いて喉を潤す様は、まごう事なくイケメン。そりゃモテるはずだよ、こんなカッコいいんだもん。
「今日はもうお終い?」
「ストレッチして終わりかな」
「そか」
「先戻ってたら?」
「いい」
「そ」
地べたに腰を下ろし、各所の具合を確かめるように体を伸ばし始めた。
「……よし」
「お?」
修の背後に回って、汗でびっしょりの背中に手を添えてみた。首だけ回してあたしを見上げる修の妙ちきりんな顔は、眠気覚ましには悪くない。
「手伝ってあげる」
「汗だくだよ?」
「いいから。次反対」
「うん」
ぐいっと、修の体を倒す。結構体重掛けてるのに痛いとも言わないし、辛そうな素振りさえ見せない。逞しくなったんだなあ。
「前にもこうして美優に背中押してもらった事があったんだけど、覚えてる?」
「ああ、あったね」
小学三、四年の頃だったかな。前屈ってあるじゃん? アレ、爪先か手の平が床に着けられる人って、それだけで凄い凄い言われるじゃない? 奏太と元気がその、凄い凄い言われるヤツだったの。それを羨ましげに見ていたのが体カッチカチ人間、修。
あ、意識してるな。これは特訓コースかな。とか考えてたらその日の放課後、校庭の片隅で一人ストレッチに耽る修を見つけたんだ。思わず手を貸しちゃってたよね。修は不満気だったけど。
「もうあたしの手助けは要らないかあ」
「あの頃だって要らなかったし」
「そうなの?」
「そうだよ。多分」
「多分か」
「うん、多分」
多分だなんて、如何にも修らしい。自分自身に自信が持てない所なんか、本当に。
何事にも自信が足りない修に努力を促すガソリンは、いつだって言葉にし辛い感情ばかり。悔しさ。嫉妬。それに、憧れ。それらの対象はいつだって、あいつとあいつ。修が出来ない事がなんでも出来た、あいつら。
いつだってあいつらは、修が頑張れる理由だった。
逆に言えば。あいつらがいないと、修は頑張れない。
「ね」
「うん?」
「変な事聞いていい?」
「いいよ」
「修は何の為にサッカーを続けて来たの?」
だったら、今は? もうあいつらのいなくなった場所で、何を目標に、何の為に修は、一人で頑張ってるんだろう。
「本当に変な事聞くね」
「なんか思い付いちゃったんだもん。ごめんね、試合前にいらない事聞いて」
「それはいいんだけど……理由……理由か……そうだな……」
「やっぱ好きだから?」
「うん……好きだし楽しいし……だね」
「そか」
「うん」
「次、前」
「ああ」
促されるまま容赦なく体重を掛けたけど、苦しそうな声一つ上がらない。昔はヒィヒィ言ってたのにな。
「それと」
「それと?」
「見返してやりたいなってのはあるかな」
「見返す?」
「あーやっぱ待って。見返すはちょっと違うな……なんていうか……うーん…………ちょっと底意地の悪い言い方になるけど……」
「うん」
「後悔させてやりたいんだ」
「誰を?」
「奏太と元気と謙之介」
グッと体を沈めているから見えないけど、修は笑っているんだろうな。愛想笑いとは違う、不器用な笑い方して。
「俺と一緒にやってればこんなに楽しかったのに。こうして、全国に手が届く所まで来れたのに、ってさ」
「そっか」
「引いた? 幼稚な動機過ぎて」
「ううん全然。修らしいじゃん」
「俺らしいの?」
「そだよ」
「そうなのか……」
本当、笑っちゃいそうなくらい修らしい。わざわざ教えてくれる辺りはあの頃とは違うけど。大人になったって事かなー。
「ああ、それとさ。目標みたいなのが一応あるんだ」
「ほうほう」
「興味ある?」
「ある」
「あーっと……本当に聞きたい?」
「ここまでチラ見せしておいてやっぱ言わないはナシでしょ」
「そうなるよね……早まったなあ……」
「そんなに言いたくなかったの?」
「言いたくないっていうか……ちょっと恥ずかしいというか子供っぽいというか……でも美優だから言えるというか……」
「勿体振らないの」
これ以上隙を作らないで。でないと、美優だから言える。その言葉の真意を確かめたくなっちゃうでしょ。
「……内緒で頼むね?」
「もち。かもん」
「……俺さ……」
後に続く、そよ風に掻き消されそうなくらいの囁きは、なんとも修らしいものだった。正直、想像通り。
想像と違う事があったとすれば、それはあたし自身。
「……そっか」
だって、自分でも理解出来ないくらい、苛立っちゃったんだもん。
* * *
言葉が出ない。ありふれた鼓舞の言葉一つすら出て来ない。応援に来てくれた謙之介もねこちゃんも、仕事を休んで観に来た元気でさえも黙り込んでしまっている。それでも会場内が騒がしいのは、あたしらから離れた所で応援団的な人らが超騒いでいるからだ。なんだ、この温度差は。
「み、みんな……が、がん……ば……」
頑張れ。夏菜が頻繁に口にする言葉すら飲み込ませてしまうのか、あたしたちの目の前の光景は。
電光掲示板上、川ノ宮高校の表記の隣に記された数字は0。一方、対戦校の隣は、5。ごめん嘘。たった今、6になった。
前半だけで四点を取られた。後半開始早々に一点。そして今、もう一点。向こうのシュートミスやゴールポストが仕事したりと、これでもまだ点差は開いていない方なんだからとんでもない。
圧倒的。レベルか違う。勝負にすらなっていない。ほとんど大人と子供状態。
なんで? どうしてこんなに違うの? 同じ高校生同士なのに絶対おかしいよ。理不尽じゃん。
何が勝負の世界は最後までわからない、だ。そんなのただの現実逃避、甘ったるい気休めだってわかってた。やる前から結末の決まり切った勝負はある。この世の中、数えきれないくらいあるって。川ノ宮高校のユニフォームを着た面々はその現実を受け入れてしまっているのか、まるで活気がない。
残り十五分とロスタイム。もはや誰の目にも勝敗が明らかなこの十五分強は、川ノ宮高校の選手たちにとって、ただの地獄でしかない。体力以上に消耗しきった精神状態で、一筋の光明すら見出せない戦いを続けねばならないんだから。
下を向くな。諦めるな。そんな薄っぺらくて無責任な事、口が裂けても言えない。じゃあなんて言えばいい? 悔しさに歯軋りしながら生き地獄を味合わされている川ノ宮高校の選手たちに、なんて?
いや、違う。ないんだ。あたしみたいな部外者が言える事なんて、なんにも。
それでも、何か言うならば。
偉そうに言えた事じゃないけど、みんなはよく頑張った。よく戦った。ここまで上がって来れるなんて誰が想像出来ただろうか。本当に凄い事だと思う。負けて悔しいのは当たり前。あたしたちだって悔しい。けどどうか、胸を張って欲しい。ここまで来れた自分たちを褒めてあげて欲しい。
こんな感じの、安っぽい労いの言葉くらいか。だって言えないもん、頑張れだなんて。そんな、まだ戦えと言わんばかりの言葉、あたしには言えないよ。
だから、このまま黙って、試合が終わるまで耐え抜く。それでいい。
誰かの応援が力になる。それを否定するつもりはないけれど、誰かの応援が重荷になる事だってある。今回は後者だって言う、それだけの事。だからもう……。
「美優」
誰かがあたしを呼んだ。左隣にいる人だ。誰だ? ああ、奏太だ。試合開始から黙り込んでいた、奏太だった。
「え?」
「聞きたいんだけどさ」
あたしに質問のあるらしい奏太の顔を見つめてみたけど、目が合わない。奏太が真っ直ぐに見ているのはあたしじゃなく、拷問にも等しい光景が繰り広げられているグラウンドの中の一人にだから。
「あいつが帰ってきたらなんて声掛けるつもりだ?」
「え?」
「どうだ?」
「それは……わかんないよ……そんなの……」
「そうか。そうだよな。ならさ、今目の前にあいつが寄って来たとしたらなんて言う?」
「目の前に?」
「そう」
「そんなのあり得ないじゃん……」
「細けえ事はいいんだよ。どうする?」
「……なんでそれをあたしに聞くの?」
「んなもん、お前が美優だからに決まってんだろ。他に理由があるなら教えて欲しいくらいだ」
「意味わかんない……」
「俺にだってわかんねえよ」
「何それ……」
「ま、美優があいつから目を離したら、誰があいつを見ててやるんだってのはあるよな」
今度は右隣から。あたしより低い位置から言葉が飛んで来た。
「元気……」
「意味はわからんけど、何も不思議な話じゃねえ。昔からそうだったんだからよ」
「だからそれじゃ意味が」
「意味なんてどーだっていいんだって。大事なのは、あいつに。お前が。なんて言うか。それだけだ」
力強く言い切る横顔に、返す言葉が浮かばない。だからもう、意味を探るのはやめた。
なんて言うか? 端正な顔を歪め、今も必死に走り回っている修になんて言うかって?
「あたしが……」
あたしにはわかる。もうとっくに、修は諦めている。最後まで走り通しても、死ぬ気で頑張ったって勝ち目なんてない。そう思っている。
品行方正、清廉潔白、初志貫徹なんて言葉で修を評した人がいた覚えがあるけど、あたしに言わせれば見当違いも甚だしい。修、実は面倒臭がりだし、堅苦しいのも嫌いだし。不真面目とは言わないけど、間違いなく真面目ではないよ。悪ふざけとか大好きだし。あいつらの影響かもね。
そんな修は、現実を知っている。誰かに出来て自分に出来ない事など星の数ほどあるのだと、どうあがいても覆せないものがあるのだと、ちゃんと理解出来ている。出来ていないはずがない。
何も出来ない不器用な自分。誰かに敵わない現実。それも認めている。理解している。
けれど、目の前の勝負を投げ出さない。今だってとっくに諦めているくせに、死に物狂いで走る事をやめていない。違う。やめられないんだ。
それは何故か。努力する事を投げ出せないのは何故か。
簡単だ。へたっぴなんだ。何かを諦めるって事が。
修は、バカなの。賢いくせにバカなの。手が届かないって頭で理解出来ていても、それでも行動をやめられない、頑張る事を投げ出せない、呆れるくらいの大バカなの。昔からずっと、今だってそう。あたしにはわかる。だって知ってるもん。
いつだって、修の隣にいたんだから。
だから修は走っている。悔しくて悔しくて仕方がないけど。勝ち目なんてないって理解出来ているけど。諦め方を知らないから。
「あたしなら……」
「ああ」
「おお」
きっと、こいつらがその理由。何かを諦める事をへたっぴにした存在。
奏太と元気は器用だった。なんでも出来た。修には出来ない事が、なんでも。
そんなヤツらに挟まれてずっと生きてきた修が、悔しさを覚えないはずがない。
だから修は頑張った。頑張って頑張って、やっぱり頑張った。今の修だけを知ってる人らは、なんでもソツなくこなす器用なヤツだと思っているんだろうけど、そう見えるのは偏に、みんなに見えない暗がりで、楽しい時間を削って、不器用なりに必死に努力をしてきたから。
奏太と元気と肩を並べられるように。奏太と元気を追い越せるように。
それが、修のバックボーン。それだけが、修を支えてきた。
あたしにならいい。そう言い、今朝になって教えてくれた、修の目標。昔から今日までずっと変わっていない、修が頑張らなきゃいけない理由。
奏太と元気より、凄い男になる。
こんなにも幼稚で、こんなにも抽象的で、男らしさのカケラもない女々しい事が、修の目標なんだってさ。
は? 何それ? バカ言ってんじゃないの。なんだってそんな事に拘ってるの。ってなるよね。こんなの聞かされたらイライラもするって。
だって、当の本人だけが知らないんだもん。
山吹奏太が認めてる。松葉元気が認めてる。みんなが認めてる。
桃瀬修は、それくらい凄いヤツになれてるんだって。
そんな事ないの一点張りで認めないんだろうね、あのイケメンは。ほんと、呆れるくらい頑固なんだから。
でも、大事なのは自分がどう思うかだから、どんなに周りが認めたってそこがゴールにはなり得ない。自分を納得させられないうちは、目標を変えられない。
修は、頑張り続けなきゃいけない。頑張る事をやめたら、あの二人に追い付け追い越せする事を投げ出したら、今までの自分を投げ出す事と同義だから。
だから。
修。まだ止まらないで。負けないで。今日も勝って次も勝って、勝って勝って勝ち続けて。頑固で偏屈で異様に自己評価の低い自分が納得出来るくらいの成績を叩き出して、修自身に教えてあげて。
自分は、そういう男になれたんだって。
だから、あたしが修に掛けるべき言葉は。
「……がんばれ……」
結局、これだけだ。
「だよな」
「だよなー!」
あたしの左にいるヤツも右にいるヤツも、眼下の状況が見えてないんじゃないかってくらい笑っている。仮にも川ノ宮高校応援サイドにいる人間がどうなのよその顔は。
「うん……」
ね、聞こえてる? 聞こえてないか。そりゃそうだ。だけど、あたしは言うよ? 恥ずかしいし空気読めないしでもう大変だけど言うから。大きく息を吸って……せーのっ。
「がんばれ……修……」
思いっきり叫んだ……はずだったんだけど。なぜだか声が掠れてしまい、大きな声を出せなかった。こんなんじゃとてもグラウンドには届いていない。それなのに。
「あ……」
ほんの一瞬、修と目が合ったのは、絶対に気の所為なんかじゃない。
* * *
「いつの間に入ったんだ……」
「ん」
「ねえ美優?」
「んー?」
「それは俺の枕であって美優の抱き枕じゃないんだけど?」
「ん」
「もっと言うなら、そこは俺のベッドなんだけど?」
「ん」
「……また汗臭いとか言ってくれないようにお願いね」
「や、ちょっと汗臭いかも」
「それは悪かったね」
「ひはひひはひほっへふへはらひれー」
「何語だよ……」
あたしの頬をやんわり抓りながら、溜息を吐き出す修。さっきまでお風呂に入っていたからか、肌に触れた修の手は、びっくりするくらい温かかった。
「酷い。なんて事するんだ。暴力反対」
「そう思うなら暴力を受けないよう振る舞って欲しいんだけど」
「何その微DV男マインド」
「微ってなんだ微って……ふぅ……」
呆れたように表情を歪め、ベッドの脇に背中を預けて座り込んだ。
「お?」
「どしたの?」
コロコロしてるあたしの目の前に、まだ少し湿り気を帯びた修の後頭部が現れたので抜き打ち白毛チェックタイム入ります。うーん……はい、問題ありません。合格っ。
「なんでもない」
「元からよくわからない美優だけど、最近は輪を掛けてよくわからないね」
「そーお?」
「そうだよ」
「まだあたしには、修にもわからない何かがあるんだね」
「まだ俺にも、美優でもわからない何かがあるでしょ? それと同じ」
「そっか」
「そうだよ」
そういうものか。そういうものだらけだったね。
「はあ……」
溜息を追加して、より深く背中をベッドに沈めていく修。ぼんやりと天井を眺めているけど、そこには何が見えるの?
「ボロ負けだったなあ……」
どうやら、数時間前の自分たちを思い返していただけらしい。天井のシミでも数えているのかとばかり。
「だね」
「こんな……ぐうの音も出ないほどボコボコにされたの……初めてだ……」
後半終了間際、念には念をと言わんばかりの一点を追加され、終わってみれば0対7。スコア内容共に完敗だなんてそんな生易しいものではなく、同じステージに立つ事そのものが間違っているのではと思えるほど、レベルが違った。
「うん。初めて見た」
「引っ掻き傷くらい残してやろうと思ったんだけど、それすらさせてもらえなかった」
「そうだね…………あのさ、これはもしもの話なんだけど、もしまた今日と同じメンバーで試合したとしたらさ」
「絶対勝てない。何度やっても無理。むしろ今日よりズタボロになるんじゃないかな」
「そっか」
「うん……凄かった……本当に凄かった……」
「……楽しかった?」
「まさか。あんな一方的に殴られ続けて楽しいわけないじゃん」
「だよね。言ってみただけ」
「ま、いい経験になったってのは間違いないかな」
「そか」
「ああ」
「修?」
「うん?」
「お疲れ様」
ポンっと一回。撫でると言うより、軽く叩くように、修の頭部に触れた。やっぱりまだ少し湿っぽいや。
「うん……今日は疲れたよ……ごめんね、こんなだらしのない試合しちゃって」
「ううん」
「だらしなくなかったって事?」
「だらしなかったよ。超だらしなかった」
「そこまで言うかね……」
「ただ、謝る事じゃないって思っただけ」
「そうなの?」
「そうなの」
「そういうものか……」
修たちが頑張ってた事、知ってるもん。だから謝る必要なんてない。むしろこっちがごめんねって言いたいくらい。勝手に期待して、勝手に頑張れって言ってごめん、って。これ言ったらややこしくなりそうだからやめとこうかな。
「あーあ……これで俺も引退かあ……こんなボロ負けがラストゲームとかマジか……」
「春まで残るつもりは?」
「ないよ。俺の為にもならないし、後輩たちの為にもならない。ここが潮時だよ」
「それでいいの?」
「よくないよ。本当は今日勝って次も勝って全国でも勝って勝ってってし続けたかったから……あ。千華に約束したの思い出しちゃった……なんて言われるかな……」
「ちゃんとライン入れとくんだよ?」
「わかってるよ……まあ、千華なら適当でいいよね」
「うん。千華だし」
「だよね」
修が少し笑った。やるじゃん、千華。
「ね、質問」
「どうぞ」
「今朝、あの情けなくて女々しくて幼稚な目標を教えてくれた時の事なんだけどさ」
「そこまで言う? っていうか質問ってそういう方向?」
「今朝から気になってたんだもん。あの目標、あたしだから言えるって言ってたじゃん? あれってどういう意味なの?」
「変なとこ掘り下げるなあ……」
「だって気になるじゃん。あたしだって、女の子なんだから」
姉弟じゃなくて。もちろん、家族でもなくて。あたしはそう思うから。
「なんであたしだけに教えてくれたの?」
「なんでって……美優が美優だからとしか」
奏太と元気と同じ事言うんだね。
「それはつまりどういう事なの?」
「そんなの……特別って事以外ないでしょ」
「そうなんだ……あたしは特別なんだ……」
「繰り返さなくていいから」
「そっかあ……特別かあ……」
「まあ……なんだ……形は違うかもしれないけど……いや。そんなに違わないな。美優だけじゃなくて、奏太も、元気も、千華も、夏菜も。謙之介と小春ちゃんだって、みんな特別だよ。ただ、特別にもいろんな特別がある。それだけなんじゃないかなあ」
「そっか」
「ああ。いやはや……慣れない事は言うもんじゃないな……なんか恥ずかしい……」
相変わらず後頭部しか見えないけど、照れ臭そうにはにかむ修の顔が、あたしには見えた。
「夏菜に至っては好きな人だもんね。超特別だよね」
「……今それ言う?」
「ダメだった?」
「……別に……」
「カッコいい所、見せたかったね」
「ほんと容赦ないな……でもそうだね。夏菜にカッコいい所見せる事も出来なかった。それに……千華に次の試合見せてあげる事も出来なかったし、ねこちゃんの応援に応える事も出来なかった。奏太と元気と謙之介をビビらせる事も出来なかった。美優にだって……そんな顔させちゃってるし……」
何言ってんの。今のあたしの顔、見てないくせに。
「ああクソ……なーんにも出来なかったなあ……ほんと……何にもだ……」
「……っ……」
「へ?」
「う……っく……」
「いや。いやいやいやいや。どしたの美優さん」
「うるさい……こっち向くな……」
「うげっ」
何かを察知して振り向いた修の首を掴んで、無理矢理に前を向かせた。関節が鈍い音を立てたような気がした。謝る、後でね。
「……俺……なんか言っちゃった?」
「ううん……しゅ、修が……へたっぴだから……ぐすっ……」
「だよね……わかってるよ……俺……へたくそだったもんな……みっともないくらいへたくそだった……何回ミスしたかわかんないよ……今日まで何やってたんだろうな……ほんと……情けないなあ……」
違う。わかってない。サッカーの話なんてあたしはしていない。
あんな負け方して悔しくないはずがない。悔しくて悔しくて仕方がないに決まってる。全身から滲み出ているくらいだ。
それなのに修は、一度も悔しいとは言っていない。
実は悔しくないとかじゃない。ただ、悔しがるのがへたっぴなだけ。
奏太と元気とかけっこ対決で負けた時。腕相撲で負けた時。リフティング何回出来るかで負けた時。ゲームで負けた時。他にもまだまだ、敗北エピソードはある。
その度に、あたしは見てた。負けても、無理矢理笑ってばかりの修を。その後、誰も見てない所で、悔しいとかムカつくとか、恨み言の一つもなく、黙々とリベンジの為に努力をする姿も。
悔しがるのもへたっぴ。諦めるのもへたっぴ。強がるのもへたっぴ。喜ぶのもへたっぴ。カッコ付けるのもへたっぴ。
へたっぴ尽くしな修だけど、へたっぴランキング第一位が何か、あたしは知ってる。それは、自分の事を好きになる事だ。
修は、自分が嫌い。あたしたちが好きな修自身を、心底嫌っている。
修のそんな所が、あたしは嫌い。昔からずっと、大嫌いだ。
何度も言うけど、修の事は好き。きっと何をどうしたって嫌いになる事なんてない。あたしにとっての修は、特別な存在だ。大切大切で仕方がない。だから。
「バカ……修のバカ……」
だから、教えてあげてるの。本当に悔しがるって言うのは、こう言う事なんだよって。それ以上の意味なんてない。こんなの、芝居みたいなもの。それだけなんだから。
「ごめんね」
「うっさい……謝るな……っ」
「……美優が俺の前で泣くの……初めてだ」
「泣いてない……ちょっと……修の代わりに悔しがってるだけだもん……ぐすっ……」
目の前にある修の後頭部にしがみ付いた。抱え込むように。離さないように。嫌なものを少しでも、預けてもらえるように。
「なんだよそれ……急にやめてくれよ……泣くのも……頼むから……ダメだって……そんな……もらっちゃうだろ……」
「だ、だって……っく……」
「あーも……ちっくしょう……っ……!」
大粒の情熱が、あたしの大切なものを、静かに濡らした。
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