第12話 疑念の種
それから暫くの間、僕たちは黙って足を進めた。相変わらず彼は僕の後ろを庇うように――ともすれば、その大きな体で僕のことを隠すように――して僕の背後を歩いてくれる。たったそれだけでも、僕にとってはとても心強かった。
道中は特に異変などはなく、そのまま穏やかに院長たちと別れた突き当りの道まで辿り着いたところで、彼が足を止める。
「じゃあ、俺はこの辺で。まだ何があるか分かんないから、気を付けろよ」
言って、昼間に僕たちが居た酒場の方に歩いていく。その背中を見て、ハッと言わなければいけないことを思い出す。
「あ、あの! ロウカさんって方を知ってますか?」
「は?」
彼が驚いたように振り向いたことで、ここに来てようやく顔を見られる――と思ったのだが、結局は逆光であまりハッキリは分からなかった。ただ、とても男前な顔立ちをしていることだけはなんとなく分かった。そして、その精悍な顔が驚きによってほんの少しだけ歪んでいるのも分かった。
「昼間に会ったんです。それで、伝言を……『早く宿に戻ってこい』とのことでした」
「げぇっ……マジか……」
落胆したように肩を落として大きなため息を一つ。やっぱりこのヒトで間違いなかったようだ。
とりあえず伝えるべきことを伝えられたことにホッと胸を撫で下ろし、そこでなんとなく気になったことを聞いてみる。
「あの、失礼なことを聞いてしまったらごめんなさい。ロウカさんは、精霊族の方ですよね?」
「そうだな」
「お兄さん……えっと、お、お名前は……」
「ん? あぁ、っと……レイ、でいい」
そういえば、彼女も一瞬「レイ兄」と口走っていたなと思い出しながら、彼――レイさんの言葉に首を縦に振る。
「ありがとうございます。えっと、レイさんは、ロウカさんと、契約? をしてるんですか?」
それならば先ほど彼があんなにも他種族との契約について詳しかったことも合点がいくし、毛色の全く違う二人が一緒に行動しているということにも納得できる気がした。
「俺が、ロウカと? いや……っはは、それはそれで面白そうだな。でも別にそういうわけじゃない」
「なんだ、そうなんですね」
「アイツとは
それはどことなく楽しげで、けれどもどことなく寂しげな声だった。理由とはなんだろうか? とも思ったが、流石にそこまで踏み込んだ質問はできなかった。
「しかし、そうか……まさかロウカと知り合いだったとはな」
「知り合いって言っても、一言二言交わしただけなんですけど……」
というか、彼女は僕の名前すら知らないだろうし、僕だって「ロウカ」という名前が彼女のものだと分かったのはたった今だ。「ロウカが探している」という言葉だけでは、別人からの伝言の可能性だってあったわけで。
今もその可能性がゼロになったわけではないにせよ、ロウカさんは精霊族だということで、その可能性は限りなく低くなった、と思う。
「ところで、お前の名前は?」
「僕ですか?」
「他に居ないだろ?」
確かにそうだ。何より、相手の名前を聞いて自分は名乗らないというのは余りにも失礼が過ぎる。
「僕はフェイトです。姓は……一応、アギレラ、ってことになるんでしょうか?」
これは院長の姓ではあるものの、あの修道院自体がアギレラ修道院ということで、あそこで育つ子供たちは皆アギレラ姓を名乗ることを許されている。
「一応?」
「あ、はい。僕は孤児なので、修道院でお世話になってて……」
「修道院……ボスディオスのか?」
「いえ……えっと、その……」
「クライオス?」
先ほどこの周辺に異端審問官がいるという話を聞いたばかりだからか、それを肯定することを躊躇ってしまう。声には出さずに首を縦に振り、相手にその意思を伝える。
それを見たレイさんは、口許に手を宛て、何かを考えるように呟いている。
「クライオス……アギレラ……クライオスで
怪訝な声だった。何かを確認するように、あるいは疑うように首を傾げ、何度も何度も「クライオス」と「アギレラ」という単語を口にする。
「あの、僕、何か変なこと言いましたか?」
発端はそもそも僕の発言だ。けれど僕は嘘は言っていない。でもだからこそ気になってしまう。クライオス教のアギレラ修道院の何がそんなに引っかかるのか。
「あぁ、いや……多分、俺の考えすぎ……だから、これは適当に聞き流してくれて良いんだが……」
「はい」
「アギレラには、古代語で鷲の巣って意味がある。そして鷲はときに蠍を示すことがある」
「蠍、ですか?」
確か、ボスディオス教の司祭以上の位に就いているヒトは蠍の印章を授けられるという話を聞いたことがあるけれど、それと何か関係があるのだろうか。
「そうだ。蛇が蠍となり、自らに針を刺す。そうして自らの毒を剋する――つまり、自らの生まれもった罪を贖うことができたときに
なんだか話が難しくなってきた。ちゃんと話についていけるか不安に思いつつも、頭をフルに働かせ、その内容を整理していく。
「鷲になるということは新たな命を得るということ。蛇は生まれたままの人間であり、蠍は天啓を受け、力を得た者たち。そして鷲は人間という枠を出て、新たな次元に辿りついた者だとされている。人間はすべからく鷲を目指すべきだ、という話だ。これを説いているのはクライオスじゃない。ボスディオスだ」
思わず腰にかかっている拳銃を触ってしまう。
僕はずっとこの蛇が大司教国の印章だと思っていたけれど、そうではない可能性が浮かんでくる。これはあくまでも下層階級の人間に渡される物であって、もう少し上の位の者には蠍や鷲の印章が彫られているのかもしれない。しかし、そこで一つの疑問が浮かび上がる。
「ん? あれ? でも待ってください。ボスディオスはだって、天啓は神族に下るもので、人間はそれを天使族から託され、自らが受けるものではないって……」
少なくとも僕はそのように教えられてきた。なんとなく辻褄が合わないような気がして、余計に頭の中が混乱してくる。
「それは、恐らく解釈の違いだろう。神族から与えられたものを天啓とするなら、それほどおかしくはない……と思う」
「なる、ほど……?」
「ただ、いずれにしても、
なんだか胸がざわついてくる。それは、出会ったばかりのヒトに大切なヒト達のことを疑われているということに対する不快感なのか。それとも、その言葉に真実味があるように感じるからこその猜疑心なのか。分からない。分からないけれど、このヒトの言葉を完全に聞き流すようなことは、どうしてもできなかった。
「とはいえ、俺も別にクライオスの全てを知ってるわけじゃない。そういう言葉を使う派閥もできたのかもしれない。ボスディオスとクライオスはどっちも主を仰ぐ宗派という意味では原点は同じだ。あまり気にしなくて良いとは思う」
そうは言われても気にせずにはいられない。かと言って、院長や
「変な話を聞かせて悪かった。ただ……そうだな、俺の話だけで判断はしない方が良い。自分の目や感覚、記憶を信じてやれ」
僕はそんなにも分かりやすい顔をしていたのだろうか。レイさんはどこか申し訳なさそうにそう言うと、僕の頭をぽんぽんと軽く撫でた。
やっぱりだ。さっきもそうだったけれど、彼に触れられるとふっと気持ちが落ち着く。不安や焦りなどが、まるでシャボン玉が弾けるかのように消えてなくなるのだ。
なんだか不思議なヒトだな、と思って見上げれば、目が慣れたのか先ほどよりも幾分か――ほんの少しだけ――ハッキリと顔が見えた。僕もこんなカッコイイ大人の男になりたかったな、いつかはなれるのだろうか……なんて思いながら、昼間にコトカさんに言われた言葉を思い出し、やっぱり自分はいわゆるメンクイと言われる部類の人間なのかもしれないと思い至る。
別に誰に何を責められるわけでもないのだけれど、なんだか自分で自分が恥ずかしい。
「じゃあ、俺は行く。もしまたロウカに会ったら……適当に言っといて欲しい」
言いながら、レイさんは踵を返し、宵闇の中へと消えていった。
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