第17話 嘘と懺悔

 静恵しずえから渡された紙袋には『お梅へ』と書かれていた。静恵しずえは不思議そうに「お梅さんがこちらにいらしていることをどうやって知ったのでしょう」と紙袋の差出人の名を探ろうとしていた。


「お梅さんの知り合いですかね?」

「多分兄からだと思います。」

「あぁ、お兄様からですか。」

「手紙を出す時よく差出人の名前を書かない悪い癖が彼にはありまして。」

「そういうことでしたか。でも、どうやってここの場所を知っているのでしょうか?」

「さぁ、そこまでは。」


  明らかに鬼神族長男、加虐の鬼神の巫廻麗刄ふみつばの字であった。それも、嬉しそうな感情は筆の文字から感じられない。小鬼の時から兄様には会っていないからこそ、少々私は身構えをしてしまう。


月水兎げすうと半鬼はんきの娘、お梅の死を書いているのか。

それとも力を持った人間の事を書いてあるのだろうか。


いや、力を持った人間のことは書かないだろうな。それは鬼からした目線では確実である。私も、恐れが足りないのだろう。力を持つ人間は、鬼を退ける力を持つ。それだけならば価値は安い、けれど『力』の加減により、我々鬼は全否定をされることだとてある。


 鬼の死に方は簡単に言えば三つある:


 一、 共食い、または友潰し。

 一、 ヒトとなる。

 一、 力を持つ人間に業を潰され、否定されること。


 人間からして力を持つ人間は強きものだ。そして、一匹の鬼の血筋も引いている。

その鬼は自分を自分で否定をし、自己否定を繰り返すことによって『鬼』という全てを否定した。その鬼には鬼名きめいはなく、自分を否定し続けたことにより与えられた二つ名は『無名』。自分は存在しない、自分はいない存在、自分は鬼なのではない。そういう意味を込め、『無名』の存在となった。


彼に鬼名をつけるとしたら、それは『力の鬼』なのだろう。


自分を否定し続けることで、他の鬼も自分と重ねてしまう。だからこそ、否定をした。否定したのちに彼は、何一つ自分で決めることさえできない意思を持った「譲り」という愚かな生き物とは違う『人間』側についた。もう一種の鬼の彼ら人間に「否定をする力」を与えた。

自己否定の塊の鬼は、鬼と人間とヒトとは違う新しい『人間』を作り上げた。それが、力を持つ人間、すなわち、否定する力を持つ人間。


 鬼の業は、鬼にとっての命だ。業を否定されてしまったら、鬼は生きるすべもない。選択肢を自分で判断できる唯一の人間は、力を持つ人間だからである。だからこそ、鬼は否定をする人間を恐れる。賭けもせず、ただ殺しにかかる。


 力を持つ人間は、判断できない鬼に無理やり判断を下させる。なぜなら鬼は生まれたその瞬間から何一つ自分で決めることは出来ない。呼吸をすることも、傷を瞬時に直すのも、体の筋肉を動かせるのも、鬼の脳には何も動いていない。ただただ、業に従い生きて、人間と賭けをする。力を持つ人間は、そんな鬼に「殺す」という判断を下させる。


「手紙を開けないんです?」と、静恵しずえが不思議そうに私の顔色を伺う。

「あぁ、今開けようと思っていたところです。」背中に冷え汗が滴ったことを感じて、私は文の筒を開ける。


何を書いてあるのだろう。


 少し時化た手紙を広げて読み始めた。





『  我が妹へ



我が隙間の中に手紙が入っていたことを気付くには、時間がかかった。

遅れてしまった返事を許してほしい。


単刀直入に書こう、月水兎げすうと半鬼はんきの娘、お梅の死亡は樹珠、お前のせいではない。あの半鬼は前から死んでいたし、半鬼はんきが17という年月の上の年を生き抜くこともまずあり得ない。半鬼はんきの寿命は精々九つまでだからだ。月水兎げすうとはずいぶん前からお梅の死は確認していた…というよりも、視認していた。

お梅の死因は他殺である。


 少し話がずれるが、樹珠じゅじゅが人界の方へ行っていた時お前の影との問題で起こった大量虐殺でなくなった村がある。我々鬼神とて恐ろしいと思わせるほど、その村は鬼に強いとされていた。だからこそ赤い鬼が起こした大量虐殺でその憎ただしい村が潰れたと聞いた時は、安心と恐怖が同時に背中をなぞった。


樹珠じゅじゅ、なぜ我がその村に怯えるのか、わかるか?


理由は、その村で暮らした人間たちは全員否定の力を持つ人間たちで成り立っていたからだ。その村に生まれ育った者たちはなぜかただ移り住んできた住人たちよりも力が強く、あそこへ行った鬼は帰ってきた形跡がない。鬼を否定し、殺してきた者達である。彼らの信念に潰された鬼はたくさんいた、前にも星が落ちることはどこかの鬼が自分が背負っている業を否定され、死んだということを教えことがあったな。

真っ白な夜空と今の星の数を比べてみなさい、視認できた数が鬼の生き残りだ。


月水兎げすうとの娘も、その集団の標的にされ、否定をされた。当時のお梅の年はたったの四つだったそうだ。

だから樹珠じゅじゅ、今僕は驚いているのだよ。父の部下でもあり親友でもある月水兎げすうとの娘が、お前と13年間も月鬼村げっきむらで共に暮らしていたことを。そいつは本当にお梅だったのか?月水兎げすうとがこの話を聞いた時、口を開けっ放しにして涙をこぼしていた。自分の娘が生きていたなんて信じられないのだろう。お梅は月水兎げすうとが庇えずに否定をされてしまった、月水兎げすうとの目の前でお梅は亡くなったからな。


月鬼村げっきむらの山賊について、初めて耳にした。お前がそれについて聞いてくることも予想外だった。面白いことに、月水兎げすうと彼自身も彼を祀っている山賊がいたことなど知らなかったそうだ。だけれど、父上からは良い情報が入った。その山賊はきっと一千年ほど前月水兎げすうとが率いていた妖の群なのだと。父上も昔月水兎げすうとを通して少し荒っぽい性格の持ち主の妖と連んでいたらしい。父上も月水兎げすうと月水兎げすうとの腹違いの双子の弟の夜武兎やぶとも昔は下鬼の者だ、似たような境遇を持つ鬼とつるむこともあり得ないことはない。

その当時の父上、月水兎げすうと夜武兎やぶとは異界の暴君のような存在だったからな。知らず知らず、巨大な鬼の業を讃える妖が群になって人間たちに悪影響を及ぼしているのだろう。この件については鬼の衆に声をかけ、解決に急ぐ。


 どこをどうしても、我々と人間たちはいかなる接触も断ち切らなければいけない。僕が君に持ちかけたような『人間との生存』も、いつかは終わる、終わらせないといけない。君が人界へ行ってしまった後にこんな話をするのも、申し訳ないと思っている。主様ぬしさまと出会い、樹珠じゅじゅの世界観が変わったのも、僕は否定しない。元々お前の望みを否定する度胸を持ち合わせる程、兄として僕はできていない。

だけれど、樹珠じゅじゅ、もしお前が出会った力のある人間がお前を否定したら、僕は其奴を殺す。どれだけお前がその人間に情があろうとも、僕は殺す。


  ゆっくり死んでいくように、阿鼻地獄がどれだけ天国のような場所なのかを教えてやろう。


樹珠樹珠、もし君が人間に情を湧くようなことがあれば、すぐにこちらへと戻ってこい。

君も前のような小鬼ではなく、ちゃんとした鬼神という位へ立っていることを僕は知っている。だから、僕も君を子ども扱いはしないし、同じ鬼神同士だから容赦もしない。


 人間と何かしらの関係を結んでしまったら、家に戻れ。これは君の兄として忠告をしているのではない、鬼神族次期当主、黒鬼、巫廻麗刄ふみつばとして命令を下している。


 それ以外ならなんでもいい、僕はただ、もうこれ以上家族を失いたくないだけ。

 愛しいと思う者たちが僕の前から消えないように、殺気を出しているだけ。

 誰も僕みたいに真っ赤な血を黒くなるまで汚したくない、流れる涙を止められなくなってしまう者を、見たくないだけ。


どうか体を無事に。

 心も大切に。


欲の鬼神、梅木樹珠うめきじゅじゅの兄より。』



 自分が求めていた答えをもたった感覚を得た瞬間、兄様あにさまへの心配が安心感を横切っていた。兄様あにさまの手紙をまだ異界に住んでいた頃見たことがあるからわかる手紙の雰囲気、つらつらと世間話を文字で繰り広げていたあの頃。今読んだ文とは全く違った。特に最後の部分は心に闇を感じた、靄?いや、沼。私が一度体験した狂気の沼、あれに近い感覚が心情をよぎった。


  ため息をゆっくりと空気へと返す。


「大丈夫ですか?」と静恵しずえが心配そうに問いかける。

「…」子どもたちはわたしを見つめている。


私はまた、手紙へ視線を返す、私がいない間、兄様あにさまに何があったのだろう。




           『大丈夫だから』




 少し前に狂気の文字の羅列が焼きつかれた手紙には、その六文字しか書いておらず、私の心を荒らした。大丈夫だから、手紙には、それしか書いていなかった。大丈夫のかけらも感じられない、闇の沼が兄様を覆い尽くしているのがわかる。


 私は大きくため息をつき、手紙を閉じた。


「大丈夫らしいです、あっちは。」偽物の笑顔を振り撒いて心に真っ黒な水を掛ける。

「そうですか、よかったです。お梅さん、手紙を読んでいる時すごく疲れた顔をしていたから、私心配で…」

「私も大丈夫です。」それしか言えない、人間に情が写らないようにするためには、自分から心に刃物を振り落とさなければならない。


私は立ち上がった、長居をしてはいけないと。


「どうしたのですか?」


「いや、三日もお世話になったので、私もそろそろ旅路へ戻らなければ。」


「とんでもない、傷も治療したばかりなのにすぐになんて…」

「そうです、お梅さん。また旅路へ戻ったら傷口が開く可能性がないわけじゃない。ちゃんと完治してからの方が。」静恵しずえの旦那も私を止める。


腹の傷は、もともと私のではないから痛みなぞ感じない。

気触れた手足の皮膚も、痒くも気にも触れない。

たとえお梅の心臓が刀で突き刺さろうとも、私は死んだりしない。


 また、私は嘘をつく、演じて、こちらへ来てくださいと村の中央へと足を運ぶ。


「どうしたんですか?」

「もう行ってしまうの?お梅さん、残念。」

「次はどこへ行くの?途中まで馬で送れますよ?傷は完治していないと静恵さんからきいたもんだから…」


少し段差のある地面、木箱の上に私は両足を置いて立ち上がる。

人間の私がつく些細な嘘。鬼の私がつく大きな後悔、憎悪、嫌悪。

人間体化、人界へ来た証に鬼の体が作り変えて行き、最後には人間たちと馴染めるために自分を偽装する。


「私は鬼だ、村だって潰したことがある。退治屋だって数々退けてきた、人間だってただの食材。高貴なる鬼の私は、ここが嫌いだ。だから私はここを立ち去る。止めようとするならば、貴様ら全員殺して狼の餌にでもしてやろう。」


人間と共存をするために必要な些細な嘘。

人間から断ち切るために必要な大きな嚇し。


物理的には何度もやってきたことだ、でも今回は胸が痛む。


 たくさんの人間たちの眼の前で、私は懺悔をした。人間たちは全員口を大きく開けたままで、私はそれを直視できなかった。静恵しずえもその旦那も、耳を疑うそぶりをした。その日私は自分の傷を皆に見せた、心をの傷を、直せない生まれつきの傷を、亡霊の傷を。

彼らの眼の前で私は涙をこらえて、演じて、その場から立ち去った。


それでも心が少し軽く感じられたのは、夕焼け色の頰を持つあの二人の人の子が笑顔で頷いたから。


朝秋村あさあきむらの綺麗な夕焼けは眩しくて、直視できなかった。太陽の光が明るすぎて、眼が焼けた感覚がした。




   この涙は、それが原因である。

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