第一幕 ◆2◆ 「鎧装着者リリス」
<鎧契約>において、鎧に封じられた魂と<鎧装着者>は一心同体。片方が死ねば、もう片方の命も尽きる。一つの命を共にする、いわば運命共同体のような状態であるようだ。
──魂だけの存在となった自分が「死ぬ」のかどうかは分からないが。
「ああ、そうだ。そういえば……」
願いが叶うだの、<鎧契約>だので気を取られていたためスルーしていたが、光治郎は先ほどから気になっていたことがあった。
「何です、魔王さま?」
「それだよ、それ。何だよ『魔王さま』って」
「いやですよぅ、魔王さまは魔王さまです。あなたは、数々の悪行と無慈悲な統治、さらには戦場における残虐行為によって歴史に名を残した古代帝国の王。その魂ではないですか」
何をいまさら、といった面持ちで降霊屋の少女は言う。
「はあ? おい、ちょっとあんた何を言ってるんだ。俺はそんな大それた人間じゃな……」
あまりに荒唐無稽な話に面食らった光治郎であったが、相手がおかしな勘違いをしているらしい、ということは分かった。そして<鎧契約>の相手として、「魔王」の力を頼みにしている、ということも。
しかし、自分は古代の魔王でもなんでもない、ただの大学生なのだから、おかしな期待をされても困る。光治郎はそう主張しようとしたのだが、
「さて、では詳しい説明が終わったところで、早速<鎧装着者>の方とご対面ですよぅ。『魔王さま』の名に恥じない振る舞いをお願いします。これより<鎧契約>の儀式を執り行いますからね。大丈夫、大丈夫! 痛くも痒くも辛くもなく、すぐ済みます、すぐ済みますからぁ」
ヴァイオラは光治郎の言葉を遮り、それ以上何も聞くなとばかりに早口で捲くし立て、目の前の扉を開いた。
「さ、どうぞどうぞお入りください! 魔王さまもようやく目覚められましたよ! ええ、ええ。これほど高位階の魂を呼び出すのには、さすがの私でも苦労致しましたとも!」
光が差し込んでくる。どうやら扉の向こうには大きな窓があるらしく、逆光となった人物の顔はよく見えなかった。シルエットから、何かドレスのようなものを着た人間がいるらしいことは分かったが、判然としない。
バタン、とドアが閉まると、そこには一人の大柄な女性が立っていた。
「初めまして、鎧殿。私はリリス。<鎧装着者>としてあなたと契約する者だ」
まず目に付くのはピンク色の派手なドレス。全身がピンクと白で彩られ、これでもかというくらいのフリルがあしらわれた豪奢なものだ。ところどころに大小いくつものリボンが付いていて子供っぽさを演出しているかと思えば、短めのスカートから露出する褐色の太股は女性の艶かしさを感じさせる。チョーカーを始め、要所に見られる黒いリボンが良いアクセントとなり、コケティッシュな雰囲気をも醸し出していた。まるで漫画に出てくるお嬢様のような、金髪の巻き髪。その輝く金髪の天辺には、一際大きなリボンが周囲を威圧するかのように鎮座していた。
──ああ、こういうの見たことあるな。何て言うんだっけ。原宿とかで見かけるような特殊なファッション。
芸能人や歌手で似たような格好をしている人を見たことはあったが、現実で目の前にするのは初めてであった。しかも、その女性は褐色の肌に、横にピンと伸びた長耳、キリッとした眉と勝気そうな瞳をした大柄な──光治郎が見たところ、身長が190センチ近くある──人物なのだ。
数瞬、光治郎はリリスの特徴的な容姿に目を奪われていた。そのため、「あなたは? よければお名前を聞かせて貰えないだろうか」と怪訝な顔をしたリリスに尋ねられるまで反応が出来なかった。
「──あ、ああ。悪い。俺は、佐伯光治郎だ。よろしく頼む」
「サエキコージロ? ……変わった名だな。失礼だが、ご出身はどの辺りで……」
「ああーっ! そ、その! そろそろ儀式に入らないと、魂の定着が出来なくなってしまいますですね! リリス様はお早く準備の方をお願い致しますよぅ!」
ヴァイオラは突如大声を上げると、雑談はこれまでだ、とばかりにリリスを急かし、<鎧契約>の儀式に取り掛かろうとする。
「む。そうか。最近の<鎧契約>は、昔と違って慌しくなったとは聞いていたが……本当なのだな。これも時代の流れか」
リリスは、鮮やかなピンクに染められたボリュームのあるスカートを翻すと、奥の儀式用魔法陣へと向かった。
「……では、あとは頼む、ヴァイオラ殿」
──なるほど、そういうことか。
これまでヴァイオラに聞かされた話と、二人のやり取り。光治郎は大体の事情が飲み込めた。こいつはあれだ、商品の性能を大袈裟に誇張して無知な消費者から代金をぼったくる──嘘は言っていないが真実でもない、という一番性質の悪い──詐欺師だ。
──リリスさん、あんた騙されてるよ。
◇◆◆◆◇
<鎧契約>は、本当に簡単なものであった。
ヴァイオラが、羊皮紙を一枚、紙束の中から手に取る。それは何やら複雑な図形や奇妙な文字が描かれたもので、いかにも黒魔術で使いそうな品に思えた。それにリリスが血判を押す。これが契約書らしい。
しばらく眺めていると、血判の辺りから赤い液体が滴り始め、書かれた文字に沿って流れて行く。羊皮紙が出血をし始めたようにも見え、グロテスクな物が苦手な光治郎は顔をしかめるのだった。
やがて、その「血」は、全ての文字を赤で覆い尽くす。
一体どういう原理かと、不思議に思っていると、羊皮紙全体が発光を始めた。
これを光治郎(が封じられた鎧)に貼り付け、儀式は終わり。輝きを失った羊皮紙を剥がすと、そこには何の痕跡も残されていなかった。<鎧契約>が無事成功した証だという。
ヴァイオラは、作業をするふりをしながら、こっそり光治郎に耳打ちしてきた。
「……いいですかぁ? あなたは魔王さまの魂なのです。ええ、誰が何と言おうと、そうなのです。もし、そうでないことが契約者にバレれば、ただでは済みませんよ……。契約破棄されて、どこぞの地獄へ魂が送られても良いのなら構いませんがねぇ……。それをゆめゆめお忘れなく」
怖い顔でしっかり釘を刺してきたのであった。
そして、今。
光治郎は、リリスに「着用された」状態で、彼女と共に街路を歩いていた。
全身に感じるリリスの体温。先ほどは、派手な服装や身長にばかり目が行っていたので気づかなかったが、今、光治郎の背中に当たる胸の感触はとても──そう、とても大きい。
光治郎も健全な二十代の男子である。性欲だって人並みにある。そもそも、巨乳・巨尻フェチである彼が、リリスのような長身で豊満な女性と密着して平静でいられなかったとしても、仕方がないことだろう。
「どうした、コージロ殿。何やら息が荒いようだが。どこか調子でも悪いのか?」
「あっ! ああ、いや! なんでもない、なんでも!大丈夫! 大丈夫だから」
「大丈夫とは……? 何か気になることでも」
「そ! それよりも! さっきも言ったけど、俺のことは呼び捨てで良いって。俺もリリスって呼ぶから。今日から俺たちはパートナーなんだし、堅苦しいのは無しでいこう」
「それはこちらとしても助かるが……。魔王と呼ばれた男にしては随分気さくなのだな、貴方は」
「ま、まあな。細かいことには拘らないのが俺だ。『寛容』は王に求められる資質の一つ。だからこそ、俺は王位に就けたとも言える」
適当に誤魔化す。話し方も、魔王らしく尊大で大仰なものにすべきかどうか迷ったが、結局、普段通りの自分で通すことにした。平素からそれでは疲れるし、絶対に途中でボロが出る。こういうのは、自然体でないと──過去に何度も舞台監督から注意された記憶が蘇り、光治郎は苦い顔になった。
「どうした、コージロ? 先ほどから妙だぞ。何か不満があるのなら、言って欲しい」
心配そうな表情を見せたリリスに若干の後ろめたさを感じ、話題を変えることにした。軽く咳払いをすると、努めて明るい声音を作る。
「いや、それより。ここは一体、何処なんだ? 俺はまだ何がなにやら……。リリスのことも含め、色々教えてくれると助かるんだけど」
目覚めたばかりで記憶が曖昧なんだ、と光治郎はリリスから情報を得ることにした。
「……そうだったな。了解した。では、コージロ。現在、我々が置かれている状況と今後のことを話しておこう」
リリスは、日本風の名前を上手く発音できないらしい。武人のような無骨な喋り方をする癖に、舌足らずなのが何だか可愛らしかった。
◇◆◆◆◇
リリスは戦士である。
山岳に築かれた都市国家──「要塞都市」アンヴリルに住む<ナルイグの民>であり、外敵から国と民を守る役目を負った、いわゆる軍人である。しかも、最前線で戦闘行為を行う、戦闘職の人間である。
何故、彼女がそのように危険な仕事を担当しているのか。その理由は、<ナルイグの民>の特異な社会システムにあった。
<ナルイグの民>は、「女王」を中心とした母系社会である。家督を継ぐのは女性であり、家族を養い守るのが女性の役目であり、男性は家事と育児を担当する。国のトップには全氏族を束ねる女王がおり、男性によって構成された議会が女王を補佐する形で国家運営が行われているのだ。
「なるほど。それでリリスは戦士なんてやっているのか」
「ああ、そうだ。愛する者と国を守るのは、力のある女の仕事だからな」
当然だろ、とリリスは誇らしげに胸を張る。
(力のある女の仕事?)
<ナルイグの民>というのは、アマゾネスのような女傑集団なのであろうか。
光治郎は疑問に思ったが、そもそもここは異世界である。地球とは常識が違って当然だ。ともかく「そういうものなのだろう」と納得し、ひとまず脇に置いておくことにした。
リリスの説明は続く。
<ナルイグの民>というのは便宜的な呼称である。以前は「森の一族」だとか「大地と共に生きる者たち」といったような名前をそれぞれ勝手に名乗っていたようである。この呼び方が定着したのは四百年ほど前だ。
彼らは決して一枚岩ではない。<ナルイグの民>は元々、氏族ごとに縄張りを持ち、少数で暮らす森の民であった。縄張りは大陸各地の森に点在しているため、お互い大した交流もなく、自分たちの住処を出ることもなく、各々バラバラにのんびりとした暮らしを送っていた。
しかし、状況が変わった。
およそ四百年前に起きた大戦において、彼らは、数で勝るヒト族に迫害を受けたのである。
これはいかん、と考えた有力氏族の族長たちは、彼ら森の民全員で結束し、ヒト族に対抗することにした。反発し合う氏族も孤立を望む氏族も、皆がひとところに寄り集まり、「国」を作ったのだ。
数が揃えば、身体能力で勝る彼らに「負け」はない。
ヒト族との闘争は一進一退を繰り返し、遂には南部を縦断するコーラル山脈地帯と、その裾野に広がるジフ大森林からヒト族を叩き出すことに成功した。ヒト族とは停戦協定が結ばれ、以後、ジフ大森林は森の民たちの治める土地となった。
こうして、森を住処とする者たちは細かな民族的・文化的差異を乗り越え、共同で国家を運営することで生き残る道を選んだのである。
彼らを総称して<ナルイグの民>と呼ぶ。
「<ナルイグの民>というのは、少数民族によって創られた多民族国家なんだね」
「ああ、そうだ。森に住む者たちを等しく受け入れ、発展してきた。故に、そこらのコ・ルビット国家より結束は固いぞ」
リリスの説明に初めて聞く単語があった。
「コ・ルビット国家?」
「ああ、そうか……。いや、すまない。『コ・ルビット』とは先ほど言っていたヒト族のことだ。コージロに分かりやすいようにヒト族という言葉を使ったが、そもそも我らだってヒトだ。というか、我々こそが『人間』だ。肌が白く、耳が短く、体格で劣り、森の外に住む彼らこそが『亜人』なのだ。まあ、彼らはまるっきり逆のことを言うだろうがな」
なるほど、と光治郎は納得した。ファンタジー作品においてエルフやドワーフ、狼男や猫娘なんかを「亜人」と呼んだりするが、それはあくまで読者が人間だから。作中においても、大抵は人間が大勢を占めているため、彼ら少数民族は人間国家の支配下に置かれている。だから、支配する側の姿かたちが基本であるとされ、その基準から外れた者たちを「亜人」と呼称しているわけだ。
(考えてみれば失礼な話だな)
「よーし、着いた。ここが、我がアンヴリルの中でも最大の市だ。どうだ、他国と比べてみても、これほど活発に交易が行われているのは、ここくらいのものなんだぞ」
ふと周りを見渡してみると、そこは市場に面した通り──地元の人間は、この一帯をドランセル市と呼んでいる──であった。岩を切り出して作られた店の他、数多くの露天がところ狭しと並び、そちらこちらで活発な呼び込みが行われている。
道を歩く人々はさまざまな姿形をしていて統一感がない。最も多いのはリリスの同族である、褐色肌に長い耳、露出度の高い服を身に付けた大柄な女性たちであるが、周りを見渡せばその容姿は実にバリエーションに富んでいる。獣のような耳と尻尾が生えた者、トカゲのような顔をした緑肌の者、全身が厚い毛で覆われた者、背中に甲羅を背負った茶褐色肌の者、縦長で前に突き出た刃物のような頭を前後に振りながら歩いている者、小柄な体躯で身軽に建物の屋根を飛び移って行く者……。山頂付近に目を遣れば、アンヴリルの支配者階級が住んでいるのであろう、尖塔を備えた華美な城が見え、付近を羽根の生えた者たちが飛び回っている。
そこは正に、人種の坩堝であった。
「なるほど、こりゃ……凄いな。正にファンタジーだ」
かつて冒険活劇モノの映画で観たような光景──光治郎が過去に参加したことがある演目でも似たようなものはあった──が目の前に広がっていた。
「ファンタジー? 幻想的という意味か? 確かにここ、アンヴリルでは多種多様な種族が共存しているからな。唯一神を崇め、自分たちこそが神の眷属であると言い張るコ・ルビット国家では、まず見られない姿だろう」
「ああ、いや、そういう意味で言ったんじゃないんだけどね……まあ、いいや。」
リリスは不思議そうな顔で光治郎を見ていたが、すぐに前に向き直った。細かいことには拘らない性格のようだ。
「それで、我が国の特色なのだが──ああ、いや待て。立ち話もなんだ。そこの店で果実水(ジュース)でも飲みながら話そうじゃないか」
◇◆◆◆◇
「さて、では改めて……どこから始めようか」
リリスは顎に手を当てると思案する表情を見せた。
「俺はこの世界のことを何も知らないんだ。なるべく基本的なところから……そうだな、小さな子供でも理解出来るように教えてくれ」
「世界? ああ、そうか。確かに貴方──コージロの生きていた時代とは何もかも様変わりしただろうからな……。任せてくれ。私も現代の世界情勢に詳しいわけではないが、この辺りのことならそこそこ詳しい。歴史学は、戦士が身に着けるべき教養の一つなのだ」
うっかり口を滑らせてしまったが、リリスは都合よく解釈してくれたようだ。
「この<アン・ダスフィアーナ>において、我が国のような社会形態は珍しいらしいな。コージロにも馴染みが無いかもしれない。では、その辺りから話すとしようか」
母系社会では、産まれてくる子供は全て家長の子であり、嫡出子となる。子は一族全員で守り育てるもの、という意識があるという。しかし、現在<ナルイグの民>たちの意識は変遷し、「どの氏族の男が女王の伴侶として子を成したか」ということを重要視するようになってしまった。その子が女であり、女王の跡継ぎとなれば、父親──ひいては彼が所属する氏族──の発言権が増大するからである。
かつては家長である女性を頂点に、男性全員で一致団結しコミュニティを繁栄させていた<ナルイグの民>であるが、今は見る影も無い。経済的に豊かになったアンヴリルにおいて、女たちは少しでも高い地位に就こうと日夜醜いポジション争いに奔走しているのが現状だという。氏族の族長にはなれなくとも軍で出世すれば、国の要職に就ければ、あるいは自分でも輝かしい成功を掴み取ることができるかもしれない、と。
「恥ずかしいことだが……これも長い平和が続いたせいではあるのだろうな……」
そう言うと、リリスは深いため息を吐いた。
「いや、もちろん戦争など起こって欲しくはないのだが、それはそれで我ら戦士が力を振るう場が無いというのも……。痛し痒しだな。で、何故こんなことを話したかというとだな。今現在、私が置かれた状況にも関係があるのだ」
リリスは軽く咳払いをすると居住まいを正した。
やっと本題に入るようだ。
「端的に言うとだな……私は左遷されたんだ」
「えっ」
リリスは、アンヴリルの中でも優秀な戦士を輩出する名家の出である。実の母を始め、数多い姉妹たち、彼女達を育てた養母たち、本家は元より分家の者に到るまで、そのほとんどが優れた戦士である。
そんな環境で揉まれたリリスは、程なく頭角を現していく。生まれつき肉体的資質に恵まれた彼女は戦闘だけでなく、学問においても傑出した才能を見せ、様々な分野で活躍するであろうと思われた。生まれ持った能力と家柄、生育環境、人脈。全てがリリスを成功者へと押し上げてくれるはずであったのだ。
族長であった母が失踪するまでは。
「失踪……? 何の予兆も無くいきなり? 一体、リリスのお母さんに何があったんだ」
「詳しいことは分かっていない。元から自由奔放な人ではあったからな。だが……」
リリスはきゅっ、と唇を引き結ぶと、再び口を開く。
「今、このタイミングでというのはおかしいんだ。いずれ私が母の後を継ぎ一族を率いて行くのだろうと、皆が思っていた。だが、それはもう少し先の話だ。我が氏族内には、私が後継者だということに不満を漏らす者たちもいる。そういった者たちを抑えてもらわなければならないというのに……」
その顔に浮かぶのは悲しみか、怒りか、戸惑いか。光治郎にはよく分からなかった。
「つまり、リリスは、母親の失踪に疑問を抱いているんだな? 自発的な物では無いと」
「……そうだ。大きな声で言うのは憚られるが、氏族内の者が実力行使に出たのではないかと疑っている」
(なるほど、お家騒動ってわけか。だとすると、既にリリスのお母さんは……)
演劇においても政争や後継者争いというものは悲劇として描かれる。大抵は血生臭い場面を迎えるものだし、毒で親兄弟がバタバタ死んでいくなど、現実では見たくないものである。あれはフィクションだからこそ成立するのだ。オーディションで演じた「魔王ザヴォーク・ラ・ゴラス」もそんな戦いを勝ち抜いてきた男だったのだろうか。
益体も無い思考を振り払うと、光治郎は再びリリスに意識を向ける。
「それで、それがリリスの左遷とどう繋がるんだ?」
半ば答えを予期しながら、光治郎はリリスの答えを待った。
「氏族の長が失脚、それも責任の放棄という最悪の形で起こったのだ。一時的に族長の地位は空席となり、次席と目される女たちが一族の運営を担う。もちろん男衆補佐の元で、だがな。……これは大変不名誉なことだ。そして、そんな不安定な状態の氏族、その後継者第一候補が出世コースから外れるのは、おかしな話ではあるまい」
リリスは軍隊内でも同氏族のライバルたちと出世競争を繰り広げていたのだ。優秀な彼女を排除しようと、外部から横槍が入ったのであろうことは想像に難くない。
「それで、だな。元々、我々<ナルイグの民>にとって戦士というのはとても名誉な職業なのだ。外敵から国を守り、民を守るのだから当然だな」
地球においても、戦争時に身体を張って戦う者たちが「貴族」と呼ばれ、敬われていた時代があった。だからこそ貴族には平時から様々な特権が認められ、裕福な生活が保障されていたのだ。現代日本において「貴族」というと、平安時代の公家や中世ヨーロッパにおける支配階級のイメージが強く、フィクションの世界では権力を振りかざして贅沢三昧、民を苦しめる悪役として描かれることが多いのだが。
「戦士たちは己の強さを誇るため、こぞって盾を捨て、鎧を脱いだ。衣服も極限まで布面積を減らした。我らの肌を傷つけるなど決して叶わぬこと、そしてナルイグの女がどれだけ勇猛かを敵に見せ付けるためだ。実際、我らは硬い皮膚と強靭な筋肉、分厚い皮下脂肪によって守られている。そこらのヒト族の剣技では、我らに致命傷を与えることは難しいだろうな」
と、リリスは得意げに語った。
(リアルでビキニ鎧を着て戦ってたって訳か……。うーん、想像するだにエロい)
「ふふ、何を想像しているか、分かるぞコージロ。敵は男ばかりだからな。もちろん、相手の情欲を煽って戦意を挫く狙いもあったさ」
リリスはニヤリと笑った。その不敵な表情と艶めいた唇、切れ長の瞳に揺らめく妖艶な光に、光治郎は思わず顔を赤くした。
「ヒト族の間ではこんな言葉が残ってる。曰く、『彼女らの肌は、文字通り目の毒である。その褐色に目を奪われている隙に、己の胸元は赤く染まっているだろう』。曰く、『森の毒婦は、褐色の肌に薄絹を纏い、後ろ手に剣を携えてやってくる』。曰く──」
ヒト族に伝わる、ナルイグの女戦士たちを表す詩の数々を、リリスは諳んじた。
「まあ、だから今でもナルイグの女たちの間では、露出を多くすることが『イイ女』の条件だとされている。さすがに<青銅の盾>隊に属する戦士や、城を警備する者たちは鎧も帷子も着込んでいるがな」
ふと疑問に思い、光治郎は、それをリリスにぶつけてみる。
「あれ? でもリリスも戦士だよね。何で、いつもそんなドレスを着てるんだ? 結構な厚着だと思うんだけど……」
ヒラヒラのフリルと明るいピンクで全身彩られた格好のリリス。その上に鎧を着るのもあって、肌の露出は少ない。
「ああ……。よく言われる。私は、ナルイグの中でも変わり者なんだ。もちろん、私だって『イイ女』だと思われたい。でも、可愛いだろ!? ピンクで、フリルたくさんで、おっきなリボン。エプロンドレス風のデザインだって最高だ!」
急激にテンションの上がったリリスだったが、驚きのあまり言葉を失っている光治郎を見て頭が冷えたのか、肩を落とす。
ふう、と溜息を吐き、リリスは自嘲気味に、
「まあ、ほとんどの者には理解されないよ。大体、こういったドレスは、ヒト族の貴族の間で流行しているものだからな。余計に受け入れ難いんだろう」
と、続けた。
「でも、好きなものは好きなんだから、しょうがないだろ? 若輩の頃は、口さがない連中に色々言われたものだが……私の強さを見せる度に、そういう声は減っていったよ。戦士の世界では腕力が全てだからな」
リリスの、ロリータファッションに対する愛と、戦士見習いだった頃の武勇伝の数々。楽しそうに語るリリスが眩しくて、光治郎は彼女の話にじっと聴き入っている。
「私の大事なドレスを傷つけた連中がどうなったか? ……ああ、あの時は少しやり過ぎてしまったな。頭に血が上ってしまってな。私もまだ若かったのだ。彼女たちも、己の罪を悔いて泣いて謝っていたことだし、許してくれることだろう」
「それから、アクアブランドの新作が発表されるという噂を耳にした時のことだ。あの時は発表会に潜入しようと、私は何とか頑張ったんだ。あの時は──」
三十分後。話がかなり横道に逸れたことに気付いたリリスは、一つ咳払いをすると、話を元に戻した。己の過去を語りすぎたのが恥ずかしかったのか、真面目な武人の顔を作るのも忘れない。
「我ら戦士が、どれほど人々に尊敬されていたか、という話だったな」
「実は、ここ二百年の間、戦争らしい戦争は起きておらんのだ。するとどうだ。あれほど敬い、ありがたがっていた戦士たちを人々は軽視するようになっていった」
リリスは悔しげに拳を握り、振り上げたものの、机に叩きつけることはしなかった。木製のカップを手に取ると、果実ジュースを煽る。
ふう、と一息吐くと、リリスは続けた。
「最前線で戦う者たちの社会的地位は低くなり、都市の治安維持を担う<青銅の盾>隊や政府中枢部で要人警護をする<金色の城>隊などが人々の憧れとなっていった。勇ましく敵を討ち破ることが誉とされていた頃とは、何もかもが変わってしまった。内を守る者と外を守る者の、立場が逆転してしまったのだ」
戦士を輩出する名家の出であるリリスにとって、それはさぞ屈辱的だったはずである。
「だが、それも仕方ない。時代の流れというやつだろう。私が大事なのは一族の名誉であって、戦士それ自体ではないからな。だからこそ、私は必死で努力し、<青銅の盾>隊で地位を築いてきた」
「リリスたち一族はどんな状況でも優秀な戦士なんだぞ、と証明するために?」
「その通りだ。だが、今回の『族長失踪事件』により私は<青銅の盾>隊から異動になった。都市外壁部の警備と都市防衛を行う部隊──<勇躍する大樹>隊というんだがな。中でも、国内の地理や危険な野生生物の縄張り、植物の植生なんかを調査する部隊だ」
そう言われても、光治郎には、いまいちピンと来なかった。
「国内の地理を調べる」というのは、地図を作ったり天候や気候を記録したり、といったことだろうか。それとも、海外で言うパークレンジャーのような仕事だろうか? と首を捻る。
(いや、あくまでも軍隊なんだから……測量士や気象予報士とは違うだろう。やっぱり、斥候とか偵察兵とか、そういうのかな?)
戦時中は天気予報や地図それ自体が国家機密であったと聞いたことがあるし、そういうものなのだろうと光治郎は納得した。
「それが左遷先?」
「ああ、左遷も左遷。長く続いた平和のおかげで、今ではこの任務に就いている者は一人もいないという話だ」
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