第2話 幼馴染に相対す

3

 あのあと執事の男性――レインというらしい、らしいも何も自分で設定した名前だ。ほとんど登場しないモブのような人物で、まさか外見は設定していなかったから最初は彼だとわからなかった――と少しだけ問答を繰り返して俺は自分が『補助魔法しか使えないけど最強です』の世界にいるということに気付いた。


 空いた口がふさがらなかった。もちろん本当にずっと口を空けていたらいよいよレインに病院に連れていかねかれない。今のはいわゆる文学的クリシェ――決まり文句――というやつだ。


 異世界転生というのは本当に起こるのだな。生まれ変わったわけではないから正確には異世界転移、あるいは異世界トリップというやつか。


 だったら! どうせ異世界に転生させるなら主人公に転生させてくれればいいのに。よりによってなんでこいつなんだよ。


 いやそもそもまだ自分が本当に異世界に転移したと決め付けるのは早計だろう。普通に考えればこれは夢だ。


 いつもファンタジー小説のことばかり考えたり、書いたり、読んだりしているからつい異世界転移だなんだと頭のなかで大騒ぎしてしまったが、これは夢の公算が高い。


 とりあえずしばらくは流れに任せてみよう。


「レイン、今日俺は何をすべきだったかな」


「それもお忘れですか。やはり本格的に寝ぼけてらっしゃいますな。ジーヴスさまは明日から魔法学校のほうに戻られる予定だったかと思われます。今日やるべきことがあるとすれば、出発の準備かと思われますが」


 そういえばそうだったな、などと俺はあいまいに返す。どうやら今は夏季休暇のかなり終わりの時期らしい。小説で言えば10万字と少し経ったところのはずだ。


「わかった。それなら俺はそろそろ学園に発とう。少し早いだろうが、そろそろ級友の顔が恋しくなってきた」


 レインはきょとんとした顔をしている。


「どうかしたか?」


「いや以前ジーヴス様は名門魔法学校といってもレベルが低く、自分と張り合える人間はほとんどいないと仰っていたので」


 俺の小説に出てくるジーヴス・コーラルというキャラクターの人格を一言で表すのならば「傲慢」がしっくり来る。


 貴族であることや学年で5本の指に入るであろう魔法の腕を鼻にかけた嫌なやつ。そういうキャラクターとして設定した。きっとこの執事レインにも今まで多くの気苦労をかけたことだろう。


「しかし坊ちゃん、メルリがまだ買出しから帰ってきておりませんが」


 メルリとはジーヴスの従者の1人だ。ジーヴスの通う魔法学園では、学園関係者以外は従者であっても長期の滞在を許されないため、裕福な家柄の生徒は大抵同じように生徒として入学した従者を随伴させる。


 メルリもまた同じように魔法学園の生徒であった。レインとは親子関係にあるという設定のはずだ。


 今普段一緒にいるメルリと遭遇するのはまずいのではないかと思った。ボロが出ない保障はない。メルリに会う前に少しはロールプレイの練習をしておくべきだろう。


「メルリには悪いが、俺はやはり先に行くことにするよ」


「しかし坊ちゃん、お一人で外に出られて何か危険でもあったら」


「心配するな。俺はこれでも魔法学園では学年で五指に入る秀才と呼ばれているらしい。自分の身ぐらいは自分で守れるつもりだ」


 コーラル家の最寄にある鉄道の駅から魔法学園までは6時間ほどかかるということが駅員から聞いてわかった。


 俺はジーヴス・コーラルの家と魔法学園の距離までは設定していない。レインの容姿といい、もしこれが現実のできごとだとしたらそうしたブランクはどのようにして埋められているのだろうか。


 この世界ではまだ電車が開発されておらず、鉄道といえば汽車を指す。乗り心地は、電車に慣れている俺にとっては決して快適とは言えないものだった。


 列車には徐々に魔法学園の生徒が乗ってくるが、俺の腰掛ける4人がけのボックス席には誰も近寄ろうとはしなかった。


 なぜならジーヴス・コーラルとはそういう男だからだ。


 あらここが空いてるわ。


 そういって前の座席に腰掛ける女が1人。俺は少し驚いてそちらを見る。


 そこにいたのは小柄な金髪の少女だった。両端の側頭部からサイドテールにして垂らされた頭髪は明るすぎることのない品のある金色で、思わず見蕩れた。周囲の生徒とは違って妙に着崩された制服の胸元やスカートの裾のあたりが眩しいほどだった。


 彼女の名前は名乗られなくてもわかる。ヴェルナ・スカイケア。ジーヴス・コーラルとは同じく貴族の出身であり、幼馴染というほどのなじみはないが、社交界などで子供のころからいくらか面識があるはずだ。


 彼女もまた学年では5本の指に入る実力者、いや3本の指にも確実に入るだろう。


「ジーヴス、あなた夏季休暇明けにもなってまだ学友の1人もできていないみたいね」


「余計なお世話だ」


 当初ジーヴス・コーラルは学年屈指の人気者だった。性根の悪さに多少目を瞑れば、家柄もよく成績も優秀だったため、友人といえるかは別として、取り巻きは男女問わず大勢いたのだ。


 しかし夏季休暇に入る少し前、主人公のアゼル・セイヤーズ――彼は前評判だけで言えば学年でも最下層だった――に負けて以来、彼の取り巻きはほとんど解散してしまった。


 アゼルに負けようと彼が実力者であることも貴族の出であることも変わらないはずだが、こうした描写の不自然さは俺が読者を喜ばせるためにジーヴスの悲惨さを強調したゆえと思ってもらってかまわない。

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