楽園の記憶

何度目の航海だっただろうか――

その日も荒れる海だった。これぐらいは日常茶飯事、ましてや海賊にとっては必要不可欠な試練だと言える。

しかしその日は少し違った。私はそろそろここから身を引こうと、誰にも言わずに心の内で考えていた時だった。そんな調子でやっていたから罰が下ったのかもしれない。

初めて死を覚悟するぐらいの大嵐が我が船を襲った。気を失い目が覚めると、自分達はある島に流れ着いていた。生きていたことにも驚きだったのだが、その島はなんとも不思議なところだった。あまり広くはなさそうだ。他の船員の確認と共に、島の探検を始めた。

木々を抜けると、何もない平地に出た。石のような手触りで、全体的に白色だ。ところどころが薄いピンクや紫色に光っている。

その先に湖があった。エメラルドグリーンに透き通る水の中で、私は見つけてしまった。そこで遊ぶ彼女達を。貝殻を飾った長い髪、その下から見えるのは足ではなかった。輝く鱗のついた尾びれ。そう、ここは人魚が住む島だったのだ。

意を決して声をかけると、軽い悲鳴をあげて中に入っていってしまった。が、小さな声が聞こえてくる。

「今のって人間かしら?」

「どうすればいいの、今はマリッサもいないわよっ」

「でも悪い人じゃなさそう……?」

「カッコ良かったよね!」

「さっきの大嵐に巻き込まれた人達じゃないかしら」

人間の子と同じようにお喋りらしい。私は湖に近寄り、軽く水面を指で揺らした。扉を叩く代わりに。

湖の端っこの方で、ゆらりとヒレが揺れた。その場所に数名が、顔だけそっと水面から出す。ヒソヒソと何かを話している。

「すまない。君達の住処だとは知らなかったんだ。偶然流れ着いてしまった……しかし我々は助けられたよ。ありがとう」

一人の人魚がくすっと笑った。

「ここに来られなければ、自分達の命はなくなっていただろう。でもここは君達の場所だ。迷惑がかかるようなら、すぐに出て行く。……もしも許してくれるのであれば、船員の怪我と船の修理が終わるまで、もう少しだけいてもいいだろうか」

「……あなたって海賊なんでしょ? その割には随分ご丁寧ね」

ぴょこんと顔を上げた一人がこちらまで泳いできた。

「美しいレディーは丁重に扱うように教わったからね」

「キャア! ふふふっ」

クスクスと笑いながら、他の人魚も集まってくる。

「そうね。いいわよ。でもいくつかお願いがあるわ」

この場所を傷つけない等の決まりをいくつか上げられ、それを守ると固く誓った。

そうして人魚と過ごす日々が始まった。彼女達と我々はすぐに打ち解けた。島にいた日々は、随分楽しく過ごした気がする。それは彼女達も同じだったようで、人間と干渉するのも久しぶりなのだと言っていた。

それでもずっとここにはいられない。約束通り船は直った。ここ数日、空が荒れる様子もない。

帰る時、彼女達は一つずつ贈り物をくれた。私と一番仲の良かったルーンは、いつもつけていたネックレスを外した。

「ここに私の作った御守りが埋めてあるの。これが貴方を色々な厄災から守ってくれると思うわ。……ここでの暮らしのことや、私のことを記憶の中へ閉じこめておいて。きっと誰かに話しても、夢物語だと思われるだけだわ。私達のことは知られるべきではないの」

「分かった。強欲な人間は多い。人は寿命が短いからこそ、愚かな行動を取ってしまうのだ。私の中に留めておくよ」

「ありがとう。貴方になら安心して預けられるわ。ねぇ……私達の方こそお礼を言うわ、とても楽しかったから」

「これで最後になるなら、君に伝えたいことがある」

生まれて初めて心からの愛を囁き、我々は島を後にした。

帰り道は何も起こらず、ただ穏やかな時間が流れていった。少しずつ記憶は曖昧になっていき……家に帰ると見覚えのない美しいネックレスが服の中に入っていた。頭の奥で僅かに霞む暖かい記憶。これは人目のつかないところにしまっておこう。

私はこの世界から足を洗い、結婚をして子供も授かった。人生の灯火が消えるまで、実に良き日々を送れた。

身の回りの整理をしようとした際、戸棚の奥に厳重に鍵がつけられた箱があった。なんだろうと開けると、綺麗なネックレスが入っていた。それに触れた瞬間。

「これは……!」

そのとき全ての記憶が蘇った。鮮明に楽しかった日々が頭の中を駆け巡る。

ああ……私はこんな楽園で過ごしていたのだ。君を、まだ愛しているのかもしれない……。

もう辿り着けない幻の場所に思いを馳せて、私はこの世から去った。



眩しい太陽に目を細める。椰子の木とハイビスカス。白いベンチに寝転がって、パラソルの下でトロピカルソーダを飲みながら、楽園を見つめる。

「ふぅー……極楽だなぁ」

「溶けちゃいそうになるわ……」

「ちょうどいい感じの暑さですね。皮膚も痛くないから、日焼けもしなさそうです」

「美白主義者にとっては最高の場所ね。日差しを親の仇のように思ってたあの日々にオサラバよ」

シャーベットを手に取って、海を眺める。

「さっきのとこも良かったけど、こっちもいい感じだな。な、ルリカ」

返事がなかったので起き上がってみると、ルリカはじっとどこかを見ていた。

「どうした?」

少し先の方に、砂でお城を作っている人達がいた。笑い声がこちらまで届いて楽しそうだ。

「あれ作りたいのか?」

こくこくと首を動かすルリカを見て、りょうさんも起き上がる。

「でもお洋服汚れちゃうわよ」

「あー確かに」

俺とりょうさんは入り口で配っていた、アロハシャツのようなものに着替えたから汚れても問題はないけど、ルリカは白のワンピースだ。

「せっかくだから水着になっちゃう? 残ってるのは海とプールだし」

「えっ……」

「タケルちゃんお待ちかねの、ね」

「だ、だから……そんなことは」

口ではそう言いつつも、ちらちらと横を通り過ぎる水着の女性達をつい目で追ってしまう。

「あそこにあるのかしら」

木できたロッジみたいなのを指差した。中には外から繋がるバーカウンターやシャワー室、泊まれる個室も二階にはあるみたいだ。

お酒を貰っている若者の中に彼らもいた。

「ほら、これでいいのか」

「ありがと、ゆーやん。わぁーその服もめちゃんこ可愛い」

「どうも、またお会いしましたね」

「皆もそこで水着借りたの?」

「そーそーいっぱいあったよー」

「じゃあ、あたし達も見に行きましょうか」

「あー待って待って! うちらも行こう雪ちゃん」

「えっ、あ……はい!」

ルリカを二人に任せることにして別れる。そういえばりょうさんはどんなのを着るんだろう……い、色んな意味で。そんなことを考えつつ、無難なハーフ丈のを手に取った。

「これでいいかな……」

「タケルちゃん決まった?」

試着室を出ると、既に上にパーカーを羽織って立っていた。

「似合いますね……」

「なんで残念そうなのよ。ふふ、でもタケルちゃんいいわー。無垢な少年って感じ、で」

ニヤリと笑って背中を突いた。

「や、やめてくださいって」

「なーに焦ってんのよ。それにしても筋肉ないわねぇ」

「ほっといてくださいよ……」

「ははは。まぁそっちの方が可愛いがられそうだし、いいんじゃない?」

だからそんなことは考えてない……ってば!

「さーてと、ルリカちゃんを迎えにいきましょうか」

少しドキドキする胸を押さえつつ、女子更衣室まで向かう。男物でさえ種類が豊富にあったから、女性物はもっと多いんだろう。こ、これは期待とかじゃなくて……便利だなぁっていう感想だ。

「ルリカちゃーん着替えられたかしら?」

はぁーいと返事する声が聞こえて、扉が開いた。

カエラさんは赤色のパレオ、雪さんは白いビキニ……。ルリカは水色のワンピースタイプを着ていた

「めっちゃ可愛いのあったよねぇ。もう何着ても似合うから時間かかっちゃったしぃー」

「はい、ルリカちゃんとっても可愛いです」

「うん本当によく似合ってるわね。ほらタケルちゃんも照れて、何も言えなくなっちゃうくらいよ」

「いや! 照れてるとかじゃなくて、違い……あ、えっと違くはなくて……っ、その」

「ははっ、かわいー」

目のやり場に困りながら、早足で高村さん達のところに戻る。女子軍(りょうさんも)は砂浜で、俺達は海に入ることにした。

ボードの上で浮かびながら周りを眺める。今は即席合コンみたいな奴らしかいないけど、客が入ればファミリーに人気の健全なビーチになるだろうか。

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