024 『キャロット登校』
話さないから、喋らないから人気が出る? どういう事だ?
普通に考えて、姫先輩は話すのが得意だと思う。むしろ、話をずっと聞いていたいくらだ。
それをどうすれば、『喋らないから人気になる』になるのか分からない。
自分の長所を一つ封じているようなものではないか。
「……すいません、意味が分からないです」
困惑する俺に対し、姫先輩は分かりやすく説明するためか、いや、バカにも分かるように説明するために、例え話を始めた。
「モナリザがあるだろう?」
「レオナルド・ダ・ヴィンチの絵ですよね」
「そうだ、時に君はレオナルドがどこの国の人か知っているかい?」
レオナルドと呼び捨てにしてきた。姫先輩はレオナルド・ダ・ヴィンチと友達なのだろうか?
まぁ、それは置いておいて。
確かダ・ヴィンチはルネサンス期の画家だったという覚えがある。
だからと言って、それがどこの国の言葉で、何処の何を指すのかなんてのは、俺には分からないのだけれど。
まぁ、当てずっぽうで言ってみるとするか。
「イタリア人ですか?」
姫先輩は「その通りだ」と頷いた。当たったようだ。
「まぁ、ユダヤ人という説もあるが、今回は血筋ではなく、産まれた場所や、使用した言語が大事なのでその話はまたにしよう」
そういえば、アインシュタインもユダヤ人だったと聞いた事がある。
ひょっとしたら、ユダヤ人というのは天才の多い血筋なのかもしれない。
「でも、レオナルド・ダ・ヴィンチがイタリア人である事と、姫先輩が動画で話さない事になんの関係性があるんですか?」
「モナリザはイタリア人の画家によって書かれた絵だろう?」
「いや、別にそんな事を改めて言わなくても分かりますよ」
「なら、君はイタリア人ではないのに、モナリザを見て––––どう思う?」
「どうって、俺は芸術的な事はちょっと……」
正直、芸術的な事は分からないけれど、モナリザは可愛くないと思う。レオナルド・ダ・ヴィンチはもしかしたら、人は顔ではないと言いたかったのかもしれない。
真相は誰も知らないけれど。
「分かりやすくしよう、アルゼンチン人のリオネル・メッシのプレイは、日本人の君でもすごいと分かるだろう?」
「そりゃ、メッシはすごいですから」
姫先輩は絶対にバルサファンだ。この前もロナウジーニョって言ってた覚えがある。
「フットボールは全世界共通の言語なんだ。だが、そこに言葉はない。あるのは、プレーだけ、言うならフットボールだけだ。モナリザもそうだ、そこにイタリア語はない––––あるのは芸術だけだ」
なるほど、だんだんと姫先輩の言いたい事が分かってきたぞ。
「もしかして、姫先輩の動画は喋らない事によって、全世界共通で楽しめるって事ですか?」
「その通り、大正解だよ。喋らない事によって言語という枠組みから解放され、全ての人にとって楽しめるコンテンツとなる。ダンス動画や、ミュージックビデオも似たようなものだね」
「マイケル・ジャクソンの歌とダンスは英語が分からなくても、楽しめますもんね」
「そうだ、マイケルはアメリカ人ではあるが、全世界にファンが存在する。それはダンスと音楽が世界共通の言語だからに他ならない」
もちろんマイケル自身がすごいのもあるがね、と姫先輩は付け加えた。
「わたしは可愛いという世界共通の言語を上手く活用する事によって、海外でも人気を得ている。もし仮に日本語で喋ろうものなら、わたしの動画は日本でしかウケなかっただろう」
なんて、人なのだろう。『喋らない=海外でもウケる』なんて発想は、常人の域ではない。
いや、案外それは正しいのかもしれない。
日本最高のYouTuberはボイパによって世界でウケたのだから、その発想に行き着くのは至極当然の結果なのかもしれない。
姫先輩の話は、難しい話も多いがためになる話ばかりである。
「さて、君もそろそろお腹が減ってきた事だろう」
「マヨネーズはいりませんよ」
姫先輩は今度は、俺の目の前にあるダッシュボードを指差した。
「開けろって事ですか?」
「そうだ」
俺はダッシュボードに手を伸ばし、ゆっくりと開いてみた。
中には人参が入っていた。
いや、人参と言っても野菜の人参ではなく––––お菓子の人参である。
「姫先輩、人参好きだったんですか?」
その問いに、姫先輩は流暢な英語で答えた。
「I love it」
なんでそんな事をするんだと悩んだが、俺はすぐにその意図に気が付き、俺も英語でこう返した。
「……I rabbit?」
「得意なのは保健体育ではないようだな」
「バカにしないでくださいよ」
「バカになんてしてないさ、今のは君に落ち度があって、バカにされたと感じただけさ」
落ち度。今回の落ち度。
保健体育と英語以外は、それほど得意ではないという落ち度。
なのに、遅刻している。今日も。
「遅刻しちゃ、ダメって事ですか?」
「いいや、君の体調が悪い事くらいわかるさ」
「良くなりました」
「風邪ってのは、そう思っていても急に症状を出すものさ。今は大丈夫でも安静にしているべきだ」
「でも、今更帰れないですよ」
「いいや、君はすぐに帰れるよ」
そう言って姫先輩は、フロントガラスを指差した。
車はいつの間にか停車しており、眼前には––––なんと、俺の家があった。
「なんで、家知ってるんですか⁉︎」
「それは君が部室に学生証を忘れるからだ」
そう言って姫先輩は、胸の谷間から俺が無くしたと思っていた学生証を取り出した。
絶対ワザとそこに入れていたと思われるが、俺は素直にその学生証を受け取った。
ほんのりと温かい。羨ましい。俺も学生証になりたい。
「中々いい家だな」
「姫先輩の家はもっとすごいんじゃないですか?」
「普通のマンションだよ」
「意外です––––」
もっと豪邸とかに住んでいると思いました。と、言おうと思ったが、『お金持ち=豪邸』なんてのは、ただの偏見に過ぎない。
しかし、そこは姫先輩。
俺の思考を全て読み取って、先読みして、会話を飛ばしてきた。
「私は両親とは別居なんだ、家政婦さんと二人暮しさ」
さらに俺が疑問を思う前に「別に両親と仲は悪くないよ」と、姫先輩は付け足した。もうこの辺は慣れたものである。
「じゃあなんで、別居なんですか?」
「人が嫌いだからだ」
本当にこの人は、なんなのだろうか。さらりと人類を敵に回してくる。
そう言われると、人類である俺は萎縮してしまう。
「君は犬だろう、犬は好きだよ」
そして、フォローになるのかも怪しい事を言われた。
「それに私の家はそこそこのお金持ちではあったが、別荘を持っていたり、家に噴水があったり、プライベートジェットを持っていたりする程のお金持ちではないよ」
「本当にそれなりって感じなんですね」
例えるなら、夏休みの家族旅行が海外旅行になるみたいな感じだろうか。
「家政婦さんも美人なお姉さんではなく、おばあちゃんだしね」
そう言われて、俺はまた心のどこかで『家政婦さん=お姉さん』という想像を勝手にしていた事に驚いた。
知らないことってのは、分からないものである。知らないのだから当たり前か。
「でも私は家政婦のおばあちゃんが大好きなのさ。彼女だけが私を姫花ちゃんと、ちゃん付けで呼んでくれる」
姫花ちゃん。絶対に姫先輩からは連想できない呼び名である。
姫花様とか、姫花お嬢様とかの方がしっくりくる。
「さて、そろそろ帰らないと君のお母さんに、君が私の乳輪の色を知っていると暴露するぞ」
「勝手に教えたのあなたでしょ⁉︎」
声を荒げると、なんだかめまいを感じた。どうやら、姫先輩の言う通り本当に風邪がぶり返してきたらしい。
「だから、言ったじゃないか、『君が得意なのは保健体育ではないようだな』と。自己管理くらい、しっかりしたまえ」
全部お見通しってわけだ。俺の体調が優れない事に気が付いて学校に向かうのではなく、左折したってわけか。
俺の落ち度とは、体調が悪い事に気が付かずに登校しようとした事ってわけか。
「さぁ、私に風邪を移したくないのなら、そろそろ帰りたまえ」
その通りだ。姫先輩に風邪を移すわけにはいかない。
俺はシートベルトを外し、ドアを開いた。
「あの、送っていただいてありがとうございました」
「なぁに、ただドライブをしただけさ」
俺に気を使わせないようにそう言ってくれたのだろう。
鼻血ブーのご期待にはそえなかったが。
そんな事を考えながら車を降りようとすると、姫先輩に呼び止められた。
「なんですか?」
「忘れ物だ」
そう言って姫先輩は人参を渡してきた。
「人参は身体にいいんだぞ」
俺が人参を受け取りドアを閉めると、姫先輩は今日も手をヒラヒラと泳がせてから、車を発進させた––––カッコいい。俺も十八になったら免許を取ろう。
俺は姫先輩の車が見えなくなるまで見送ってから、人参に目をやる。
「………………」
もしかたら、姫先輩なりのお見舞い品なのかもしれない。
気の利いた品というよりは、エッジの効いた品だが。
これを食べて、翌日にはキャロッと元気に登校したいものである。
「………………」
俺には姫先輩みたいに上手いジョークは言えないみたいだ。
風邪のせいにしておこう。
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