曖昧模糊
しかし、もし、このストーカー女性の祖父母が彼女の言いなりになって来ただけだったことが問題の原因であったとしても、だからといって祖父母をただ責めれば自体が解決するかとなれば、それもきっと違うのだろう。
なにしろ祖父母がそのような接し方しかできなかったのは、<祖父母の親>が、具体的にどのように対処すればいいのかを教えてくれていなかったことが原因なのだろうから。
ただただ、
『他人に迷惑を掛けるな』
『善行を心掛けろ』
と、実に抽象的で曖昧なことしか言ってこなかったが故に、
『他人に迷惑さえかけなければいい』
『自分が善行だと思うことをただすればいい』
と思い込んできたのだから。
なにが、
『他人に迷惑を掛けないことになるのか?』
教わらなかったし、そもそも、
『他人に一切迷惑を掛けることなく生きることなど本当に可能なのか?』
という大前提からして何も教わってこなかったのである。
また、
『善行とは何か?』
『何をもって善行と言えるのか?』
についても曖昧なままだった。
『その程度のことは常識で考えたら分かる』
とはよく言われることだが、では、
『<常識>とはなんなのか?』
と問われて明確に答えられる者が果たしてどれだけいるのだろうか?
『大人になれば結婚し子供を生むのが常識』
かつてはそう言われてきた筈だが、今ではその常識はもはや通じなくなりつつある。
さらには、<努力>や<根性>がただもてはやされ、それさえあればどんな問題でも解決すると信じられた時代は、スポーツなどでの<科学トレーニング>と<基礎的な身体能力>の前に敗れ去って遠い過去となった。
なにしろ、
『科学的医学的に筋の通ったトレーニングを基に努力する』
ようになったことで、多数のアスリートが世界を相手に互角の勝負をできるようになったのだから。
あくまで、
『具体的に効果のある努力をし、かつその努力を続けられるメンタリティを養う』
ことにより、才能を効果的に伸ばすことができるようになったと言えるのだろう。
かように、<常識>と言われるもの自体が実に曖昧で、主体性に乏しく、所詮は、
『なんとなくそうかな』
というぼんやりとした概念に過ぎないのだ。
そんなものを基に考えて何が分かるというのだろうか。
そういう曖昧で具体性に欠けることを頼りに生きてきたが故に、問題を突き付けられても具体的に対処できなかったのは、むしろ当然なのかもしれない。
これで<親としての責任>を問う方が無理がある。なにしろそれを問おうとすれば、代々の親にそれぞれ責任を問う必要が出てくるのだから。
だからミハエルもアオも、そういう意味での責任を問うつもりはなかった。
それを問うたところで、
「じゃあどうすればよかったの?」
と泣かれるのが目に見えていたからである。
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