第41話 食う

さて、自分が一番興味あるのは今も昔も食。

美味しそうな物を食うよりも何故かそれがあるのを知るのが好きだった。

不思議だったけど今は解る。

食に興味あり、それを知識にするのが好きだったと。

さて、食うとは?

肉体を健康に維持するための行為。

栄養バランスさえとれていればオッケー?

否!断じて否!

本来食うという行為は他の生命を奪うこと。

植物も動物も等しく同じ生命を持っている。

それを得るのに必要な物は?

愛だとか感謝だとかめんどくさいのは抜きにしても、その命を無駄にしないために、美味しくいただく事、楽しくいただく事。

料理する方もその命を無駄にしないようにしてあげる事。

古来から日本は鯨を食べて来ました。

あの巨体の様々な部位を余すことなく利用して、さらに骨なども活用する。

昔の人のもったいない精神でしょうが、これは命そのものに対して無駄にしてないに通じます。

とある今は亡き京都の料理人は茄子のヘタさえ美味しい料理にしてました。

昔の料理人は無駄を嫌っていたのですよね。

今の料理人はほとんどが良い部分を競って使い、いらない部分は捨てる。

工夫や知恵が足りないと言えましょう。

今の親も子供の好き嫌いはどうしようもない、大人になったら解るとか、最悪なのは栄養あるから不味くても食べなさいとか。

命を得ながら命をバカにしてますね。

ピーマンも苦いから不味いと大人でもいますが、チョコレートも実は苦いだけ。

甘さを足して苦さを芯にして美味しくしてるわけです。

ピーマンも苦味が芯になるように料理してその説明をしてあげれば良いのですよ。

子供は嫌いな物は嫌いな味を探し出す。

大人はそれを美味しく食べる方法を知ってる。

知ってるけど説明できないって事でしょうね。

逆にどんなに美味しいマグロのトロでも醤油も塩もかけないで食ったら不味いだけ。

さらにゴボウなどはその無駄に固い歯ごたえと土の香りを楽しむものです。

春の野草に至っては苦味を春の味として楽しんでる。

子供も美味しいだけでなく楽しいも知ってますよ。

車エビは少し小さいぐらいが美味しい、それをエビフライにして塩だけで食うのがエビフライとしては至上かもしれません。

だが子供はエビフライは牛エビでもよいから大きいのが好きで、さらにタルタルなどで食う。

エビフライの味というよりは大きさを楽しんでると思われます。

さらに子供が嫌いな物でアレルギーの元になる可能性ある食物なら一度検査した方が良いかも知れません。

自分自身なんですが子供の頃からエビや蟹が嫌いだった。

大人になって食べてみたらアレルギーなのが判明。

軽いアレルギーで外から見えないのですよね。

喉から胃が痒くなって吐き気がする程度。

ま、食に関しては興味ありすぎて止まらなくなりますので、何が大事か?

食うとは命をいただく事。

なればこそ人間である我々は美味しく、楽しく食べるべきだと思います。

野生にはできない知恵のある人間にしかできない本能欲求のひとつを楽しむのが本当の命を大事にすること。

人の知恵は本能や感情さえ凌駕するのですからね。

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