第18話 文化祭
九月に入り、二学期が始まった。始業式の日。
夏休みにも何度か会ったが、やはり久しぶりの感は否めなかったので、紫、藤花、律との再会をお互いに喜び合った。何せ我々のグループは、ガッツリな体育会系と文化系だったから、みんなそれぞれに忙しくしていた。
律は夏休み中は地元のクラブ、そして学園の部活練習と、ほぼ毎日バレーボール漬けだったようで、何度か遊んだが片手で数えられるくらいだった。
裕美もそうだ。勿論花火大会も含めて遊んだには遊んだが、午前中だけ遊んで午後からは水泳の練習…そんなこんなで、思った程遊んだ記憶は無かった。
藤花も何だかんだ日曜日は教会で讃美歌を歌い、それ以外も自分の口からは教えてくれなかったが、律が言うのには、他の日も隠れて練習をしていたようだった。前にも言ったように、パッと見イメージではフワフワしていて、いかにも可愛らしいキャラクターだったが、意外と言うか、そんなのは通り越すほどに歌に関してストイックだった。その様子は孤独な競技者を思わせるほどだった。私にも良い刺激を与えてくれている。
残るは紫。紫が一番夏休みに会っていたかも知れない。中学までは人に連れられるままに動いていただけで、正直何がどこにあるのかを都民でありながら、全くと言って良いほど知らなかった。自分の意志ではあまり地元から出ないで生活して来た私を、紫は何かと気を掛けてくれて、あちこちに連れ回してくれた。定番中の定番、新宿、池袋、渋谷などを案内してくれた。定番と言っても滅多に来たことが無かったので、行く度にすっかり御上りさん状態になっていた。紫はそんな私の様子を見て面白そうに笑っていた。が、私は知っていた。紫自身も滅多にそういった繁華街に、行ったことが無いって事を。何せ私達はこれでもまだ、中学に入ったばかりの女学生。ついこの間まで小学生だったのに、繁華街や遊び場に詳しい訳がなかった。寧ろ詳しかったら問題あるし、もしそうなら私は幻滅して、二度と一緒に遊ばないだろう。
私は紫の”知ったか振り”を、からかう気にはならなかった。私の為に…いや当然自分の為ではあるんだろうけど、モタモタして相手を退屈にさせないように、前日まで緻密に調べて計画していたからだ。…まぁ私が何も考えて来ないことを、知っていたからだとも言える。まだ半年にもならない付き合いなのに、よく私の習性を見抜いていた。
それで何故それが分かるかというと、ブラブラしている途中でチョクチョクスマホを覗いていたからだ。『それはその時に調べているだけだ』と言われる人もいるかも知れない。でも違う。何故なら一々検索エンジンで一からキーワードを打ち込んでいるというより、予めブックマークしていたのを開いている感じだったからだ。お陰で普通の女学生らしい(?)夏休みを過ごした。紫の近所で買い物したり、食事したりもした。が、八月に入ると紫も何やら忙しくなりだして、私、そして他のメンバーとも会う頻度が極端に少なくなった。この理由が、この後の話に大きく影響することになる。
学校は午前までだったので、先生の話が終わると、何故かみんなして窓際に座る私と、前に座る紫の周りに集まって来た。
開口一番、裕美が口を開いた。
「…で、どうする?この後」
「私は大丈夫よ」
カバンを整理しながら答えた。
「あなた達みんなは?」
私は顔を上げると、立ったままの裕美、藤花、律に聞いた。
「私は大丈夫よ!」
「私もダイジョーブー!」
「…うん、平気」
「じゃあ久し振りに五人で、どこか寄って行こうか」
と言いながら私はカバンを肩に掛けて立ち上がったが、紫はまだ座ったままだった。
「…あれ?紫、どうしたの?」
「…?」
他の三人はすでにドアの前に行っていた。皆してこちらを見ていた。
紫は顔の前で両手をパンッと音が鳴るほどに合わせて、目をギュッと強く瞑りながら言った。
「…ゴメン!今日も管楽の練習があるんだ…だから今日は他のみんなで行ってきてよ?」
「…あぁ、そっかぁ。今月だもんね」
私はふと、黒板横に掛けられたカレンダーを見ながら言った。
「…うん。だからゴメン、みんなで楽しんできて?」
紫は私の背後に視線を向けると、裕美達にも聞こえるように言った。
「あぁ、そっかー。ならしょうがないよねぇー…じゃあ練習頑張ってね!」
「本番楽しみにしてるからねぇー!」
「…落ち着いたら、また行こう」
藤花、裕美、律の順にそう言い残しながら、手を振りつつそれぞれ教室の外へと出て行った。
「じゃあ私も行くね?…練習、頑張って!」
「うん」
私は微笑みながら紫の肩にポンと手を置くと、同じように手を振りながら教室を出た。紫も微笑み返しながら、私に手を振り続けていた。
「…はぁー、しっかしやんなっちゃうわよねぇ」
裕美は目の前のアイスティーに入ったストローを、クルクル回しながら言った。その度に中の氷が、カランコロンと音を鳴らしていた。
「何がよ?」
私も同じく頼んだアイスティーを一口啜りつつ、横を見ながら聞いた。裕美は薄目で店内を見渡しながら、不満げに答えた。
「…だってぇー…お茶するのにわざわざ離れた所に行かなきゃなんだもん!」
ここは学園から電車で一駅、御苑近くの全国チェーンの喫茶店だ。個室のテーブル席に座っている。私と裕美が隣同士、向かいに藤花と律が座る形だった。あまり周りに会社や学校が無いからなのか、空いてるとまではいかなくても、息苦しく感じるほどでは無かった。店内も静かだったので、落ち着いてお喋りが出来た。周りには私達と同じ制服姿は見えない。
「…だもんって」
私は苦笑交じりに返した。すると裕美の向かいに座る藤花が、無邪気に笑いながら言った。
「あははは!確かにワザワザここまで来るのは、めんどくさいよねぇー。学校の近所にもファミレスとかあるのに、そこには行けないんだから」
そうなのだ。…いや、行けないという訳ではないのだが、いわゆる暗黙の了解という奴だった。”校則はそこまで厳しくない”と、いつだったか言ったと思う。それは間違ってはいないのだが、校則には書かれていない”校則”が存在したのだ。これは”小学校組”の藤花達に教えてもらった。それは何かと言うと、”この学園の生徒である以上、その制服を着ている自分が外の人間にどう思われているか?学園に相応しい立ち居振る舞いをしているか?それを心掛けて普段を過ごしなさい”というものだった。確かに入学式の時、壇上で学園長と思しきオールドミスがしきりに言っていたのを覚えていた。聞いたときはまさかと思ったが、廊下でたまに先生とすれ違うと、全員では無いし毎度では無かったが、今のようなセリフを言われた事が何度もあった。藤花達の話では、もし一年生ぐらいの新人が学園近所のファミレスに、立ち寄っていた所を先生なり先輩に見られたら、その子の親の所に連絡が行って、厳重に注意されるらしかった。校則が無い代わりに、お互いに目を光らせて秩序を守っているというのが、実状のようだった。こうしてみると何だか、おどろおどろしく思われるかも知れないが、これは一年生だけの試練みたいなもので、学年が上がり後輩が出来れば、学園の近所で堂々とお店に入ってお茶が出来るみたいだった。
これは部活に入っている紫と律の話だが、二人の部活の先輩は堂々と学園周りのお店に立ち寄っているらしい。線引きがイマイチよく分からないし、許される理由もよく分からないが、とりあえずこの一年だけの辛抱のようだった。因みに今いるお店を紹介してくれたのは、律の部活の先輩らしい。代々一年生が周りの目を盗むために、この店を利用しているって話だそうだ。変なところで伝統のようなものを感じた。
裕美は尚不満げに見せながら、手元のグラスを覗き込みつつボヤいた。
「…こういう所が、お嬢様って事なのかなぁ?」
「…違うと思う」
今まで黙ってホットコーヒーを啜っていた律が、静かにボソッと突っ込んだ。
「…もーう、そんなことは言われなくても分かってるんだよぉー」
裕美はほっぺを膨らませて見せてから、言った。私を含む他の三人は、顔を見合わせるとクスクス笑い合ったのだった。
その時手元の円形の機械が、赤い光を点滅させながら震えた。テーブルが共振して大きな音を出していた。注文の品が出来上がった合図だった。裕美は慌てて手に取ると、藤花を引き連れ商品引き渡し口へと向かった。そしてしばらくして二人は、お盆二つを分けて持ってきた。四人ともパフェだったが、中身がそれぞれ違ったので、仲良く分け合いながら食べた。食べてる間は目の前のパフェの事とか、それに関連して何処そこのスウィーツが美味しいなどの話をした。…話していて気付いたが、女子校だから男子の話などはしなかったけど、思えば立派な”女子会”をしていたのだった。私自身のキャラから客観的に見て、こんな風に同い年の女の子達とスウィーツを突っつき合うような、”普通の女学生”の生活を送る事になろうとは思っても見なかった。何も生産性の無い会話だらけだが、こういうのも悪くないなと素直に思っていた。
「…あーあ、美味しかった!」
藤花は背もたれに凭れながら、満足げな声を上げた。既にみんなは食べ終えており、藤花が最後だった。
「あんまり美味しくて調子のって食べちゃうと、太っちゃうかも」
裕美は意地悪く笑いながら、アイスティーのお代わりを飲んで言った。私達は同意する様に笑ったが、ふと藤花が先程の裕美の様に不満をあらわにしながら言った。
「…でもさー、ここにいる私以外のみんなは、そんな心配要らないでしょ?裕美ちゃんも律も、スポーツしているからかスラッとしてるし、琴音もなんだか知らないけど痩せてるし」
私達みんなに万遍なく視線を流しながら、オレンジジュースをストローから啜っていた。
ここで一つ補足すると、藤花はある意味わかりやすい性格をしていて、自覚あるかはともかく、心を許している人には呼び捨てにする習性があった。律のことは言うまでもないが、最近になって私の名前も呼び捨てにするようになった。おそらく…というか間違いなく、あの教会での独唱を聞いて以来の、私の積極的なアプローチが身を結んだのだろう。前にも言ったように、藤花の練習場に何度かお邪魔をしていたからか、夏休み入る直前くらいから”ちゃん付け”と呼び捨てが混ざるようになり、二学期に入ってからはずっと呼び捨てになっていた。このグループの中では、藤花に呼び捨てにされているのは律と私だけだった。…まぁ、それだけのことだ。
「いやいや、アンタだって充分すぎるくらい痩せてるじゃない」
裕美は藤花に苦笑を送りながら言った。裕美もいつの間にかこのグループのみんなに”アンタ”呼びが定着していた。私に対しては中々定着しなかったけど、もう一学期の中間テストがあったぐらいには、みんなに対して”アンタ”と呼んでいた。…これもまぁ、それだけのことだ。
確かに裕美の言う通りだ。私達の中では若干丸顔だったが、その他の手足や腰回りなどは細かった。四月の研修会旅行の時、宿泊所で班ごとにお風呂に入る事になったが、その時みんな当然裸になるので、まじまじと見た訳ではないがどうしても目に入るので見てみると、裕美と律のスタイルが良いのはともかく、意外と藤花も身体が小さいなりにスタイルが良かった。何よりも目を見張ったのは、お腹に綺麗な縦筋が浮き出ていた事だった。裕美と律は如何にもスポーツマンな腹筋が浮き出ていたが、藤花のは女性らしいモノだった。私はその時思わず藤花のソレを褒めたが、私以外のみんなに『アンタが言うな』と何故か怒られてしまった。…因みに余計な事を言えば、胸はみんな形に違いはあれど同じ様なサイズだったが、紫が一人だけ大きかった。…これはまぁ、余計な話だ。
「…そんなに気になるなら、私と一緒にトレーニングする?」
律は隣を見ながら言った。顔は無表情だったが、声に熱がこもっていた。
藤花は上体ごと隣の律に向けると、両腕を前に突き出し手を振りながら慌てて答えた。
「いやいやいや!律のトレーニングなんて、ついていける訳ないでしょ?痩せるどころか、死んじゃうよ!」
「…大袈裟な」
律は澄まし顔だったが、声はしょぼくれていた。私と裕美は顔を見合わせ、クスッと笑った。
「あーあ、この場に紫ちゃんがいれば私に加勢してくれたのになぁー」
藤花はまだ自分だけ太っていると思い込んでいるのか、不貞腐れながら言った。
「ふふ…あっ、そういえば」
私は思い出したような声を上げてから言った。
「紫と言えば、そろそろ文化祭ね」
「そうだねぇー」
藤花はさっきまでの不機嫌さはどこに行ったのか、いつもの無邪気に戻って言った。
「そうかぁ、もう文化祭かぁ」
「…今月末」
裕美と律も私に反応した。
「この中で関係しているのは、主に紫と律ね」
「…うん」
律は私の言葉にコクンと頷き、短く同意を示した。
そう。私達の学園の文化祭は今月末、つまり九月末の土日に催される事になっていた。都内の学校の中ではかなり早めな方だった。他もそうらしいが、女子校ならではの”招待券制”で、一人当たり八枚程のチケットを配布されることになっていた。いや、もうこの時期には配られていた。そこに呼びたい人の素性まで書かなければならないという、随分と厳しい規制がかかっていた。まぁこれも仕方ない事なのだろう。
ここで漸く、紫のことを話せる時が来た。紫はご存知のように、”管弦楽同好会”に所属していた。前にも言ったように大会などに出場する様な事は無かったが、学園内で催しなどがあった時には、必ずと言っていいほど駆り出されていた。朝礼時での校歌も、”管楽”の生演奏をバックに歌っていた。だから大会に向けての練習はしていなかったが、何気にいつも忙しそうにしていたのだった。今回は文化祭の開始時に、校庭に全校生徒が集まり、学園長が壇上に上がり、文化祭の開始を宣言するのと同時に、管楽がファンファーレをする事になっていた。しかもそれで終わりではなく、文化祭中も一日目に体育館で、何度か生演奏を披露する事になっていた様だった。みんなで一度は聞きに行く約束をしていた。というわけで、夏休みの中盤から紫と遊べなくなった理由は、学校で文化祭に向けての練習に明け暮れていたからだった。
序でに律も何故関係しているのかというと、文化祭の二日目に体育館で、他校との交流試合があったからだ。これは律、そして律の先輩達が自ら言うから言い易いのだが、ハッキリ言って我が校のバレーボール部は弱いらしく、また人手人材不足も相まって、一年生の入部したての律が急遽、先輩たちに混じってレギュラーを張っていたのだった。ぽっと出の一年が、他の先輩を差し置いてレギュラーになるのは、何かしらの反発があるものと予想されるのだが、律に対しては無かったらしい。入部したての時に全部員が見ている前で、サーブなりスパイクをして見せたら、顧問の先生初め先輩から何からが律を推したという、これは律と仲の良い先輩の弁だ。でもやはり大会にいきなり出るというのは、フォーメーションやチームワークとの兼ね合いで、夏にも大会があったが、そこではベンチを温めていたらしい。しかしその背後でレギュラーの先輩達と何度も練習を繰り返していたようだ。そして今回、お試しというのも含めて、律にとっては部活上初の試合出場と相成った。これも既に私達全員で観に行く約束をしていた。
「二人とも頑張ってよー」
裕美はにこやかに明るい調子で律に言った。律は私に対してと同じ様に、コクンと頷いた。が、顔を上げて裕美に向けた視線は、私に対してよりも力強かった。裕美も視線を合わせたまま、小さく笑顔で頷いた。体育系同士の意思疎通を感じた。
「…琴音」
「…ん?何?」
と急に話しかけられたので、短くそう聞き返した。藤花は身を乗り出し私に顔を近付けて、一度薄目で律と裕美を見てから、ボソッと耳打ちする様に言った。
「私達文化部も負けてらんないわ!紫をしっかり応援するわよ」
藤花の顔は和かだった。
「…ふふ。それは勿論だけど…文化部って何よ?」
私も同じ様な表情を返しつつ、口調は戸惑いげに突っ込んだ。藤花は無邪気な笑顔を見せるだけだった。仕方なく私も笑った。気づくとそんな私達を、裕美と律も微笑みながら見ていた。
これから文化祭の準備が始まる。
「それでは皆さん、怪我には気をつけて、礼節大事に秩序を保ちながら、文化祭を盛り上げましょう」
壇上の学園長がそう言葉を結ぶと、お辞儀をした。すると脇でずっと待機していた管弦楽同好会が、各々の楽器を空に向けるようにしながら、ファンファーレを鳴らした。
楽員はみんなして、統一した服装を着ていた。白のワイシャツに黒のスキニーパンツ、それに赤と黒のチェック柄ベストを羽織っていた。トランペットを吹いている紫の姿が見える。お祭り開始の合図だ。
ここは校庭。都心の学校らしく、地面は全てが人工芝だ。空は生憎の曇り空。朝家を出た時は晴れていたのに、女心と秋の空は変わりやすい、まさにその言葉通りにグレーの雲に覆われていた。私自身女の筈だが女心は分からないので、言葉の意味が素直に飲み込めないが。そんな余計な事はともかく、周りは天気が悪くなったのを残念がっていたが、私は曇り空が大好きだったから、むしろ気分が高揚していた。勿論天気だけでなく、今の紫もそうだが、他に律の初試合が控えていたからだ。それを楽しむためだけに、学校に来たようなものだった。何しろ私自身のことでいうと、もう文化祭は実質終わっていた。何故なら一年生の出し物は、毎年四月の研修旅行の発表と決まっていたからだ。
文化祭開始の二週間前、授業は全てが短縮されて、全校生徒が一丸となって準備に熱を入れる。二年生から上は、それぞれ模擬店などを企画したり、部活毎では屋台を出したり、律の所みたいに試合があったりした。先ほども言った通り一年生の全クラスは、どこか部活に所属している人は別にして、ボール紙にその時の写真を貼って、それを倉庫から持ってきた移動式のパネルに貼り付けて、後は適当に手作りの花飾りなどで教室を彩っただけだった。後は形ばかりの受付係を、クラスの三分の一を占める帰宅部で回すだけなので、もう正直やることが無かった。とりあえず初日は紫の演奏会が体育館で控えていたので、その開始時刻まで私、裕美、藤花でブラブラ回ることにした。律は今日が試合じゃないので、一緒にどうかと誘ったが、明日の試合に向けて最後のミーティングがあるらしく、一緒に回る事は叶わなかった。私達は律に対して、簡単にとは言えエールを送ったのだった。
紫の演奏会は午後からだったので、それまでどうやって時間を潰そうかと思っていたが、要らぬ心配だった。中高一貫校な上、一つの校舎にまとめて入っているので、全部の模擬店なり屋台を回ろうとしたら、時間がいくつあっても足りなかった。…まぁこれは大袈裟だとしてもだ。
こう言うと、また変に冷めてるなと思われるかも知れないが、文化祭のような催し物は、やる側の人間達が楽しむもので、受け手側、客側としては正直…それ程でもない。 ケチをつけたいんじゃなくて、客観的な事実だ。ではどうやって時間を潰したのかというと、文化祭自体というより別の要因があったからだ。
屋台でお菓子を買ったりしながら、私達三人は当てもなく各教室を覗き込んだりして過ごした。と、その時。
「琴音、裕美ちゃん、久しぶりー」
後ろから声を掛けられたので、振り返って見るとそこには、私のお母さんと裕美のお母さんが、こちらに手を振りつつ笑顔で近寄って来ていた。
「久し振りです、おばさん」
私は裕美のお母さんに挨拶した。裕美はミディアムくらいまで髪が伸びたというのに、昔と変わらずショートヘアーのままだった。
おばさんは私の肩をポンポン叩きながら、陽気な調子で返した。
「久し振りー!元気にしてた?」
「えぇ」
向こうでは裕美とお母さんが、同じような挨拶をし合っていた。
私はまず招待券を、お母さんに渡していた。というのも、招待券の中に”親類親族用”というものがあったからだ。大体の新入生はこの券を使って、自分の親を招待するのが習わしになっていた。私達のクラスに見に来るほぼ全員が、保護者の方ばっかりだった。その為の”研修旅行発表”なのだと思う。
「…ところで」
お母さんは、一人手持ち無沙汰で惚けていた藤花を見ながら言った。
「この可愛らしいお嬢さんはどなた?琴音のお友達?」
「うん。紹介するね」
私は藤花の背後に回ると、お母さん達の前に押し出すようにしながら続けた。
「この子は藤花。ほらお母さん、あの…」
「ん?…あぁ!」
お母さんは途端に満面の笑みを浮かべると、藤花の両肩をガシッと掴みながら言った。
「あなたが歌の上手い藤花ちゃんね?いつも琴音があなたのことを話してくれるのよ!」
「は、はい…。わ、私は並木…藤花と言います」
あの普段は天真爛漫で、向かうところ敵なしといった調子の藤花が、お母さんに対してはタジタジとなっていた。確かにお母さんのスキンシップは、過剰だと思う。173も身長があるお母さん相手では、ただ成されるままでいる他ないようだった。
「ほらほら瑠美さん、この子困っちゃってるよ?」
お母さんの隣で、おばさんが苦笑交じりに注意した。
お母さんは慌てて手を離すと、同じように苦笑いを浮かべながら謝った。
「ごめんなさいねぇ?何せうちの子と来たら、滅多に周りの友達の話をしないもんだから。それが中学に入ってから、急にあなたや他の友達の話を自分から話すようになってくれてね?私としてはそれが嬉しくってねぇー、だから藤花ちゃん?これからも裕美ちゃんと同じように、仲良くしてあげてね?」
あまりにお母さんが一方的に喋り倒すので、ぽかんとしていたが、そう言われた藤花は途端に吹き出すと、無邪気な笑みを浮かべながら返事をしていた。
「…プッ、わ、分かりました。こちらこそです!」
「…もーう!いいからお母さん、そんな話は!」
私は自分でも顔が火照ってるのが分かるくらいだったが、それを誤魔化すようにお母さんの背中を押して行った。
「ちょっとぉー、琴音?」
「向こうに保護者が休むような場所があるから、そこに行きましょう!」
私はお母さんの言葉を無視してそう言うと、今度は振り返り、裕美達に向かって言った。
「ほら!みんなで行きましょう!」
私は答えを聞かないまま、ズンズン先へ進んで行った。最後まで見なかったが、あらかた分かる。裕美、おばさん、藤花の三人はこちらの様子を微笑ましげに見ていたからだ。私はそれを無視する他になかった。
その休憩所は視聴覚室を解放している所で、入るとお母さん達と同い年ぐらいの男女が、思い思いに座って談笑を楽しんでいた。ポットとティーバッグ、後は普通の水が用意されていた。
私達も空いているスペースに座り、軽く雑談を楽しんだ。藤花は私のだけじゃなく、裕美のお母さんとも改めて挨拶をしていた。と、その時何かを思いついたのか、ハッとした表情になり、お母さん達に断って何処かに電話を掛けていた。数分ほどすると、この休憩所に藤花のお母さんが入って来た。こちらに笑顔で手を振っている。と、その後ろには見たことのない女性が立っていた。これまた随分背の高い人だった。藤花のお母さんは平均的な身長、150後半位だと思うが、後ろの女性は余裕で頭の上からこちらを静かに見てきていた。お母さんよりも背が高い…おそらくピアノの先生くらいだと思った。でもすぐ誰か察した。何せ一重瞼で横に長く切れていて、半目がちな眼差し、髪こそ長かったが間違いようが無かった。
「あっ!ママー!おばさーん!こっちこっち!」
藤花は立ち上がり声を上げると、大きく手招きをして呼び寄せた。と、藤花がそう言うと、おもむろにお母さんと裕美のお母さんも立ち上がって、藤花のお母さん達を迎えていた。
四人ともそれぞれに自己紹介をしていた。やはりと言うか思った通り、この背の高い女性は律のお母さんだった。ただ見た目はソックリだったが、話し方はハキハキと喋るタイプで、表情も意外に豊か、性格は見た目に反して明るめのようだった。
お母さん達は私達の自己紹介の時のように、どうやら下の名前で呼び合うことに決まったようだった。ということで今更ながら、こんなに”お母さん”達が増えてきたので、私が話すときも便宜上、お母さん達を言う時、下の名前の”さん付け”呼びで統一しようと思う。
まず裕美のお母さん。名前は久美子だ。藤花のお母さんの名前は陽子だ。そして律のお母さん。名前は恵というらしい。紫のお母さんは、まだここでは出てこないので追々だ。
私達子供をそっちのけで盛り上がり始めたので、軽く声を掛けてからお暇することにした。
「…いやぁ、律にソックリだったね」
裕美は体育館に向かう廊下の途中で、ボソッと言った。
「でっしょー?でもあの通り、性格は真逆なのよねぇ」
藤花は足取り軽く私たちの進行上に躍り出ながら、笑顔で答えた。
「…性格はじゃあ、お父さん譲りかな?」
私は思いつきでポロっと漏らした。すると後ろ歩きでいた藤花は、私に指をビシッと向けながら言った。
「…そう!その通り!良く分かったねぇー」
藤花は私の隣に戻ってきた。私を挟むようにして歩いている。藤花は続けた。
「あぁ見えてというか、見たまんまだけど、律のお家はね、結構厳格なお家でさぁ…お父さんが国立大で教授をしてるんだよ」
「へぇー、教授」
「何を専門としているの?」
私が聞くと、藤花は腕を組み必死に思い出そうとしているようだった。
「うーん…とねぇー…確か物理の何かだったと思うよ」
「…ふふ、何かねぇ」
「物理学者かぁ…面白そう」
裕美は空中にボソッと声を漏らした。藤花は無邪気に笑いながら若干前傾になり、私の向こうの裕美に明るく言った。
「直接会うと、もっと面白いよー?さっきまで普通に会話していたのに、急に一人で考え事が見つかると、周りをそっちのけで急に考え込むんだからぁ」
「へぇー…如何にもなエピソードね?」
「ふーん…」
私の脳裏には、当然というか義一が瞬時に思い浮かんだ。
なるほどー…世の中にはあんな奇特な人が、何人かいるんだなぁ。
などと思いを巡らせていると、話題はすでに私と裕美のお母さんについてに変わっていた。
適当に藤花からの質問に答えていたら、何だかんだ時間が潰れて、体育館に着く頃には演奏会開始時刻十分前だった。
体育館に入ると、壇上には扇を広げたかのように椅子が並べられていた。端にドラムと、ベースアンプが置かれていた。会場には所狭しとパイプ椅子が並べられていた。舐めていた訳ではなかったが、思ったよりも大規模なものだった。こんな景色は入学式以来だった。既に点々と座る人の姿が見えた。大概は前の方に固まっていたが。小学生くらいの女の子と保護者らしき女性の姿も良く見えた。私達は横並びになるように、空いている最前列に座った。が、ものの数分後には、後ろがガヤガヤしだしたので振り返って見ると、既に学生や外部生、先程言った親子連れの姿で埋め尽くされていた。変な熱気に満ちていた。学園側としては、文化祭はいいコマーシャルの機会だと思っているらしい。その上での毎年の目玉が、一日目の”文化系”での管楽演奏、二日目の”体育系”としての他校試合ということみたいだ。
そんな学園経営方針など、生徒の私達にはどうでも良い。そろそろ開始時間だ。
壇上のライトが点いたかと思うと、管楽楽員達が淡々と袖脇から出てきた。総勢三十人程の編成だ。その中に神妙な面持ちの紫の姿も見えた。会場からは拍手が起きている。私達も同じように拍手をした。楽員達はそれぞれの持ち場に付くと、一度お辞儀してから座った。そして顧問の先生だろう、少し遅れて入ってきて、こちらに一度大きくお辞儀をすると、指揮者台に登った。そしてドラムに合図を送ると、ドラムはカウントをスティックで入れてから、キッカケを始めた。
カウベルの軽快な音から一曲目が始まった。『宝島』だ。今にも踊りだしてしまいそうな、陽気なリズムだ。思わずその場で足踏みしてしまった。周りを見てみると、それぞれが思い思いにリズムに乗っていた。
それからは『アルセナール』、テンポは流石に落としていたがテンションの上がる『エル・クンバンチェロ』、迫力有りつつ緩急あるメロディが特徴の『エル・カミーノ・レアル』、サンバかカーニバルの雰囲気の『コパカバーナ』、そして最後はハッピーエンドで終わった映画のエンディングに流れてきそうな『センチュリア』で終わった。
計四十分くらいの演奏だった。最後の曲が終わり楽員達は椅子から立ち上がり、指揮者も会場に向くと、一斉に深々とお辞儀をした。すると体育館は割れんばかりの拍手に包まれた。鳴りやむのを待たずに、楽員達はやり切った笑顔を見せつつも、恥ずかしがりながらいそいそと舞台袖へと消えて行った。そして壇上のライトが消されると、周囲の人達は思い思いの感想を言いながら、出口へと消えて行った。私達はその場に座ったままでいた。
人が疎らになった頃、私の右に座っていた裕美が、私と藤花に話しかけてきた。
「…いやぁー、思ってたよりも楽しかったね!”管楽”と”吹奏楽”の違いも分からないような、私みたいな門外漢に楽しめるのかなって思ってたんだけど、予想以上にノリノリの曲ばっかで、楽しめたよ!…お二人さんみたいな音楽を”ガチ”でやってる人から見ると、どんな感想になるの?」
裕美はそう言うと、意地悪く挑戦的な視線を送ってきながら、ニヤケていた。
「…何よぉ、その角のある言い方は?」
私は苦笑いで返す他なかった。
「そうだそうだ!」
私の左に座る藤花も、右腕を”えいえいおー”といった調子で曲げ伸ばしして抗議した。顔はニヤケていたけど。裕美も笑顔で返した。
「あははは!…で、どうなのよ実際?」
「いやいや!そんな大層な審美眼なんか持っていないから!…そうねぇ、私は素直に楽しかったわ!ねっ、藤花?」
と私は満足げな笑みを浮かべつつ、藤花に振った。すると藤花も力強く頷きつつ応えた。
「うんうん!よかったよぉー!…まだ紫ちゃんは出てこないよね?」
「うん、まだみたい」
裕美は壇上脇の閉ざされたドアの方を見ていた。そこは普段は簡易的な物置に使われているが、今日この日だけは管楽の楽屋代わりに使われていた。私達はここで紫と待ち合わせをしていた。
「まぁ別に紫ちゃんがいても、構わないんだけど…」
藤花は私をチラチラ見つつ、裕美に言った。何だか照れ臭そうに。
「ほら、…って言っても分からないかもしれないけど、誤解を恐れずに言えばね、私と琴音のしているタイプとは少し違うのよ。私も琴音もしているというか、目指しているのが所謂”ソリスト”ってやつでね?勿論オーケストラの皆さんと合わせなくちゃいけないんだけど、中にいるよりかはある程度自由が利くの。…でも自由が利く分、失敗したりしたらかなりの責任が私達ソリストにのしかかって来るものなのよ。周りがどう思おうがね?…あぁ、なんか」
藤花は途中から真剣な面持ちで話していたが、ハッとした表情を見せると、話す直前の苦笑いに戻って言った。
「いやぁー、ゴメンゴメン!ついつい夢中になって喋っちゃった。ダメだなぁー…音楽の事となると、なーんか自分でも気付かないうちに熱くなっちゃうのよ」
「んーん!すごく楽しく聞いてたよ!ねっ、琴音?」
「えぇ。私も同意見だし」
実際私は藤花の話を聞きながら、仕切りに頷いていた。すると藤花は余計に恥ずかしそうにしながら、また話し始めた。
「…そーう?まぁ琴音が同意してくれるんなら、話した甲斐があったけど…いや、何が言いたいかっていうとね?こうやって皆んな一斉に息を合わしてやるのも、良いもんだなぁって羨ましく思っただけ!」
藤花は力強く言い切ると、普段の無邪気な笑顔を見せた。
「そっか!それなら私も分かるわ!」
「そうねぇ、あなたは水泳だもの。一人で全部やらなきゃね?」
私が裕美にさっきのお返しと、挑戦的な視線を送りつつニヤケながら言った。
「うん!そーゆー事!」
裕美はそれを素直に笑顔で返してきた。それから三人は明るく笑い合うと、そのまま暗くなった舞台上を眺めつつ談笑をした。
それから数分程すると、制服に着替えた紫達が出てきた。私達は早速立ち上がると、紫の元へ駆け寄った。
「あっ、皆んなー!ちゃんと見てくれた?」
紫はまだ熱が篭っているのか、顔を赤く上気させていた。紫は他の楽員達に先に行くように促してから、眼鏡をクイっと上げると、
「…私達、ちゃーんとカッコ良かった?」
悪戯っ子な表情で聞いてきた。私達三人は一度顔を見合わせると、同時に紫に顔を向けて元気に答えた。
「うんうん!めっちゃカッコ良かった!」
「思わずリズム取っちゃったもん!」
「うんうん」
先に裕美と藤花が感想を言っちゃうもんだから、私は満足げに頷くしかなかった。
紫は心から嬉しそうに、顔を綻ばせていた。
「紫ー」
とその時後ろから声を掛けて来る人がいた。振り向くとそこには一人の女性が立っていた。黒いスーツを着ていた。いかにもキャリアウーマン風だ。仕事から直接来た感が、ありありとあった。背は平均的だった。藤花より少し高いくらいだった。紫のしている眼鏡と同じフレームのを掛けていた。後は…余計な事だとは思うが、スーツの上からでも見て分かる程に、胸が大きかった。遺伝がどこまで影響しているのか分からないけど、証拠として示されれば、納得いくものだった。因みに私はこの女性を知っている。夏休み中に二度程、紫の地元で会っているからだ。ここまで引っ張る必要は無かったかもしれないが、そうこの人は
「…お母さん!」
紫はそう言うと、お母さんの元へと駆け寄った。それを笑顔で迎えている。勝気で性格キツそうな顔つきがソックリだった。尤も黒のスーツをビシッと決めているのと、紫と同じ眼鏡をしているせいだったが。
「よく今日来れたね?」
「えぇ、何とか早めに片してね。せっかくの紫の晴れ舞台なんだもん。初めからちゃーんとこの目で見ないとね?」
紫のお母さんは自分の目に指を指して見せながら言った。それから親子二人は微笑み合っていた。
「まぁこの後また戻らないとなんだけど」
「あ、そうなんだ…あっと、そうそう!」
紫はこちらの方を振り向くと、私達の事を紹介してくれた。私達がそれぞれ自己紹介すると、紫のお母さんは仰々しく腰を大きく曲げてお辞儀して見せてから、微笑みつつ返した。
「私は紫の母、宮脇香織といいます。皆んなの事はしょっちゅう聞いてるよ。これからも皆んな、紫をヨロシクね?」
「はい」
私達は揃って元気に返事した。香織さんは満足そうに笑っている。
そんな様子を見ていた紫は、少し気恥ずかしそうにお母さんに言った。
「無理して来てくれてありがとう、お母さん。でもほら、仕事に戻らなきゃなんでしょ?」
「え、えぇそうね、そろそろ戻らなきゃ」
「でしょ?じゃあ皆んな」
紫はやけに早口で捲し立てるように言った。
「ちょっと外までお母さんを送っていくから、少し待ってて?」
「う、うん、分かった」
「ほらお母さん、送っていくから」
「ハイハイ…もーう、何を恥ずかしがってるのこの子は」
紫は香織さんの背中をグイグイ押しながら言うと、後ろを振り向きながら、苦笑交じりに言っていた。
「…ふふ、いつだかの誰かさんに似ていません?藤花さん?」
「えぇ、たしかに見覚えがありますことよ?裕美さん」
さっきまで私の隣にいたのがいつの間にか、裕美と藤花は数歩下がって大きなひそひそ話をしていた。私は振り返りジト目を流しながら、
「一体誰の事を言ってるの、あなた達ー?」
語尾を伸ばして、徐々に音程を上げながら言った。すると二人は顔を見合わせると、クスッと笑ってまた私に向き直り、明るい調子で答えた。
「何でもありませーーん!」
一日目が終わり、二日目だ。今日は紫を入れた四人で早速体育館へと向かった。入ると昨日あったパイプ椅子はすべて撤去され、代わりにネットが二つ設置されていた。コートを二面使うようだった。下は競技者しか使えなかったので、私達は二階部分、コートを見下ろせる渡り廊下に陣取った。既に他校の女子生徒も含めた子達が、手摺りに掴まり下の様子をワイワイ言いながら見ていた。ちょうどコート二つの中間地点が空いていたので、裕美、私、藤花、紫の順に横並びになった。ふと視線を感じて顔を上げると、向かいの渡り廊下に律のお母さんがいた。こちらに笑顔で手を振っている。私はみんなに知らせると、揃って手を振り返した。
渡り廊下が色んな制服姿で埋め尽くされた頃、ふとざわつき始めたのでコートを見ると、いつの間にか選手達が出ており、思い思いに準備体操をしていた。
今日は私達の学園含めた四校で行われる、トーナメント方式だった。二回勝てば優勝と言うことだ。負けても二位、三位決定戦が行われる。律の話では、毎年同じ学校同士でするらしいが、毎回ビリけつに終わるらしい。これは律の先輩に聞かされた話だが、今回は律がいるから少しはマシな成績になるんじゃないかと期待しているようだった。言われているその時の律の表情は、見た目から言えば普段以上に冷めてるようだった。そんなこんなで今になる。
「律ぅー!ガンバレー!」
藤花が突然大声で声援を送った。準備体操を終え、ベンチに座りながらスポーツドリンクを飲んでいた律は、ふと顔を見上げて私達の方を見ると、表情のないまま此方に静かに手を振っていた。ユニフォームは全身真っ黒だった。前後ろに番号が書かれている。膝用サポーターまで黒一色の徹底ぶりだ。他の三校は赤や黄色などの、明るめの色合いだった。そんな中だから、逆に目立っていた。
藤花の声がキッカケとなったか、他校の応援にきた生徒達も大声で母校の選手達に声援を送っていた。紫と裕美も大声を出していた。私はジッと律の一挙一動を見守っていた。小学生の時、裕美の大会に応援に行った時もそうだったが、勿論本番に競技をする姿も面白かったが、それに向かうまでの準備をしている姿を見るのも、私は好きだった。
ピーーーーーっ!
ホイッスルが鳴り響いた。瞬時に先程まで騒ついていたのが収まり、しーんと静まり返って、あたりには緊張感が流れた。と、四校の選手達はそれぞれ円陣を組むと、それぞれ特徴のある掛け声をあげた。士気を高め合っていた。
審判が合図すると、それぞれの相手チームの選手達と握手を交わし、自分のポジションに着いた。こうして上から見ると、勿論中には低い人もいたが基本的には律と変わらないくらいの身長だった。まぁ尤も、律以外殆どは先輩達だろうけど。
どう見ればいいのか、最初にサーブを打つのは何と一年の律だった。余程律が飛び抜けて上手いのか、我が母校が弱すぎるのか、どちらかだった。
ピーーーーーっ!
さっきと変わらぬホイッスルの音が鳴り響いた。試合開始の合図だ。途端にさっきまで静まり返っていた観客達は騒ぎ始めた。隣の裕美達も声援を送っている。
律は落ち着くように、俯き加減に手に持つボールを見て、深く息を吐いたかと思うとボールを高くあげ、それに追いつこうとするかの様に飛び上がった。そしてそのままサーブを打ったのだった。
「いやぁー、面白かったねぇ」
紫は声を明るく同意を求めるように言った。
「えぇ。…結果は残念だったけどね」
私も微笑みながら返した。
私達は学園本校舎の屋上に来ていた。最近の学校にしては珍しく、屋上を開放している。しかも其処彼処に草花の植えられた花壇があり、ベンチもあって、さながら空中庭園の体をなしていた。そんな所だから、普段は昼休みなど生徒でごった返していて、とてもじゃないけどのんびり出来るような雰囲気は無かったが、今は文化祭の終盤、みんなはおそらく”後夜祭”の執り行われる体育館に集まっているのだろう、今この場には私達しかいなかった。勿論私達も後から行くつもりだが、ここで律と待ち合わせていたのだ。今頃部員達と、喜びと悲しみを共有しあっている事だろう。
試合の結果から言えば、我がバレーボール部は三位だった。一回戦は勝ったが、二回戦で前回の優勝校に負け、二位決定戦では勝負は拮抗していたが、惜しくも負けてしまった。両チームがネットに近付き、深く礼をして挨拶を交わしていたが、その後の律の表情は遠くからでも分かる程に暗かった。それとは反対に周りの部員達は、体全体で喜びを表していた。飛び跳ねている者がいたり、抱き合っている者もいた。それでも一人肩を落としている律を見兼ねたのか、前に私と会話をした事のある部長さんを筆頭に、他のスターティングメンバーが律の周りを取り囲んだ。何を会話しているのかまでは、遠くからではわからなかったが、ふと部長さんが抱きつくと、一斉に他の部員達も抱きついた。律は見るからにますます戸惑いの表情を深めていたが、次第に顔を柔和に綻ばせて笑みを浮かべていた。顔を上げると丁度私達と視線が合った。すると藤花が無邪気な笑みで、大声で頻りに律の名前を呼んでいた。裕美と紫も後に続いた。私も微笑みつつ大きく手を振った。他の部員達も私達に気付いて、見上げていた。流石の律も恥ずかしそうだったが、照れ臭そうな笑みを浮かべつつ手を振り返していた。
「でも毎年ビリケツだったのが三位で、しかも最後のあの試合すっごく白熱してたもんね」
裕美はまだ興奮冷めやらぬといった調子で言った。
「うんうん!…まぁチームプレイだから律一人のお陰ってことでは無いかもだけど、でも何かしらの影響を与えたのは間違いないもんね!」
藤花も裕美に同調するように言った。
この時はまだ知る由もなかったが、どうやら藤花の言った通りだったようだ。この後でたまたま律の先輩、つまりバレーボール部の部長さんに聞いたのだが、律が入部して来るまではそれなりに練習していると思っていたらしい。それが律が入部して来て、その実力にも驚いたらしいが、それよりも驚いたのはバレーボールに向き合う姿勢だった。誰よりも早く体育館に来て準備をし、練習が終わっても最後まで残っていたのが律だった。後みんなはトス上げやサーブ練習、スパイクの練習などをしたがって、なかなか基礎練習をしたがらなかったが、律はまず学園の外周を三、四十分走ってきてから、そういう練習をしてたらしい。雨の日なんかは私達が観戦していた二階部分の渡り廊下を、何周もグルグル飽く事無く走ることを怠けなかったようだ。
最初はそんな律の姿を見て、部員の反応は冷ややかだった。チームプレイのスポーツなのに、一緒に仲良く練習しようとはせず自主トレをしているのが、自分勝手に映ったからみたいだ。またチームの”和”を乱す異端者とすら思う人もいたという。しかし次第にその真面目な姿勢に絆されていったようで、律のランニングに一人、また一人、最終的には部長も含む全部員が取り組むようになっていったらしい。それでこの結果が生まれた。この話をあの御苑近くの喫茶店で聞いていたが、律はその間ずっと、窓の外の景色を見ていた。素っ気無い態度をとっていたが、それが逆に照れ隠しだと分かり易すぎるほどに分かり易かった。私以外に藤花もいたが、そんな様子を部長さんを含めた三人で微笑みあったのだった。
ガチャ。
屋上への連絡扉が開いた音がした。私達四人は一斉に音の方を向いた。そこには制服姿の律が立っていた。夕日が顔に当たり、眩しそうに目を細めている。
「律ーー!」
藤花は律だと認識すると、途端に駆け寄って行った。そして律にドンと勢い良く飛びついた。前に教会で見た光景と丸切り同じだ。ただ違うのは、教会の時は藤花が主人公だったって事と、飛び付かれた律が若干フラついたって事だ。教会の時は微動だにしなかったのに、それだけ試合後って事で疲れていたのだろう。
それからは私達も律のもとへと駆け寄った。そして思い思いの激励の言葉を投げかけていた。律は表情少なく対応していたが、一重の切れ長な目は気持ち下に垂れ下がり、口元も柔らかく微笑んでいた。顔の色も普段は私と変わらないくらいに色白だったが、この時ばかりは赤みを指していた。これは夕陽のせいだけでは無かっただろう。
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