真田大石
神光寺かをり
大殿様
「
大殿とは、
迂闊なこととは、城の修築である。
いや、
局地戦に勝って大局的に負けた真田
建物どころではない。石垣も土塁も
つまりその頃の上田城といえば、千曲川の支流が削る
そんな
それでも信之は
将軍・
真田信之は徳川に従順だ。従順でなければ、遠く
信之はかつての二の丸の
作ったといっても、全く新たに造営したものではない。
元々は家臣で一族衆の一つである
だからこちらも
大きな改修はせず、元の屋敷割をおおよそそのまま利用する形を取った。新しく作った設備はといえば、屋敷を取り巻く
元々常田氏は上田の東部の常田鄕――いまは常田村としてその名が残っている――の支配者であったから、その館とは陣屋に等しい機能を持っていた。
その藩主館の内である。
「二十年もの間、
信之は怒りを見せなかった。むしろ頬に微笑を浮かべてさえいる。
矢沢頼康といえば、三十郎と名乗っていた若い頃は三尺三寸五分の野太刀を振るって無双に働く荒武者だった。当たるを幸いに切り倒す暴れぶりで、多くの戦で真田に勝利をもたらしてくれた。
そんな彼も、亡父の跡を継いで沼田の城代を務める様になってからは、思慮深く真田家を支える家老となった。
矢沢頼康の父・
真田幸隆は真田
つまり
信之より年上の親族は、この頼康とその弟の
そのほかに年上の、つまりは亡父と同年代の家臣といえば、父の代からの重臣の
他にも年寄が全くいないのではないが、殿様に真っ向厳しく意見ができる
信之の楽しげな微笑の理由はそこにある。
頼康のような、若造の頃の自分を知っている
「やれ、
そう言いながら、声音はうれしげだ。
「それがしも八十に手が届く年になったというのに、まだ
頼康も目の奥に笑みを隠して、渋茶を飲み干したような苦い顔をしている。
この文字通りの
「このところ、よく昔のことを思い出す。若い頃のことを……神川の戦のことやらなにやら……。そうすると、どうしても
言葉の終わり頃には、その
上田城の
家康にとっては、上田が対上杉家の最前線基地として重要不可欠な場所だったからだ。
城が九分どおりできあがった頃、昌幸は――おそらくは熟考の上――徳川と手を切って上杉に付いた。ご丁寧に、次男・
これに家康が怒るのは当然のことだろう。彼は
そして、徳川軍は失敗した。
徳川方の家内外に様々な問題が発生していた、という理由はあるが、徳川の負けは負けだし、真田の勝ちは勝ちである。
そして改めて
沼や池を繋いで三の丸の
海野の市の道筋と大手の門は鈎の手で結び、敵方の進軍を阻める。行き詰まってひとかたまりになった敵兵は、城方からの集中砲火の的となる。
南は崖を洗う
湧き水を
濠と石垣に囲まれた本丸は二段に整地されていた。
下段は穀物倉と武器倉。その周囲には梅、松、
またここから深く掘り下げられた井戸からは、澄んだ水が豊富に湧き出た。
おかげで長く籠城をすることになっても、飲食に不自由はなかった。
他方、一段高く土盛された側が
そこには
後年、信之が上州沼田領に居城を縄張りするに当たって、この故郷の城を参考にもしたし、また父の城作りを超越する野望を抱きもした。
今、沼田の利根川と薄根川に囲まれた河岸段丘の上には、白壁と黒い下見板、金の甍を頂いた、五層の大天守を持つ城が建っている。
遠く若い日々を思い起こし、その眩しい懐かしさに浸っていた信之の魂は、呆れがまじった矢沢頼康の声で、老いの坂を下りつつある今に引き戻された。
「ならば、修復については、きっちりと
頼康の言は、まことに正論である。そしてそれに対する信之の答えも正論であった。
「頼康よ、わしが……この
その頃の昌幸や信繁は、豊臣秀吉から認められた独立大名であった。
ただし昌幸は徳川の与力とされている。昌幸の嫡男として、徳川勢力圏である関東の沼田城に入っていた信幸は、家康の
そういう訳であるから、豊臣秀吉の死後に徳川家と敵対すること甚だしくなった
だが昌幸はそれを良しとせず、信繁と共に上田城に籠もった。
他方、信幸は秀忠に従って進軍した。
直接父や弟と戦うことは避けられた。
あるいは秀忠が、親子兄弟が戦わぬようにと配慮したのかも知れない。
あるいは昌幸が、親子兄弟が戦わぬようにと配慮したのかも知れない。
支城の
占領したその山の上から、彼は上田城下の
その眼下で、徳川軍はまたしても失敗した。
二度の失敗を経て、上田城と真田家は徳川の鬼門と呼ばれるに至る――。
「大殿のお気持ちは、この頼康にもよう判りまする。さりとて、あれほど
矢沢頼康が深く息を吐き出した。
「どうせやるならば、近郷に知られぬよう、こっそりとやれ、か?」
白髪頭の大殿様が、子供の様ににやりと笑う。
「そういう意味ではございませぬ!」
頼康が驚き慌てる様子を見て、信之はたまらず吹き出した。
「大殿! 笑い事にはございませぬぞ!」
真っ白な眉毛をつり上げる家老に、どこか悲しげな眼差しを注ぎ、真田信之は大柄な体を縮こまらせた。
「わしも元来は
言葉が詰まった。無言はほんの一瞬で、すぐに、
「ともかくも
結句はため息になった。磨かれた床板の継ぎ目のあたりに視線を落としている。
頼康は口に出せる言葉を思い付くことなできなかった。
『お方様がお亡くなりになって以来、大殿は力を落とされること
言葉を呑み込んだ筆頭家老と、言葉を失った殿様が、そろって力無く頭を垂れた。
信之の正室・
あの戦から二十余年の月日が過ぎた。
天下は太平である。
さりとて、真田家の領地である信州上田と上州沼田は、長い戦乱の時代で蓄積された疲弊から、今にもって
土地は荒れ、領民は疲れている。
真田信之は領地の内、上田小県の政治については、先にも名を上げた家老衆の、
沼田領のそれは、当初は
数年前、信之が沼田城主の座を嫡男・
自身を
この二人だけは、信之は常に身近に置くことを望んでいる。
故に、信之が沼田に軸足を置いていた頃はこの二人は沼田領に置かれていたし、上田に軸足を移すと決めたからには、この二人は連れて行かねばならないのだ。
ひたすらに徳川に
出浦昌相は、亡き父が「友」と頼んだ男である。そして、禰津幸直は己が「友」と頼んでいる男である。
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