剣とフリルと鎧生活(アーマーライフ)

若月

第一幕 ◆0◆ 「プロローグ」

「おお、我が愛すべき王女よ! 私の愛を受け入れてくれぬのならば、是非も無し。私はザヴォーク・ラ・ゴラス、魔王と呼ばれた男! 今こそ我が闇の軍勢の力をもって、そなたの国を滅ぼしてくれよう! 既に天界の光は消え、天の御使いどもも退けた! この私に不可能などないのだ!」

 壇上に上がった青年が、朗々と台詞を紡ぎ出す。

 それをいかめしい顔の男達が三人、顔を並べて見守っている。劇団ふたご座に籍を置く舞台監督、演出家、脚本家である。彼らは、次回公演予定である舞台、「破滅の魔王と王女~愛の狂想曲~」の演者を選出している真っ最中だった。

「王女よ! もはや私に怖いものなどないのだ。我が愛は永遠である! それを今こそ証明してみせようぞ! この身がいずれ地獄の業火で焼かれようとも、もはや悔いは無い!」

 

 青年の名は、佐伯光治郎という。

 幼少の頃より児童劇団に所属し、さまざまな演目をこなしてきた。劇団ふたご座にやってきたのは数年前だが、いまだ大きな役には恵まれず、多少の焦りを感じていた。長年、子役をやってきたという自負があったため、周囲から評価されずにいることを人一倍気にしていたのである。

「おお、これは、何ということだ! 天が晴れ、忌まわしい光が……おお、おお! 見える! 私には神の怒りが、雷の矢が、私の心の臓を目掛けて飛んでくるのが見える!」

 物語終盤、悪役である暴虐の魔王が神に滅ぼされるシーンである。天を仰ぎ、両腕を大仰に振り回しながら光治郎は演技を続ける。

(いいぞ、今日はノってる。普段から瞑想とイメージトレーニングを繰り返したかいがあった。今の俺は間違いなく輝いてる!)

光治郎自慢の低音が舞台に響き渡る。幼馴染連中からは「おっさんのような声」と評される、若者らしからぬバリトンボイスと声量が光治郎の持ち味であり、最大の武器である。弱冠二十歳ではあったが、この大役を勝ち取る自信が光治郎にはあった。

「光が! 光の矢が! おお、今まさに! 私を目掛け……」

「はい、そこまで! ありがとねー。君、もういいよ」

 舞台監督の気の抜けた声が会場に響く。

(ああ、やっぱりそうか)

 マイクを通しても伝わってくる、落胆の響き。舞台監督は、光治郎の演技に何の感銘も受けていない。

 いつもこうなのだ。最終審査までは残るものの、役からは外される。それが光治郎の常であった。

 そして、彼が次に何を言うかなど、もう分かっていた。これは光治郎の忌まわしい記憶。寝ても覚めても、頭の中でぐるぐるとかき回し続けた、トラウマとでもいうべき挫折体験であった。

(いやだ、やめろ。聞きたくない、聞きたくない!)

「君ねー、佐伯……佐伯君? 声はいいんだよね。低いし。そうそう。声量だってある」

(もういいだろう、やめてくれ。これは夢だ。あの時の夢だ。一年前のオーディション……あの時の……。ああ嫌だ。頼むから、早く醒めてくれ……)

「でも、華がないね。身長も……ちょっとねえ。この役にはちょっと、うん。……はい、ごくろうさん。」

 歯に物が詰まったような言い方だったが、役者としての光治郎が否定されたのはよく分かった。もう、舞台監督はこちらを見ようともしない。彼の興味は次に審査を受ける役者に移ったようであった。

 こんな締まらない終わり方は嫌だ。せめて魔王が最期を迎えるシーンまではやらせて欲しかった。光治郎は一年たった今でもそう思っている。

(せめて夢の中だけでも好きにやらせてもらおう。どうせこれは夢。現実じゃないんだ)

 光治郎は息を吸い込むと、魔王の最期の台詞をそらんじる。

「たとえこの身が神に滅ぼされようとも! 我が愛、我が野望を滅することはできぬ! いつの日か再びこの世に甦り、全てを滅ぼす復讐の徒とならん! 我が名を覚えておけ! 私はローディアの王ザヴォーク・ラ・ゴラス! 破滅の魔王と呼ばれた男!」

 夢の中とはいえ、台詞を最後まで言い終えることができた光治郎は満足気であった。


                ◇◆◆◆◇


 光治郎は、都内の大学に通う学生である。

 正確を期すならば、去年まではそうであった。

 あの忌まわしいオーディションですっかり心を打ち砕かれてしまった光治郎は、現在精神病を理由に休学中である。日々何をしているのかと言えば、外をブラブラと散歩したり、日がな一日、面白くも無いテレビ番組を眺め続けたり、インターネットのくだらない記事を読みふけったり、休日にでもやろうと買い溜めておいたテレビゲームに興じたりと、何をするでもない怠惰な生活を続けていた。

 

 光治郎にとって、幼少の頃から続けてきた演劇は、心の拠り所であった。勉強も運動も人並みで突出したところはなかったが、中学の頃に声変わりをしてからというもの、その低く渋い声を褒められるようになった。元々演劇をやっていて大きな声が出るということもあり、体育祭では応援団を勤めたりもした。文化祭ではクラスの出し物である演劇の主役を務め、率先して皆を引っ張っていった。

 その結果、光治郎の凛々しい姿に心奪われた女生徒に告白をされる、などという甘酸っぱい経験をしたこともある。

 そんなこともあって光治郎はますます演劇の世界にのめりこんでいくことになった。アルバイトも部活動もせず、放課後遊びにいくクラスメートを横目に、舞台稽古に向かう日々。そんな生活は、苦しくも楽しいものであった。

  

 大学受験を機に児童劇団を辞め、本格的に俳優の道を目指すことを決めた。

 夢があった。

 自分なら何でもできると思っていた。いずれは大きな役をもらい、華々しくテレビデビュー。ドラマや映画、ミュージカルなんかにも引っ張りだこに。数々の賞を総なめにし、行く行くは海外進出を決め……などと途方も無いことを思い描き、ほくそ笑んでいた。今となっては、その思い上がりが、顔から火が出るほど恥ずかしい。

 (まあ、そんな時期も長くは続かなかったけどな……)

 現実を思い知らされてしまった。

 劇団ふたご座の劇団員たちは軒並みレベルが高く、光治郎の一歩も二歩も先を歩いていた。児童劇団という狭い世界で天狗になっていた光治郎は、文字通り、高く伸びた鼻をへし折られてしまったのだ。

 (そもそも、俺の実力でよく入団できたもんだ)

 光治郎は自嘲気味に笑う。

 

 井の中の蛙、大海を知らず。

 この諺を、身にしみて理解した光治郎は、必死に努力を重ねた。体力作りのための早朝ジョギングは欠かさなかったし、発声練習も人一倍やった。少しでも演技の幅を広げようと、少ない小遣いをはたいて毎月のように映画や芝居を見に行ったし、演目となる古今東西の名作文学を読み漁ったりもした。噺家の演技を参考にしようと、講義をサボって寄席に通いつめた時期もある。

 俳優になれるのならば、舞台で活躍できるならば、何でもやろうと頑張った。

 だが、その結果がこれである。

 光治郎は思い知らされた。夢なんて所詮、夢でしかないのだ、叶うことなどないから『夢』というのだと。夢は見ている時が最も楽しいのであって、間違っても光治郎のような一般人が叶えられるようなものではなかったのだと。

 (まあ、仕方ない。俺は有名人でも天才でもないんだ。その辺に転がる石ころと同じだ。石ころはどう頑張ってもダイヤにはなれないんだ)

 光治郎は、そう一人ごちると、この悪夢が終わりに近づいていることに気が付く。長い夜が、やっと終わるようだ。


「今回で七回目だよね」

 舞台監督の、抑揚の無い平坦な声が響く。

「うちの劇団のルールはもう知ってるね」

 ルール。そう、ルールだ。多くの研修生を抱える劇団ふたご座が「少数精鋭」と呼ばれる所以だ。

「オーディションを七回受けて、一度も役をもらえなかった者は退団処分とする。うちには無能をいつまでも所属させておく気はないからね」

 ──無能。無能か。

 光治郎の胸に舞台監督の言葉が鋭利な刃物のように突き刺さる。握りこんだ手に汗が滲む。体温が一気に下がったかのような気持ち悪さに、脚が、身体が震える。

 この震えは怒りか、悲しみか、自己嫌悪か。もう光治郎にはよく分からなかった。

「それじゃあね、佐伯君。いつかどこかの舞台で君の姿が見られることを祈っているよ」

 相手を労わるような言葉に反して、舞台監督の声はどこまでも冷たい。光治郎は目を合わせることもできず、ただ自分のつま先を見つめているしかなかった。


 大きな音を立てて扉がしまる。

 それはオーディション会場の扉であり、芝居の世界の扉であり、理想の未来へと続く道を閉ざす鋼鉄の扉だ。

 光治郎は静かに目を閉じる。身体が浮遊する感覚とともに、急速に意識が覚醒して行く。  

 

 夢は終わり、今日も陰鬱とした日々が始まるのだ。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る