ナイフ

少年の<殺気>は、本物だった。本気の殺気などというものとは無縁の世界で育ってきた筈の彼女にもそれが本気だと分かってしまうほどに、硬く、強く、鋭く、力感に溢れているのが察せられてしまった。


そして、月城さくらはようやく、自分が本当に命の危機に晒されているのだと悟った。


その瞬間、ふわりとした臭いが辺りに漂う。


「ちっ! 漏らしたのか……!」


さくらの首筋に、背後から体を目一杯伸ばして冷たく光るものを押し当てていた少年が、忌々し気に吐き捨てる。


それを証明するかのように、さくらのビジネススーツのスカートにみるみる染みが広がり、ストッキングを履いた足を液体が伝わるのが分かった。


「面倒臭い奴だ……! だがこれで思い知っただろう? オレは本気だ。殺されたくなければさっさと案内しろ……!」


スッと数歩後ろに下がった少年がそう言うと、さくらはその場にヘナヘナと座り込んでしまった。


それと同時に、ガタガタと体が震えだす。


「……あ…、ひ……」


恐怖のあまり声も出ないらしい。


「おい……!」


と少年が声を掛けても、


「ひっ……!」


と息を詰まらせてビクっと体を震わせるだけだ。


すると少年は、頭をぼりぼりと掻きつつ、


「ちっ…、やり過ぎた…」


などと呟いた。そして彼が、


「バンパイアハンター、エンディミオンの名をもって命ずる! 立て! そしてついてこい!」


決して大きくはないが不可解な強さを感じさせる言葉を発すると、それまで完全に腰を抜かしていたさくらが突然、何事もなかったかのように立ち上がり、彼の方へと歩き出した。


しかしその目には、意志の力は感じられない。まるでよくできた人形のように、彼女の前を歩く少年の後ろをただついていくだけだ。


それから、少年は彼女に問い質す。


「この辺りにホテルはあるか? お前の家が近ければそっちでもいいが」


「……ビジネスホテルがあります……」


やはり機械のように意思を感じさせない声でさくらが答えると、少年は改めて命じた。


「じゃあ、そこに行け。シャワーを浴びろ。臭くて敵わん」


そう言った少年が自らの顔の前に、右手に握ったものをひらひらとかざす。街灯の明かりで僅かに鈍く光るそれは、刃物とかではなかった。おそらくアルミニウム製の<定規>と思われる、細長くて四角く薄い金属の板だった。首筋に押し当てられたそれを、さくらは刃物だと錯覚してしまったのだろう。


「護身用のナイフすら持ち歩けないとか、まったく平和ボケした国だな……!」


誰に聞かせるというでもなく、忌々し気にそう呟いた少年は、自我をなくしたさくらを伴って、ビジネスホテルへと入っていったのだった。


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