〈ゴースト・セクサロイド〉 - 15P


 送り主名――右馬頭りょう。


 この送信者に興味が湧いた。

 ぼくがフレンド申請を承認すると、間髪入れずに音声通話希望のリクエストが届く。少し驚くが、これも承認。


《ありがとうございます。あたしはりょうです。》


 通話がつながり、透き通るような声が耳をくすぐった。一瞬の間を置いて、ぼくは「どうも」と答えた。右馬頭りょうは女性だった。


《承認してくれて嬉しいです、カズマさん》

「タテダです。タテダイチマ。ぼくをカズマと呼んだのはどうして?」

《情報の更新日が少し前で止まっていましたから。習慣的にパフォーマーを所持していないのかと》

「つまり、ぼくが普段から名前を間違えられてると思ってそうした?」

《そです》

「へえ。それで、どうしてぼくを」

《アンブレイカブルだからです》


 スターバックスの惨劇が報道されたとき、ぼくは未成年ということで一部素性隠されたかたちで報道された。その件に関して大人たちはぼくを心配した。母さんのパフォーマーも。先生たちはなにかあれば保健室でカウンセリングを受けるようにと云っていた。〈アンブレイカブル〉の異名が現実社会に与えた影響といえば、噂を聞きつけた校内の生徒たちに声をかけられたくらいのものだ。


 けれどネットではそうはいかない。ぼくのことはすぐに特定された。今では、原因不明のアバター自殺から生き延びたぼくを〈ペルソナ殺し〉の正体と見立てる人たちもいる。生き残ったぼくを追跡することに熱心な彼らの何人かが、毎日ぼくの受信箱に悪戯まがいのメッセージを残している。その程度の被害で済んでいるだけマシだろうと自分に言い聞かせていた。〈ペルソナ殺し〉本人からの伝言でも届けば、少しばかりドラマチックではあるのだけれど。


 右馬頭りょうもまた、そのなかのひとりなのだろうか。


「アンブレイルカブルだから、フレンド申請か」

《いけませんか?》

「いや。有名人になるってことは複雑らしい。昔、友達がそう云っていたけど……今それを実感してるよ」


 右馬頭りょうとのフレンド解除はいつでも出来る。あるいはこちらを視認できないようブロックすればいいだけのことだ。ただ、ぼくが恐れているのは中継だ。彼女との会話が第三者に漏れることだけは避けたい。通話記録がネットにアップロードでもされたら大ごとだ。


 いっぽう、ぼく自身も右馬頭りょうの個人記録を参照する。アカウントの作成時間はつい数分前だった。


「そのアカウント、さっき作ったばかりだね。捨てアカかな?」

《いえ。わけあって一日ごとにアカウントを変えてるだけです。今、この体は廃棄されたアバターを使っているので》


 右馬頭りょうが妙な言葉を漏らしている。通常、アバターは廃棄されることはない。個人情報の集合体であるパフォーマーの権限を捨てて、だれでもアクセスできる状態でネットに流すこと。それは可能といえば可能だけど、そんなのは自殺行為だ。


 可能性があるとすれば、個人情報をすべて抜いた状態=空のフォルダに似た状態で流すこと。それでも一度コミュニケーションを通じてパフォーマー化させたアバターから情報を抜き取るのは手間がかかるなんてもんじゃあない。


 あるいは所有者の死や、なんらかのリンク障害で野良アバターになるかだ。その場合はアバターも分身としての自我を保っているので、やはり所有者だった人間の人格を基に行動する。だがこれに主体性はない。アバターはあくまでも所有者を補助する『副脳』であることから、本人と比べるとそこまで知的あるいは精神的に行動をすることはない。一部の例外を除いては。


 野良アバターとは、いうなれば迷い人。これは彼女のいう『廃棄』には至らないだろう。


「どうやって。それにどうしてそんなことしてるのさ。ついでに、きみの普段使っている名前を教えてくれないか。そっちはぼくのことを知っているんだろう」


 右馬頭りょうは短く、ふふっと笑った。


《いいですよ。普段使っている名前……ないんです。今の名前は馬面という妖怪をもじったものです。》

「妖怪?」

《ええ。あたしにぴったりだと思ったので。あたしはどこにもいない、ゴーストですから》

「ゴースト? つまり、意識がネットの中にあるのか?」

《はい》


 彼女はそれが当たり前だとでもいうように答えた。





 電脳化を施した人間に及んだ弊害。その代表例はふたつある。

 ひとつは直接脳みそを傷つけるもの。それは脳手術による直接の損傷、あるいは、手術後に移植されたデバイスの周辺に生じた炎症により脳を損傷するといった具合に起きる。


 脳手術のリスクは近年のロボトミー問題で証明されているが、アーカム大学の天才たちは近代史のなかの黒く塗られた部分を白に変えようとした。マッドサイエンティストたちによって脳とネットを直接つなぐことができると実証されたとき、人類が次なるステージへの階段を上ったと興奮した人も少なくはなかった。


 しかし後年ロボトミーよりも大きな問題が生まれたことで電脳化ブームは消え去ることになる。それがもうひとつの代表例。その意識をネットのなかに取り残してしまう「ネットゴースト化」と呼ばれる現象。人気番組〈見世物戦争〉で活躍した英雄アーロ=フラートの意識を元の肉体にサルベージした際、以前とは別の人格に変貌していた――この事件は当時の観客に大きな衝撃を与えている。それがこの現象の名を世間に広める要因となった。


 ところがアバター社会が進み、脳を傷つけることでなく分身を生むことでネットに適応した現代でも、別のかたちでゴーストが生まれるという説がある。


 そういったゴーストの正体もまた、所持者がいなくなったアバターだ。ゴーストと野良アバターの違いはひとつ。それが『副脳』ではなく『主人格』であることだ。これが一部の例外。


 つまり、ゴースト・アバターとは、模倣の枠を超えて霊的なまでに本人に近しいものになった分身。いや化身と呼ぶべきか。





「幽霊を見たのは初めてだ。いるのは知ってたけど」


 現在、ゴースト化した電脳施術者の意識をサルベージするための方法は確立されていない。


《あたしのことは、おりょうさんと呼んでください。幽霊なので》

「じゃあ、きみは今世間を騒がせているネットゴーストか?」

《騒がせている? それはないです。あたしは騒がれないように行動していますから》

「ある人から仮想性交用のネットアバターが逃亡したと聞いてる。そのあと何人かの分身を襲ったと」

《そんなのおかしな話です。だれから聞いたんです?》

「マナミ・ウタミヤだ」


 ぼくは即答した。

 おりょうさんはくすくす笑った。


《正直な人って嫌いじゃないです。そのとおりですよ。たぶん、それはあたしのこと》


 捜査開始の夜に、標的にしていた人が自分に接触してくるなんてことがありえるのだろうか。始末の悪い脚本を見ているようだ。驚きはするが、つい先日は天才学者にプライベート通話をリクエストされたし、その前は〈スターバックスの惨劇〉。非日常に対する耐性ができたのか、ぼくは意外にも、この状況をすんなりと受け入れていた。


《それでどうします。あたしの情報をマナミ・ウタミヤに送るとか?》

「彼女にはそう頼まれてるけど、いきなり通報なんてされたら、ふつう女の人は傷つくものじゃないか」

《人? あたしは人じゃありませんし。ほかに理由があるんじゃないです?》

「どうかな。あるとすれば、ぼくにとってまだきみが無害だから、とか」

《お人好しですねえ》

「かもね。でも話してみないことにはわからないよ」


 ぼく自身は自分を『お人好し』とは思っていない。


 マナミ・ウタミヤから聞いていた〈ゴースト・セクサロイド〉の情報と食い違う箇所がいくつかある。暴走する性行為用アバターでありながら、彼女はまだだれも襲っていないと主張している。


 けれどマナミは『仮想空間で童貞を喪失している者が相次いでいる』と云った。詐欺の基本は嘘のなかに真実を混ぜることだが、マナミ・ウタミヤは真実のなかに嘘を混ぜるタイプだ。おまけにプライドも高い。「私はこんなに困っています」という嘘ではなく「とても危険だから何とかしないといけない」という嘘。そして本当にあり得そうな嘘だ。そういった嘘を即興で付け加えて、頼みごとをする相手を急かせる。協力してあげなくちゃいけない、という気持ちにさせる。


 次に、野良化した性行為用のアバターではなく、ネットに意識が残留したゴーストだったこと。この辺りは〈ゴースト・セクサロイド〉と呼ばれた段階で気づくべきだったか。


「……、……」


 いや、おかしいぞ。おりょうさんは、自分をゴーストだと云っているが、破棄されたアバターに入っているとも云っている。つまりそれは、どういう状態なのだろう。ゴースト・アバターには、なにができるのかわからない。


《あたしも一麻くんに興味が湧いたのでお話しましょう。――ええ、そうですとも。あたしがそのネット・ゴーストですよ。恐らくは》

「廃棄されたアバターのなかに……、入ることができるのか……? ゴーストは」

《ええ。あたしにはできました。入っているのは、浅野間が人工的に作り出したアバターですが》

「人工的にアバターを作る? 所有者のいる、分身としてではなく?」

《子アバターをパフォーマー化する際、所有者とコミュニケーションを行って副脳を築くでしょう。あれの応用です。実在する人物をベースに、僅かな情報を改ざんする。例えば、一麻くんがパフォーマー化するとき、その子アバターの前でピーマンが嫌いだというふりをします。すると、子アバターは『帯刀田一麻はピーマンが嫌い』と覚える。ですが、マムの胎内にいる親アバターが持つ過去のデータと照合すると、そこには『帯刀田一麻はピーマンが嫌い』という情報がない。だから、それは誤情報として修正されてしまう。浅野間はマム承諾の下、親アバターと切り離した状態で誤情報を蓄積し、少しずつ人格を改変していくことで架空の人物像を作り上げるのです。こうして、どこにも存在しないだれかのアバターが出来上がる。性行為用のアバターであれば、もちろん、そういう性格に設定します》


 それもそうか。アダルトコンテンツに対する制限のせいで、ぼくらみたいなガキがその方面の詳細な情報を得るのは難しいのだ。けれど、たしかに云われてみれば自分が性行為を行うアバターの人格が、実在する人物であれば色々と問題が起きそうだ。そういったものを取引する商売も、闇社会では行われていたりするのだろうか。


「じゃあ、あなたは……、その……」

《あら、畏まらなくていいですよ。あたしは別にで接しているわけじゃありませんし》

「そう、か」

《一麻くんはエッチですね》

「否定はしないが肯定もしない!」


 ぼくは力強く答えた。


「それで、きみはなんのためにぼくに?」

《あたしは〈ペルソナ殺し〉を探してるんです。一麻くんは〈ペルソナ殺し〉ですか?》


 やはり、ぼくがあの事件の犯人候補だと聞いて接触したのだろうか。


「いや、違うよ。ぼくに他者のパフォーマーを殺す能力はない。死なないだけだ」


 煤木理論のことは伏せる。


《じゃあどうしてスターバックスの惨劇から生き残ったんです?》

「ぼくも知りたい」

《そういえばパフォーマーが見当たりませんね。どうして今、パフォーマーを持っていないんですか? 消したんですか?》

「教える筋合いはない!」

《どうして》

「ええい黙れ。どちて坊やか!」

《どち……、なんです?》

「だいたい素性を明かさん相手にそんなこと教える義理はない」

《素性は明かせなくても目的は明かせますよ? 死ぬためです》


 ぼくが「は?」と口に出すよりも早く、彼女は云った。


《あたしは〈ペルソナ殺し〉に殺されたいんですよ》


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