第6話 リーナ
新本社は、国王の命を受けてこの地を支配していた元領主邸をそのまま利用した。
元領主は、あっさり引き渡しを受け入れて本国に戻って行った。
国王ですら敵わなかった事実を既に聞かされていたのだろう。
領主はこの地域での、ある意味王と同義であり、領主邸も城と言っても差し支えのない建物だった
領主やその家族が住んでいたスペースは、社の幹部の執務室に宛がわれた。
そして、
これも
「入るぞ? リーナはいるか?」
リクシーナの誇る情報と機密の集積所に、何の遠慮もなくドアを開き、課長を呼ぶヴェルム。
それいつもの事だと分かるのは、
『相変わらず、随分無礼な入室だな。君は一度礼儀を教わった方がいいね』
くぐもった声が、奥から響いてくる。
「…………?」
声のする方には誰もいない。
ただ、隙間なく衝立に囲まれた区域があるので、おそらくその向こうに誰かがいるのだろう。
口調はともかく、その声は、若い女の子か、更に若い、いや幼い男の子の声にしか聞こえない。
「お前に礼など必要ない。客前では礼儀を重んじている。それでいいだろう。そんな些細なことより頼みがある」
『ボクと君の仲に礼儀がいらないというのは分からなくもないよ。ボクの方が後に入った後輩だからね。でも君は、人にものを頼む礼儀を知った方がいい。ボクの気を良くした方が君にとって有利なんじゃないかな?』
「言い間違えたな、これは次長としての命令だ。
話好きなリーナの会話に巻き込まれると、いつまで経っても話は進まない。
ヴェルムは会話を楽しみに来たわけではないのだ。
出来る限り最短の言葉で用件を片付けたい。
『君の次長昇進は来月の話だろう? だからまだ命令ではなくて依頼だろ? まあ業務依頼なら聞かないわけでもない。だけど、君も僕の要件を飲むことだね。君はメガネをかけたまえ。それならボクも調査をしてあげるよ』
「別に視力は悪くない。メガネをかける合理的な理由がない」
『いいや、君はメガネをかけることにより、鬼畜メガネという属性を得るんだ』
リーナの口調は掛け合いを愉しんでいるように思える。
そして、ヴェルムにはそのつもりはないし、それに付き合ってやる時間もない。
「いい加減にしろ。開けるぞ?」
『ちょ……待て! ボクはそれを……きゃっ!』
奥の衝立に囲まれた小さなスペース。
そこには、赤毛ショートボブの子供が座っていた。
「あ……あ……」
怯えるようにヴェルムを見上げる少女。
先ほどまでの雄弁さのかけらもなく、一言も話せない。
この少女が、
大き目のパープルの瞳に、小柄な身体、それに似合う黒いワンピースを着ているので、幼くは見えるが、これでもメイフィと同じ十五歳だ。
「
「あの……わ、私……」
先ほどまでの「ボク」も「私」に変わっている。
本当に同一人物なのか? と、メイフィは疑わしくなってくる。
「……一旦出るぞ?」
ため息とともに、ヴェルムは事務所の外に出る。
すると中からは、がたごとと、衝立を直す音が聞こえて来た。
『まったく、入って来るなと何度言えば分かるんだ君は!』
音がしなくなってから入ると、怒っているリーナの声。
やはり声は先ほどのあの女の子と同じだ。
「さっさと言え」
『そうはいかない。君が二度とこんなことをしたくならないよう、君のプライベートを徹底的にに調べ上げて口にしてやってもいいんだぞ?』
またわき道にそれる彼女。
さすがにヴェルムもイライラしてくる。
毎度変わらずこの調子なのだが、急いでいる今は、本当に面倒だ。
「さっさとしないと、お前の書いた小説を読み上げるぞ」
『ひっ! わ、分かったよ……まったく、君は本当に──』
「さっさとしろ」
ヴェルムが急かす。
『……
多少不機嫌そうに、リーナが答える。
この人見知りは、衝立に隠れてさえいれば、人との会話を楽しみたいタイプなのだ。
「ソンズル王国の西……じゃ、じゃあ、今すぐそこに行きましょ!」
「落ち着け。今はまずそこにはいないだろう」
今すぐにでも走って行きそうになっているメイフィを止めるヴェルム。
そもそも、彼女ははるか遠いソンズル王国まで走って行くつもりだったのだろうか?
「リーナ、お前はどこだと思う?」
『そうだね、これまでの移動ルートを考えると、エアンズ山の東側か、もしくはソイカリ王国の首都近くかな』
エアンズ山はソンズル王国の近くの山だが、非常に高い山で、越えるにしても迂回するにしても時間がかかる。
ソイカリ王国は列強国の一つで、特にかなり流通が盛んで裕福な国の一つだ。
それは、彼らにとっては絶好の狩場でもある。
確かに彼女の言うことには妥当性がある。
だが、それではまだ不十分だ。
彼女には与えられていない
「一昨日にわが社の返済日があり、それを踏み倒したという事実を考慮するとどうなる?」
『ふむ……そうなると、話が変わってくるね。
盗賊の親分というと、豪放磊落で、細かいことは気にしない、と思われがちだが、そんな盗賊団は小規模の盗賊団に限られる。
村一つレベルの集団を率いて組織的に動く盗賊団は、一見豪放磊落に見せて団員の心を掴み、だが、その実極めて細心で、まるで優秀な領主のような統制を行っていることが多い。
『しばらくは盗みなどせずに大人しくしているだろう。それに踏み倒しの期日前後には激しく動き回るだろうし、逃げ場のない半島には行かないだろう……ボクが親分なら……』
しばらく、考え込むように黙り込むリーナ。
「……え? あの……」
メイフィは衝立とヴェルムを何度も見ている。
焦れているのだろう。
『……暫くはどこかに潜伏する。どこがいい?……』
だが、ヴェルムは黙って待っていた。
思考に没頭しているリーナに声をかけることはない。
彼女は心理分析の一環で、その者になりきり、思考を深めていくのだ。
『……おい、親分の俺の言うことが聞けないのか? お前を俺の男にしてやるって言ってるんだよ……』
「おい、リーナ、脱線するな」
ただ、それは時に妄想になってしまうこともある。
彼女は男と男が恋愛する物語を好んでいる。
『……ここなら、追っ手が来ても逃げ回れるし、情報も手には入りやすい。よし、ここにするか……』
再びしん、となる。
『……考えられるのは、中央山脈北から二番目のゴキターオ山の西側かな? 小さな平野がある。ここはこの季節食べられる動植物が多いし水もある』
リーナが示したのは、山脈の麓だ。
小さな村が近くにあるが、街道からは程遠い。
何より、旧リクシーナ金融本社が山の反対側から程近い場所にある。
社の移転はまだ公式には発表されてはいないため、そちらにあると思うのか普通だ。
山の真裏というのは案外盲点であり、山脈であるため、迂回すればかなり遠く、小隊単位でも山から来ればすぐに発見され、逃げられる。
そんな位置としては近いが最も遠い場所を選ぶ、とリーナは判断したのだ。
「分かった。行くぞ?」
ヴェルムは、用は済んだとばかりに部屋を出ていく。
「あ……ありがとうございます!」
メイフィは、リーナに礼だけを告げて後に続いた。
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