幸せは自分で
豆腐を一丁平らげて一息ついたアオは、再び仕事部屋でパソコンに向かった。今度は仕事としての原稿をしたためるためだ。
新作の発表はまだ当分先だが、いくつも没になるので、とにかくどんどん書き上げていく。
そのため、凝ったギミックが満載といった感じの話にはならない。基本的には自身の中に生まれたキャラクターが勝手に話を進めてくれるという形が多いだろう。
だから、ハマれば多くの読者にもウケるのだが、上手くハマらなければただ空回りしている状態になる。
それも、蒼井霧雨という作家の特徴だった。
『そうは言っても何がウケるかなんて、わっかんないからな~……』
アオにとっては何が面白いのかさっぱり分からないマンガやアニメが評価されるのを見る度、気にするだけ無駄だと思わされる。
それを気にしてると、
『自分の作品が売れないのは、読者がバカだからだ!』
とか自分が言い出しかねないのも分かっていた。
しかし、他人の所為にしていて問題が解決することはまずない。
『読者がバカだからだ!』
とか言うのは、
『自分が不幸なのは社会の所為だ!』
などと言って事件を起こす犯罪者の理屈と同じだとアオは思っている。
また、自分がこういう人間に育った原因は両親にあるのだとしても、だからと言ってそれをただ両親の所為にしてゴネているのは嫌だった。
『子供は親を選べない』
その現実がある以上、与えられた条件の中で最適解を見付け出すのは、結局、自分自身にしかできないことのはずだ。
アオにはそれが分かっていた。
だから自分が報われないと思っていても、それを理由に誰かに八つ当たりしようとも思わない。
さくらに対して本音をぶつけられるのは、自らも彼女の本音を受け止めようと思える相手だからというのがある。決して一方的に罵りたいわけではないのだ。
そういう意味でも、さくらが自分の担当になってくれたことは彼女にとって何にも代えがたい幸運だった。
こうやって自分にとっての幸運が巡ってくることもあるのだから、
『自分ばかりが不幸なわけじゃない』
ことも分かる。
故に自らの手で幸せを掴むこともできる。自分の不幸を他人の所為にしているばかりの人間にはできないことだろう。
ただし、それでもものには限度ということもあるので、明らかに他人に虐げられている人に対して、
『幸せは自分で掴むものだ』
などとは言わない。
自分が今、幸せでいられるのは、明らかに虐げてくる者がいないからだというのも分かっている。
その上で、状況的に平穏であるにも関わらず『自分は不幸だ』『自分は報われない』と考えている事例については、
『幸せは自分で掴むものだ』
と言えるのだろう。
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