……柔らかい。ふわふわして、手触りが滑らかで……ああ、いいなぁこんなベッド家にも欲しいなぁ。あの眩しいのは……シャンデリアかぁ……綺麗だなぁ……。

「って、どこだよここ!」

勢いよく起き上がって、部屋の中を見回した。ベッドの下には俺の持ってきた鞄とクツが置いてある。中身を確認すると、チケットも手紙も取られていなかった。

じわじわと記憶が蘇ってくる。高そうな車に乗せられて、あいつと話してたらいきなり凄い眠くなって……まさか! あの飲み物の中に薬とか? う、うわぁ……睡眠薬を混ぜるなんて、そんな話本当にあるんだ。って、やっぱり怪しかったんじゃないか! 生きてたからいいものの、これが毒であった可能性だってなかったわけじゃない。

「信用しちゃいけないな、とりあえずここから出ないと」

クツを履いて立ち上がる。部屋の中は見たところ、危険がありそうな雰囲気はない。ぱっと見は高そうな良いホテルだ。ベージュに近い壁には、シックな赤い模様が描かれている。家具はベッドとソファー、テーブルと鏡台、柱時計ぐらいだ。あまり広くはない。どこか閉塞感があると思ったら、窓がないんだ。地下なのかもしれない。

金持ちは何考えてるか分からない。もう誰も信用しないぞ。俺がこれから変態達の人間オークションにかけられる可能性だってあるんだ。需要があるか知らないけど。

唯一のドアは廊下に繋がっているだろうか。耳を澄まして慎重に開けようと、手をかける。

「わぁっ!」

随分軽いドアだと思ったら、反対側から開けられていただけだった。バランスを崩して廊下側に倒れそうになる。そこにいた男も驚いた表情を浮かべた後、またあの笑みに戻った。

「おはようございます」

「そこ……どいてください」

「どうかされましたか?」

「どうかされましたかじゃない! お前あの飲み物に変なもの混ぜただろ! おれをどうするつもりだったんだ!」

「まぁまぁ、落ち着いてくださいよ。今お茶を淹れてきましたから」

確かに男のすぐ側には銀色の台があって、その上にはティーカップやお菓子のようなものも乗っていた。

「分かってますよ。聞きたいことが沢山お有りでしょう。今の状況ちゃんとお話しますから、座ってください」

そう言いくるめられて、なんだか反抗できない空気になってしまった。あまりにも態度が変わっていなかったからかもしれない。良くも悪くも男はさっきのままだ。今から変貌するのかもしれないけど、危害を与えられそうな雰囲気は感じない。

思い出してそっと背中に手を回した。仕込んでおいたナイフがない! 服の中を探っていると、それは目の前に現れた。

「探し物はこれですか。全くこんな物騒なものを持ってくるなんて……そちらこそ何をしようと?」

「返せっ!」

「ほら、だから落ち着きなさいって」

肩をとんと押されると、体がクルッと回転する。そのままいつの間にか、ソファーに座らされていた。

「暖かいものを飲めば落ち着くでしょう。紅茶には沈静効果もあるそうで。あ、こちらお嬢様お気に入りのお菓子なんです。良かったらどうぞ」

一つ一つ包まれたチョコレートと、クッキーが並べられた。

「ミルクティーにしてみました。こちらのお菓子と合うようにブレンドされているんですよ」

こんなところで出されたものを飲む気も、食べる気もしない。でも漂ってくる香りや、湯気の立つ暖かいミルクティーは魅力的だった。

「あ、先ほどのことを気になされてるのですか? なら私が飲んでみましょうかハハハ……どうしてもと言うなら毒味しますが、生憎カップが一つしかないんでね。さっきも言いましたけど、貴方にお話しがあるんですから眠らせたりなんかしませんよ」

一度言葉を区切ると、小さく息を吐いた。

「……すみません。怖い思いをさせてしまいましたね」

急に優しいトーンの言葉が降ってくる。少しの沈黙の後、不思議と手はティーカップに伸びていた。

「……あったかい」

喉を伝って、熱と柔らかい風味が体を駆け巡る。

「お味は……おや」

こちらに近づくと、そっと頰を拭った。手袋の感触が伝わってくる。

「あれ……俺」

「貴方を騙すような真似をして、本当にすみませんでした」

ハンカチを受け取ると、堪えていた気持ちが溢れた。自分でも分からない内に、気を張っていたのかもしれない。

本当は怖かった。帰ってこない皆が、そしてその一人に自分がなるのかもしれないということが……帰れなくなって、帰る場所もなくなっていて、自分の日常がどんどん壊れて、その内自分も無くなるんじゃないかって……。

落ち着いてきた頃に、口の中に甘い味が広がった。……チョコレート? 隣を見ると、小さな包み紙を指先で広げた。

「あ、その、すいませんでした……」

元はこいつらのせいでもあるけど、恥ずかしいところを見せてしまった。誤魔化すようにカップに口をつける。

「いえ、お気になさらず。何度も言うようですけど、私のような者に気を使う必要は全くないんですよ」

冷めていたからか新しく紅茶を入れ直すと、隣に座った。いつの間にか包み紙は花のように折り畳まれていた。

「さてと、では何からお話しましょうか……そうですねぇ。なぜ眠らせたのかと言いますと、疲れたままでは楽しめないからです」

冗談としか思えない返答だが、からかっている様子はない。

「……はぁ?」

思わず呆れたように返すと、少し含みのある笑みを浮かべた。

「あれ、本当ですよ。これから遊園地だっていうのに疲れていては楽しめないでしょう? あの場所からだとかなり距離がありますし、眠って頂いた方が楽かと……緊張なされてたようですし」

「あんな車に乗せられて、本物かどうかも分からない人達の中で緊張しないほうがおかしいですよ」

「え、車ですか? あれでも随分配慮したんですよ。あんなちっちゃい車、久しぶりに乗りましたよ。あとは私が本物っぽくなかったと……何がいけなかったのでしょうか。そんなに信用できませんか……」

「あの……」

「ああ、失礼。後は、そうだ。これは私からお聞きしたいのですが何故こんなものを」

ナイフを奪い返そうとしたらするりとかわされた。

「身を守る為です。他には何も取ってないんですね?」

「そんなに怖い顔しないでくださいよ。これ以外は何も……身を守る為とは?」

「この遊園地は色々な噂があるだろ。実際俺も見たし……それに先に行った友達が帰ってこないんだよ。アイツらをどこにやったんだ!」

「あ、なるほどそういう事か……はははっ」

「何がおかしいんだよ」

「皆さんにいちいち説明するのは面倒ですからねぇー……実際に体験して頂くのが手っ取り早いですし。まぁ貴方も後ですぐ分かるでしょうから、今言えるのは、我々は何もしていないということですかね。まぁきっかけは与えたのかもしれませんが」

「きっかけって?」

「夢へようこそとかいうやつですよ」

「……どういうことだ?」

「貴方ならだいたい予想できると思うんですけどねぇ……。もう一杯お飲みになります?」

また違う香りのする紅茶を注いだ。

「……で、あんた達は何が目的なんだ? 何がしたい」

「私達は主の笑顔が見れたら満足なのです。と言っても実は私もあの人の考えてることはよく分からなくて……貴方をどうしたいのかは知らないんですよ」

「その人が俺を呼んだんだろ。そいつには会えないのか?」

「はい、ここでマスターから伝言ですよ」

口に指を立て、パチリとウインクをキメた。妙に似合っているのでイラっとすらこなかった自分に腹が立つ。

「マスターは、貴方には先に遊園地を見て頂きたいそうです。それで最後に自分の元へ来て欲しいと。よく分からないですが、まぁあの人なりの意味はあるんでしょう」

「マスターってあの、セレモニーのとき赤いドレス着てた人……」

突然柱時計から音が鳴った。鐘の音が会話に重なり、語尾がかき消されてしまった。

「おやまぁ時間になってしまったみたいですねぇ。名残惜しいですがそろそろ失礼しなければなりません。まぁまたすぐ会えますから、ご安心を」

立ち上がると、突然足元から煙が現れ男を包んでいった。笑顔で手を振る男の顔まで煙で隠れると、ぱんっと破裂音がして、思わず目を閉じた。おそるおそる開くと、そこには誰の姿もなかった。

「ど、どうなってるんだ」

右手を動かすと何かにぶつかった。

「メモ?」

『今のはマジックなような物だと思ってください。なんて、いきなり消えて申し訳ありません。ひとまずこれは返しておきます。貴方がこれで安心できるならね。私は少し用事があって一旦抜けますが、ちゃんと見守っていますよ。何かありましたら大声で呼んでくださいね。貴方の為ならいつでもかけつけます。今から来るロボットに全て任せればオッケーです。ではではご健闘をお祈りします』

結局肝心なことは教えてくれないようだ。隣にナイフは置いてあったけど、今更こんなものが使えるとは思えない。

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