自分にこそ価値がある

『ゆとりはダメだ』


などと言う人間がいる。だがそれは、典型的な、


『他人が悪い。世間が悪い。社会が悪い』


と、上手くいかない原因を自分以外の何かに押し付ける考え方そのものではないだろうか?


アオの兄は現在、三十代半ば。なので、俗に<ゆとり第二世代>などと言われる層になるだろう。しかし世間では、二十代半ば以降の世代を<ゆとり世代>と称していることが多いようだ。小学校や中学校に通っている頃に完全週休二日となり、カリキュラムが量的に激減し、円周率を<3.14>から<3>と見做すといった形の見直しが行われた教育を受けてきたのが真の<ゆとり世代>だとする考え方である。


故にアオの兄は、自身を<ゆとり世代>だとは捉えず、自分より下の世代について<ゆとり>だと嘲っているのである。


だが、そんなことはそれまで以前にも行われてきた<悪習>ではないだろうか。


かつて<新人類>と呼ばれた世代がいて、彼らはその上の世代から、


『仕事ができない。覇気がない。やる気がない』


と評されて見下されてきたはずである。それと同じことを繰り返しているだけに過ぎないのではないのか?


その一方で、<団塊世代>や<団塊ジュニア世代>を<老害>と称し蔑む者達もいる。


要するに、そのどちらも、


『自分だけが正しくて、間違っているのは常に自分以外の他人、世の中、社会である』


と考えているだけなのではないのか?


自分の思い通りにならないのを自分以外の誰か何かの所為にして、相対的に、


『自分にこそ価値がある』


と自らを持ち上げているだけではないのか?


何をどう文句をつけようとも今の社会の基盤を作ってきてくれたのは団塊世代であり、責任ある立場にいるのは団塊ジュニア世代であり、そしていずれは<ゆとり世代>が責任ある立場に就いていくことは避けようのない現実なのだ。


なら、<ゆとり世代>がどんな者達であろうとも今後責任のある立場に据えて仕事ができるように育てていくのが先達としての役目ではないのか?


『自分とは違う価値観を持っていて理解できない。理解できないから使えない』


などと甘えたことを言っている先輩達の姿を、<ゆとり世代>は見ているのではないか? そしてそういう先輩達の姿を見倣って、さらに自分達より下の世代を『使えない』などと言うようになるのではないのか?


自分に配られたカードに文句をつけるばかりで、それをどう活かすか、どうすれば活かせるかを考えようとしない者を見倣った後の世代がどうなるか、考えもしないのか?


それでよく偉そうにできるものだ。と、アオは考えていたのだった。


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